第197話 教授

「先生はまだ一度もわたくしに魔法陣の手ほどきをしてくださっていませんわ!」


 あっ、と思った。


 ずいっとソフィが顔を近づけてきた。


「ずーっとごたごたしていましたし、王都に来てからもお忙しそうだったのでひかえていましたが、もう遠慮はしません! 今まで以上に先生のサポートはしますので、そろそろわたくしに魔法陣についてご教授を!」


 ソフィの主張はもっともだ。


 俺が教えたことといえば、買い物の仕方や宿屋の選び方や過ごし方といった街での生活、獲物のさばき方や飲み水の確保といった森でのサバイバル、メイスでの戦い方を少々。


 森の中で成り行きで素材の話を少ししたのと、インクの調合を手伝わせたくらいで、肝心の魔法陣は一つも描かせていないし、描いているところを見せてもいないから、技術を盗めとも言えない。


「……先生が、ここのところずっと魔法陣をお描きになっていないのは存じ上げておりますわ。何か理由がおありなのでしょう? でも、魔法陣を使えば怪我も減るのではありませんか? 先生がお描きにならないのなら、わたくしが描きます。いえ……今すぐ描けるようにはなりませんわね。けれど、いつかは、わたくしだって、先生みたいな魔法陣師にきっとなれますわ。なってみせます!」


 俺が黙りこくってしまったのを否定と感じたのか、ソフィは俺の顔色をうかがいながら、注意深く言葉を選んでいた。


 魔法陣を使わないのは、魔法陣がないからだ。

 王都に着いたときに全て燃やしてしまった。


 魔法陣を描かないのは、魔法陣師を目指したことを後悔し、描けてしまう自分を呪っているからだ。

 俺が魔法陣師になっていなければ、こんなことをしなくても済むのに、と。俺が描けてしまわなければ、きっと、師匠も実行には踏み切らなかったと思う。自惚うぬぼれ……かもしれないが。


 あの部屋でも、俺は指示を出すだけで、線の一筋すら描いていなかった。

 いま筆を持てば、きっとぐちゃぐちゃに塗り潰したくなる。


 だけど……それは俺の勝手な理屈であって、ここまでしてくれている弟子にむくいない理由には、ならないよな。

 当時はこんなことになるだなんて思いもしなかったが、あの日俺の弟子だと認めた責任はある。


「わかっ――」

「本当ですか!?」


 ややうつむき加減で思案していた俺は顔を上げ、ソフィの目を見て言うと、弟子は一瞬でひたいが接しそうなほどの距離に詰めてきた。


「あ、ああ……」


 勢いに気圧けおされて、体を引いてしまう。


「やりましたわ! ついに、ついに、先生に教えて頂けるのですね! んーっ! ぃやったあぁぁっっ!」


 ソフィは両手でガッツポーズを決めてから、万歳ばんざいした。手が天井に当たったことなど、気にもとめていない。

 ボコッと嫌な音がしたのだが、俺も見ないことにした。


「さっそくお願いします!」

「ここで!?」

「当然です! 先生がゆっくりできるのは行きの馬車の中だけだと、前回学んだのです。あんな無茶をしなければ、帰りも教えて頂けるのですけれど……。だからロルドラルドさんとスシャクシュスタさんとは別の馬車にしてもらったのです」

「ロルド……?」


 何だその舌を噛みそうな名前は。てか誰だよ。


「前回一緒に行った魔術師の方々です。……って昨日の朝も説明しました」


 ソフィが、えええぇ……という顔をしている。


「ああ、協会に報告してくれたっていう二人か」


 昨日は王宮のことで頭がいっぱいで名前まで覚えていなかった。

 というか、名前を覚える必要性を感じていなかった。


「別の馬車ってことは、あいつら、今日も来るのか」

「どなたかが先生に同行しないといけないらしく、ならば前回怪我一つしなかったお二人が行くのは当然だろうと。他に人もいないそうですし」

「ふーん。今まで通り、俺の邪魔さえしなけりゃいい。来るなって言ってもついて来るのはわかってる」

「先生、本当に協会の同行者の方には関心がありませんのね」


 確か男女二人組だったなと、記憶を掘り返すが、顔は全く覚えていない。


「先生、それで、行きの馬車でご教授頂くということで、よろしいですか!?」

「あ、ああ、いいぞ」

「では、さっそく!!」


 ソフィが、荷物をがさごそとあさり、立方体かと見まがうほど分厚い本と、紙とペンを出してきた。


「なんだその本は……」

「魔術の本です! 先生が、魔法陣よりも魔術の勉強の方が先だとおっしゃっていたので!」


 タイトルは『魔術概論 ~基礎から応用まで~』とある。概論のくせに基礎から応用まで網羅しているとはこれいかに。


「……その本は使わないからしまっておいていいぞ」

「そうですか……」


 ソフィは残念そうにしたが、俺はその本を使う気はこれっぽっちもない。


「あ!」


 仕方なくといった素振りで本を片づけていたソフィが、突然大声を上げてこちらを見た。


「大変です、先生!」

「どうした?」

「朝食を食べるのを忘れていましたわ!」


 ソフィの手には、弁当らしき包みがあった。



 食べ終わったところで仕切り直しだ。


「まずは魔法陣に対する理解度合いを確認したい」

「はい」

「魔法陣は魔術陣とは言わないわけだが、魔法と魔術の違いはわかるか?」

「へ?」


 やれやれ。

 やはりそこからか。

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