第187話 寝起き

 次に目が覚めたとき、俺は自室にいた。

 窓の外で朝日が昇ろうとする時分じぶんだった。


 とてもよく寝た気がする。

 体が軽い。


 大きく伸びをして部屋を出ると、ちょうど向かいの部屋からソフィが出てくるところだった。


 ふぁあと口を押さえて欠伸あくびをしたソフィは、俺がいるのを見てぎょっとした。


「え、あ、お、おはようございます。もしかしてわたくし、寝坊しました!?」

「いいや、まだ夜明け前だ」

「よかったぁ」


 ソフィは胸に手を当てて、大げさに安堵した。


「すぐに朝食を準備しますね! 今日は王宮に行くようにと言われました。だから朝は、ゆっくりでも……先生? どうされました?」

「いや、何でもない」


 あからさまに顔に出ていたのだろう。ソフィが眉根を寄せてひどく心配そうな顔をした。


 あんなに軽く感じていた体は、ソフィの言葉を聞いた途端に、ずしりと重くなった。

 特に腹が、モルル岩でも詰め込んだみたいに重い。


「でも、お顔が真っ青ですわ」

「何でもない!」

「っ!」


 思わず怒鳴ってしまった。


「……すまん。朝食を、頼む」

「はい……」


 ソフィがキッチンに立ち、保冷庫から何やら灰色の野菜を出した。ドバスか?


「ソフィ、今日は来なくていいからな」


 何気なく、その背中に話しかける。


「え……? わたくしが、役に立たない、からですか?」

「そうじゃない」

「お願いです! わたくしも連れて行って下さいませ! 先生のお役に立ちたいんです。もう、待っているだけは嫌なんです」


 ソフィが切迫した表情でずんずんと詰め寄ってきた。


「……とりあえず、ナイフをこっちに向けるのはやめような」

「あ! すみませんっ!」


 ソフィは調理台にナイフを置きに戻り、また近寄ってきた。


「どうして連れて行って下さらないのですか?」

「あー……」


 俺は後頭部に手をやって目をそらす。

 なんか、なんか言い訳を……。


「王宮は気軽に連れて行けるような所じゃない」

「そう、ですわね……。女王陛下がいらっしゃるんですもの」


 ソフィは目線を下げて複雑な表情をした。


 わずかな間とはいえ、リズと言葉を交わし、共に戦ったのだ。

 もしリズに言えば「好きにしろよ」と返ってくるだろう。


 だけど、女王陛下なら。

 お耳に入る前に、警備隊によって即座に却下されるだろう。

 それだけ遠いお方なのだ。


「そういうわけだから。……顔洗ってくる」


 ソフィはまだ納得がいかないという顔をしていたが、俺は強引に話を切り上げた。

 本当の理由を、悟られたくなかったから。



 


「昨日は、馬車で帰って来たんだよな?」


 朝食を美味しく頂きながらソフィにたずねる。


「そうですわ」


 突然話を振ったのにも関わらず、ソフィは口元を押さえつつもはっきりと答えた。

 食べ物を口に入れながら話すなんてことは絶対にしない。でも飲み込むまで待たせることもない。

 常に話せる状態でいる。


 お嬢様は、話しかけられた瞬間に口の中の物を飲み込む技でも習うんだろうか。


「ちび――トビもいたか?」

「トビさん? トビさんは、馬車にはいませんでしたが、下からここまで先生を運んでくださいました」


 やはりあれは現実か。


「そうか。――ソフィにも迷惑をかけたな。協会の報告は大変だっただろ?」

「いいえ。ロルドラルドさんとスシャクシュスタさんが報告してくださるとのことだったので、何もしていません」

「ロル……? ス……?」


 なんだその舌を噛みそうな名前は。


「ロルドラルドさんとスシャクシュスタさんです。昨日ご一緒した魔術師のお二人ですわ。赤い男性がロルドラルドさん、ピンクの女性がスシャクシュスタさんです。ナターシャ……さん? が、お二人が無傷で戻られたと知って泣いていらっしゃいました」

「そんな大げさな」

「今までは、瀕死で帰る方も少なくなかったそうで……その、先生が……」


 ソフィの言葉はそこで途切れた。

 ちらちらと目がこちらをうかがっている。


 俺が何なんだろうか。瀕死って何のことだ?

 思い返してみても、思い当たる節がない。


 気にはなったが、珍しくひどく言いにくそうにしていたので、深く突っ込むのはやめた。


「トビは起きてこないのか?」

「トビさんは、いつも先生が出発してから起きていらっしゃいますわ。そういえば、夜も先生よりも先にお休みになっているか、お部屋から出てこられませんね」


 言われて気づいた。

 まともにトビの顔を見たのは、いつ以来だったのだろう。


「俺、嫌われてんのかな」


 やべっ、口に出て……!?


 気がついたときにはもう遅く、ぽそりと漏れた言葉は、ソフィの目を丸くした。


「まさか! トビさんは先生のことがお好きに決まっていますわ。いつも先生のことを心配して――」

「そふぃぃぃっ!?」


 ソフィがくすくすと笑うと、ドンッと隣の部屋のドアが叩かれる音と、トビの声が聞こえてきた。


「あら。ふふふっ。怒られてしまいましたわ」


 ソフィは肩をすくめるが、申し訳なく思っているようには見えない。


 楽しそうに笑うのを見て、なんだか安心した。

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