第205話 緩衝地帯

「決めたわ。先へ進みましょう」


 あごに握った左手をあて、そのひじを右腕で支えて考えていた私は、顔を上げて、ロルドとシュスタにきっぱり宣言した。


「いや、ソフィさん、まだガルドが出てきてないっすよ。ルンゴールもまだまだいるに違いないっす。一掃して行こうって話だったじゃないっすか」

「でもガルドをおびき出す方法はわからないし、この草原って、回り込むことができないくらい広いのよね? それを全部焼き払うのは……」


 意味深な目線を投げると、二人は左右にそびえ立つ草の壁に目を向けた。


「そうですね。魔力が心配です」


 でも、とラルドは煮え切らない態度だ。

 奥に進みたくないオーラがにじみ出ている。


「戻って来た時に左右から挟まれると危ないっすよ」

「かといって、ここで待っていてもらちがあきません」

「シュスタ、裏切るっすか!?」


 突然、手の平を返したシュスタに、ラルドが驚きをもってかみついた。


「帰りは隠密使えばいいじゃないですか。これだけ見通しがよくなったんですから、いけますって」

「いいわね。それ採用!」

「よくないっす! あのノトさんが、隠密で大人しくしてくれるわけないっすよ!? 審査官級の隠密が使えるならまだしも、おれらの隠密じゃ一瞬で解けるに決まってるっす」

「ラルド……」


 シュスタが、はぁとため息をついた。


「ラルド、わたしはもう、先輩に怒られるのは嫌なんです。安全に突破するためだと言えば功績次第で軽く済む可能性がワンチャンあります。でも、これ以上焦土を広げたら、どうなると思います?」

「どうなるって……」

「……ドラマンドール」


 シュスタが意味ありげな言葉をぼそりと呟いた。


 しばらく無言だったラルドの目がわずかに見開き、そして泳いだ。

 シュスタが小さくうなずく。

 ラルドがうなずき返す。


「ソフィさん」


 ラルドが真剣な顔つきでこちらを見た。


「先へ進むっす」


 はあ、と私は大きくため息をついた。


 このやりとり、もう何度目かしら。

 これから先も続くとしたら、そのうち私の我慢も限界を迎えるわね。


 ドラマンドールが何なのか気になったけど、面倒くさいことになるのがわかっている。聞くのはやめよう。


 私が黙って森へと向かって足を進めると、二人がその後ろをついてきた。


 森と草原の間の緩衝地帯は、そこも森と言っても差し支えない程度には木が生えていて、もう森に入ってしまったのかと思ったが、後ろの二人はまだ何やら言い争いを続けていて、てんで警戒をしていない。

 とすれば、ここには脅威となる獣はいないのということだし、ならばまだここは彼らの言うではないのだろう。


 ふと下を見れば、足跡が残されていた。


 乾いた土の上に薄く残る靴底の跡。踏みつけられた草。

 明らかについさっきついたのだとわかる。

 もちろん、先生のだ。


 それは、草の壁のわずかな隙間――今は十分な広さの道になってしまったけれど――から真っ直ぐ森に向かっていた。


 私はその後を追うように、前へ進む。


 木漏れ日が差し込んでいて、鳥のさえずりが聞こえてくる。


 先生の家があるところに似ている。


 絶対安全な町ではなく、その外の森の中に住んでいるだなんて、先生のことを知らずにその事実だけを聞いていたなら、筋肉隆々りゅうりゅうで毛むくじゃらの、おひげをたくわえた寡黙かもくな大男を想像したかもしれないわね。


 くすくすと笑いが漏れた。


 先生は家の周りの獣を片っ端から排除して縄張りを奪い取り、挑んできた獣を返り討ちにして縄張りを認めさせたとおっしゃっていたっけ。


 なかなかわかってもらえなくて大変だったと、げんなりしていた先生の顔が思い浮かぶ。


 そうまでして町から離れていたかったのは、魔法陣師という特殊な仕事をあまり知られたくなかったから。インクに使う素材には、危険なものも高価なものもあって、人目に触れさせたくなかったから。


 魔力が一切なく、魔石すら使えないという不自由を課せられ、余計な詮索と目立つのを避けるため、人前ではそうと気づかれないように振舞う。


 でも、魔法陣師としてはこの国でも指折りの実力を持ち、魔法陣の使い手としては国内随一。


 その先生が、突然描くのをやめてしまった。使わなくなってしまった。


 今朝馬車で魔法と魔術の違いについて講義をしてくれていたときは、すさんでいた表情が、少しやわらいでいた。


 やっぱり、先生は魔法陣が好きなんだ。


 徹夜続きでつらいつらいと言いながら、描き終えたときは満足げにしているし、誇らしげでもある。


 詠唱を必要とせず、即座に発動する魔法陣を使った戦いは華麗で鮮やかで、単純なサポート魔術ブーストを用いた剣術とは全然違う。

 素人の私でもわかるくらい、明確に。


 複数の魔法陣を使い分け、自在に体を操る先生は、顔に笑みさえ浮かべて楽しそうに敵へと向かうのだ。


 なのに――。


 どうして描かなくなってしまったのか。

 どうして使わなくなってしまったのか。


 描きたくないから使わないのか。

 使いたくないから描かないのか。


 何も話してくれないから、何もわからない。


 私はまだまだ弟子として未熟で、それどころか今朝初めて講義をしてもらったくらいで、魔法陣のことは全然わからない。

 悩みを打ち明けられても、解決策の提示も、助けになることもできない。


 だから。

 魔法陣で役に立てないのなら。


 今の私にできる範囲のことをするまでよ。

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