第177話 疲労

 次の日。


 いつものように、家事の後に本を読んでいた時。


 突然、ドンッとドアに何かがぶつかる音がした。


 驚きすぎて椅子に座ったまま固まっている間にドアが開き、入ってきた人物がどさりとその場に倒れた。先生だ。


「先生!?」


 慌ててかけよったが、何の反応も返ってこない。


 何で!?

 どうしよう。どうすればいいの!?

 

 そうだ、回復魔術を……!

 いいえ、仰向あおむけにさせるのが先だわ。


 わき腹に手を入れて転がそうとするが、脱力した先生はぐにゃぐにゃしていて、肩が邪魔してうまくできない。

 ならばと手を肩にかけ、反対側の肩を支点に引っ張ると、ごろりと仰向けにすることに成功した。


 先生は服がしっとりと濡れるほど汗をかいており、ぐったりとしていて呼吸がとても浅った。

 呼吸が楽になるようにと、胸元を開ける。


 見た所外傷はない。

 であれば内臓か。


 とにかく、と回復魔術を唱えた。


 先生にかざした両手に淡い光が生まれ、ほんわりと温かくなる。

 光は粒となり、手と先生の間の空中に溶けていった。


 しかし、回復をかけ終わっても、先生の様子は変わらなかった。

 

 傷がえれば多少顔色はよくなるはずなのに。


 私では治せないほどひどい傷なのだろうか。


 シャツの上からお腹をぐっと押した。


 しかし、先生は痛がる様子を見せない。

 内臓が傷ついているわけではない?


 体を触っていくが、細かい傷はついていて多少の血が流れたあとが見て取れるものの、やっぱり大きな怪我があるようには見えない。


 それとも、毒?


 毒消しの魔術を唱えたが、それも効果が見られなかった。


 私が使える毒消しなんて、たかが知れている。

 全身に回る毒は、高度な魔術じゃないと効きにくい。


 今までの怪我もひどかったけど、今回は今までにないほどひどい。

 どんどん呼吸が弱まってきている。体も冷たくなってきた。


 どうしようどうしよう、先生が死んじゃう……!


 うろたえていると、ばたばたと足音がして、先生の足がぶつかって半開きになっていたドアから、トビさんが現れた。


 全力で駆けてきたのか、はあはあと荒い息をしているトビさんは、倒れた先生と、その横で座り込む私を見た。


「トビさん! 先生が、先生が……!」


 トビさんは先生をぺたぺたと触ると、先生を引き起こして片腕を肩に担ぎ、半ば引きずるようにして、先生のベッドまで運んでいった。


「先生は、大丈夫なんですの……?」


 動じていないトビさんを見て、少し冷静さを取り戻した私は、呟くようにして聞いた。


 ちょっと疲れているだけだから休めばよくなるよ、とトビさんは先生の服を脱がしていく。


 体を拭いてあげたほうがいいね、とトビさんは寝室を出て、水をためた桶とタオルを手に戻った。


 濡らしたタオルで丁寧に先生の汗を拭いているトビさんを、私は後ろから見ていることしかできなかった。


「そふぃ」


 着替えを出して、と先生の下着に手をかけたトビさんを見て、はっとしてタンスの中から下着を取り出した。


 先生を見ないようにトビさんに渡し、後ろを向いてぎゅっと目をつぶる。


「そふぃ」


 大丈夫だから力を抜いて、といつの間にか体の前で組んでいた手に、トビさんが触れた。


 目を開ければ、甲に爪が食い込むほどに握りしめていて、力の抜き方を忘れてしまった私の代わりに、トビさんが優しくほどいてくれた。


 大丈夫大丈夫、と子供をあやすように背中をぽんぽんと叩いてくれたトビさんは、少し寝かせてあげよう、と桶を手に私を部屋の外へとうながした。


 布団をかけられた先生の顔は、さっきよりも少し楽になっているように見えた。




「どうしてお戻りになったの? 外にいらしたのでは?」


 気持ちを落ち着かせようと、お茶をれてトビさんと食卓についた。


 なんだか嫌な予感がしたんだよねー、とトビさんはカップを受け取って、ふうふうと息を吹きかけている。


「お医者様にいらして頂かなくて大丈夫かしら」


 毒だったら。何か重い病気だったら。


 悪い想像ばかりしてしまう。


 心配だったら呼んでもいいけど安静にしてろって言われるだけだよ、とトビさんはカップに口をつけ、「ふあっ」と言った。

 まだ熱かったらしい。


 

 結局、私はお医者様を呼んだ。


 あまり中央に近いところから呼ぶわけにもいかなくて、あらかじめ近くで見つけていたところから。


「極度の疲労です」


 意識のない先生をひとしきり診察したお医者様は、私の方を見て、そう言った。


「温かくして安静にして下さい。目が覚めたら、消化がよく栄養のあるものを食べさせて」


 トビさんの言うとおりだった。


「一応、回復はかけておきますが、疲労の回復が速まるだけで、ここまで消耗しきった体力を魔術だけですぐに戻すことはできません。一晩寝れば動けるようになります。しかし、しばらく激しい戦闘はさけた方がよいでしょう」

「わかりました。ありがとうございます」


 お医者様は、私よりもずっと高度な回復魔術をかけてくれて、先生の顔色も目に見えてよくなった。


「トビさん、ごめんなさい」


 先生の部屋から出て、床に座ってぼぉっとしているトビさんを見る。


 トビさんは、何が、という顔をこちらに向けた。


「トビさんを信じていなかったわけではないの。ただ……」


 心配なのはわかってるよ、と何でもない顔をして、トビさんは立ち上がった。


 そのまま玄関に向かって扉を開け、まだご飯食べてないから行ってくるねー、と出て行った。

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