第208話 魔術は――

「本当にいませんね」


 シュスタとラルドはおずおずと森に足を踏み入れ、慎重に周りを調べた。


「だけど、チューリの居た痕跡はあるっす」


 私には何も無いように見えたけど、二人によれば、木の根にかじった跡や爪のぎ跡があり、ふんも落ちているらしい。


「こうなると、やっぱりノトさんが呼んだ線が濃厚ですね」

「だから急いで追いかけないと!」

「ちょ、ソフィさん、声がでかいっす」


 私は今にも駆けて行きたいのに、二人の悠長な様子にイライラした。

 先生から引き離せるのなら、私に襲い掛かってくればいいとさえ思えた。


 そうよ!

 こっちに呼べばいいんだわ!


 二人に見つからないようにこっそり唱えられればいいのだけど、私にはその技量がない。

 また止められるだろうけど、今度は絶対に中断しないっ!


 痕跡を手掛かりに向かった方向を見定めようとしている二人に気づかれないように、ゆっくりと後ずさる。


 向かった方向も何も、ここが入口なんだから、奥に行ったに決まってるじゃない。


 喉元まで出かかったツッコミをぐっと飲み込んで、くるりと後ろを向いた。

 そしてそのまま、入り口と反対の方向に走り出した。


「ちょーっ! むぐっ」

「馬鹿ラル……」


 気がついたラルドが大声を出したが、その口をシュスタが押さえたようだった。

 声を押し殺したシュスタの語尾が、私の足音で消え去った。


 全速力で二人から離れる。

 木の間を根が何重にも重なり合っていて、走りにくい。


 だとしても、魔術師あの二人には負けない。


 少し走っただけでぜぇはぁと息を切らしていた銀の髪色を思い出す。


「でも、私も魔術師よね」


 生垣いけがきのように横に積み上がった根の上に両手をついて跳び越えながら、ちょっとだけ視線を上に向けて呟く。


 ううん、私は先生の弟子だもの。


 魔法陣師――の卵だわ。


 だけど。


「だけど今はっ、魔術これに頼るしかない」


 つとめて二度深く呼吸をした。

 足の動きに合わせて心臓がどくどくと耳の奥で高鳴っているのに対し、弾まない程度に息は整った。


 いつものように、大きな声で呪文をつむぐ。


 唱えるのは得意な炎ではない。


 チューリを呼び集めるのなら、爆発音もいいけれど、地面を揺らすのが手っ取り早い。

 地表の体積を膨張させて、地を波打たせる。

 

 魔力を声に乗せて響かせる。

 世界に浸透するように。



 先生は言っていた。


 魔術は歌を聞かせているのだと。

 世界の裏側にいる住人に。


 詠唱かしは彼らへの願い。

 何をどれだけどうして欲しいのか。

 長くうたえば願いは詳細にできる。


 魔力はその代償。

 願いを叶えてもらうための、対価。

 声が大きければそれだけ魔力が乗りやすい。


 彼らは魔力をもって世界を改変し、願いは現実のものとなる。


 だから詠唱は、彼らに伝わる言葉フレーズで。明瞭めいりょうに。たがえることなく。


 だから魔力こえは、願いに見合った大きさで。


 正確に伝えることさえできれば、そして必要な魔力さえあれば、理論上は、死者を蘇らせることだってできる。

 

 魔術の研究とは、起こしたい事象に対して何と詠唱すればよいのか、より短い詠唱にして必要な魔力を減らすことはできないか、それを探ること。


 簡単なアレンジくらいなら、法則を理解すれば研究者じゃなくたって可能だ。

 速度も、魔力を乗せる量も、訓練で上達する。


 だけど、最も大事なのは、抑揚とリズム。


 強く。弱く。柔らかく。滑らかに。

 伸ばして。切って。跳ねて。駆けて。


 ――シャルムの詠唱は完璧なんだ。


 馬車の外を見ながら言った先生は、悔しそうだった。


 それがわかる先生も、完璧に詠唱することができるだろうから。

 魔力があれば、きっと、名の知れた魔術師になっていた。


 詠唱が世界の裏側にいる住人だれかに聞かせるための歌だという例えは、私にはとてもしっくりきた。

 特審官様の詠唱は、言葉の一つ一つが聞き取れない小声の超高速だったとしても、その抑揚とリズムメロディは、耳に心地がよかったから。


 私ができるのは、丸暗記した教科書の棒読みと、ほんのわずかなアレンジだけ。

 魔力の加減なんてできなくて、杖がなければ最大化の言葉フレーズを削ってもほとんど威力は衰えず、持てば並以下の威力しか出ない。


 でも、できるようにならなければ。


 ――魔法陣はもっと繊細だけどな。


 外に目を向けたまま、捨て台詞のように続けたその声には、確かに魔法陣師としての誇りが込められていた。


 正確に描きさえすればいいなんて、魔法陣はそんな単純なものじゃない。

 それでは私の詠唱と同じだ。


 上手くうたえなくて、どうして先生のような美しい魔法陣が描けるだろう。


 だって、願いを伝え、叶えてもらうのが魔術だとするならば、魔法陣はその先――



「ひゃっ」


 飛び移った根の上、そこにはとがった石が乗っていて、中途半端に踏みつけた私はよろけて滑り落ち、悲鳴を漏らしてしまった。


 詠唱が台無しだ。


「……っ」


 地に手を突いた拍子に左手首まで痛めてしまった。


 根を幹に向かって駆け上がり、一度後ろを振り返るが、二人が追いかけてくる気配はない。

 けど、十中八九、隠密を使って来る。


 残りの一割が、追いかけてこない、という可能性だけど。


「まあ、無いわよね。あの二人は、なんだかんだ言って、ついて来るでしょう」


 ついて来てくれなかったら、その時は、その時だわ。

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