第188話 王宮

「あのっ」

「なんだ?」


 家を出る前、ソフィが意を決したように声をかけてきた。


「お帰りはいつ頃ですか?」

「ん? 早いぞ」


 そんなに構えて聞くようなことだろうか。


 何気なく答えたつもりだったが、ソフィの顔がさっと白くなった。


「お帰りが早いときは、いつも王宮に?」

「ああ、そうだ」


 ソフィが下唇をぐっとんだ。


「わかりました。お気をつけて」

「行ってくる」


 様子が変だと思い、ドアが閉まる直前に振り向くと、ソフィが手をあごに当てて何かを思案していた。





 王宮に行くのは、ひどく憂鬱だ。

 毎回二度と来たくないと思う。


 だからと言って断ることは許されない。


 俺にしかできないことだから。

 俺が一番犠牲を少なくできるから。




 王宮の前には、大きな広場がある。


 色とりどりの様々な石をモザイク状に張った円形状で、背の高い柵が円を二等分していた。


 柵の一部は開くようになっていて、車両用の大きな入口と、人用の小さな入り口がある。

 俺が向かうのは、当然小さい方だ。


 周りを花壇で囲まれたとても美しい広場で、ベンチもいくつか置いてあり、王宮の正面を見ることができることもあって、いつきてもにぎやかだ。

 車輪のついた移動式の出店で売っている串焼きのいい匂いがただよってきた。


 俺は人用の入り口で用件を告げた。


 ここで身分証が出せれば話は早いのだが、魔力を持たない俺は、魔石身分証を光らせることはできず、自分自身を証明するすべがない。


 なので、協会が発行した紙の身分証を提示する。

 身体的な特徴と、合言葉となる複数のフレーズのヒントが書かれており、俺は門兵に問われるままにいくつか合言葉を言った。


 何度も来ているから、実は門兵とはもはや顔なじみだったりするのだが、このやり取りが省略されたことはない。


 門を抜けたあと、王宮の入り口まで、広場の残りの半円を通る。


 こちらは反対側の半円の賑やかさとは打って変わり、人影一つ見当たらない。

 簡単に入りこめる場所ではないというのと、入るのならばこんなところで油を売っているはずはないというのもあるが、門を通ってきた人間を監視できるというのが最も大きい理由だ。


 まぎれる人影も、隠れる遮蔽物もなければ、門が突破されたとしても、こっそり近づくのは不可能というわけだ。

 距離もあるから、攻撃するにしても十分な時間がある。


 王宮の入り口手前には受付用の窓口があり、そこでもう一度身分証のチェックがある。

 先ほどと同様のやり取りをして、初めて王宮に入ることが許される。


 そこから先は案内役として兵が一人つく。

 いくら迷わずに目的地まで行けると主張しても、一人で向かうことは許されない。これは監視でもあるからだ。


 王宮で住み込みで働いている者も抜き打ちでチェックされるというし、外から仕事にくる者も、チェックは必ず受ける。


 建国からこれまで、門から侵入を許したぞくに女王陛下が襲撃されたという事件が起きたことはない。少なくとも、話には聞いたことがない。

 だからといって決して警備が緩むことはなかった。

 この国は、こうやって女王陛下を大切に大切にお守り申し上げてきたのだ。


 ……その陛下が、実は勝手に王宮を抜け出して、獣やドラゴンと大立ち回りを演じ、体中に傷を負い、命の危険にまでさらされていたとは、誰も思わないよなあ。


 陛下が不在の間も、あるじのいない王宮を守るために、こうやって手続きが行われていたかと思うと、なんだか俺まで申し訳ないような気がした。




 兵に案内され、最初に向かったのは中庭だ。


 玄関からそれほど遠くはないはずなのだが、案内をしてくれている兵の身分や、招待客の俺では通ることが許されない場所を避けて大回りするので、直線距離から類推する以上の時間がかかっている。


 立ち入り禁止と言っても、実は王宮で働く者用の食堂があったり、行き止りになっていたりと、さして重要な場所ではないのだが、罠としての側面と、複雑なルートを通らせることで王宮内の配置をわかりにくくする目的がある。


 防犯用の魔法陣を描く関係で図面を見たことのある俺でも、全てを把握しているわけではない。

 おそらく、完璧に把握しているのは、陛下御自身とその側近数人くらいだろう。あと師匠。


 中庭に出ると、そこで待機していた別の兵に引き継がれ、別の入り口から建物に入ってまたしばらく歩く。


 階段を上ったり下りたりしてようやく到着したのは、長い廊下の先にぽつんとあるドアの前だった。

 兵は仁王立ちでドアの横に陣取ったので、俺は一人で中に入った。


 そこは、床も壁も天井も石造りの大きな部屋だった。

 天井が高いことと窓がないことを除けば、軍の鍛錬場のようだという感想を持つ人もいるかもしれない。


 実際、使われているのは鍛錬場と同じモルル石。

 つまり、衝撃や魔術による干渉が起こり得る場所だということだ。



「遅かったじゃないか」


 部屋の中央にいる一人が声を投げてきた。

 約束の時刻まではまだ時間があるというのに、その口調にはとがめるような感情が含まれていた。


「すみません」


 俺は反射的に、その人物――師匠への謝罪の言葉を口にしていた。

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