第176話 いつもの

 次に寄ったのは、これまた馴染みの肉屋さん。

 絞めた鳥が軒先につるされていて、店主であるおばさんの前のテーブルには、解体中の獣があった。


「おはようございます」

「おや、いらっしゃい。いつもの肉かい?」

「はい」


 おばさんは、テーブルの上をあけて、後ろにつるしてある獣を持ち上げると、どんっとテーブルの上に置いた。

 そして器用に解体を始める。


 あのころの私が、いきなりこれを見せられたらショックを受けていたかもしれないけど、先生と森をさまよったときに散々見て、自分でも何度かやった経験のある今となっては、なんとも思わない。

 そういう切り方をするのね、と感心すらする。


 我ながらずいぶんたくましくなったものだ。


 お母様が今のわたくしをご覧になったら……そうね、お母様なら、大喜びなさるわね。

 だってお母様だもの。

 やりたいとおっしゃるかもしれないわ。


「このくらいでどうだい?」


 おばさんが手に持った肉の塊を見て、私はうなずいた。


 私の昼食、トビさんと私の夕食、そして明日の朝の先生と私の朝食の分。

 これだけあれば十分。


「それにしても――」


 片面に油を塗った紙で肉塊を包みながら、おばさんがこちらを見た。


「――だいぶそれらしくなってきたね。最初はどこぞのお嬢様が迷い込んだものかと思ったよ。流れ者をやってたせいで、普段の服がどんなものかわからないって言ったときは仰天したものさ。次の日は流れ者の服で来たっけね」

「あの時は驚かせてしまってごめんなさい」

「話し方も妙に丁寧で、あたしゃ、ご機嫌いかが、なんて言われる日が来るとは思わなかったよ。――はい、これ」


 おばさんから、包んだ紙がほどけないよう器用に紐をかけたお肉をもらって、それをさらにトビさんに渡す。


 トビさんがじゅるっとつばを飲み込んだ音には気がつかなかったふりをして、代金を払った。


 刻まれている数字を見なくたって、どのコインがいくらなのかは、もう完璧に覚えている。


「まいどあり」


 こんなことも知らなかったなんて。恥ずかしいですわ。


 支払いをするたびに、先生に弟子入りをした日に買い出しを命じられたことを思い出す。



 野菜もいくつか買って、調味料を買い足して、買い物客と少しおしゃべり。

 トビさんは退屈そうにしてたり、話しかけられて困ってたりするけど、これは情報収集の一環だから、我慢してもらう。


 数日前、女王陛下が妹姫いもうとひめ様に王位を譲るらしいという噂が流れてきた。 

 まだ王宮からの公式の発表はないけど、みんな近いうちに発表されるだろうと思っている。

 

 先生はこの噂、ご存知なのかしら……。



 用事が済んで、市場の入り口でトビさんから食材を入れたかごを受け取った。


 いつもこの後、トビさんは王都の外で、食事と周囲の見回りに行く。


 武器も持たずに狩りをするということは、ドラゴンの姿になるのだろうけど、人に見られたりしないのかしら。


 ずっと思っていた疑問をついにぶつけてみたら、すぐに人間になるから大丈夫~と手をひらひらと振って、にこやかに行ってしまった。


 でも、服は脱げてしまっているのよね。


 ドラゴンと、裸の変質者。


 そうね……見つかるのなら、変質者としての方がまだましだわ。




 家に帰ってきた私は、自分の昼食の準備をして、掃除や洗濯をする。


 それもすぐに終わってしまって、夕食の準備をするまでの間、魔術の本を読む。


 王立図書館から盗ってきた本だ。


 中央地区に行ったら、きっとお父様の知り合いに見つかってしまうと思ったから、トビさんに協力してもらって、ちょっとしたボヤで――兵舎の一棟が丸々燃え尽きてしまったけど、先生なら「ボヤだ」と言い切ると思うわ――騒ぎになっている間にささっと行って来た。


 本当は魔法陣の本が欲しかったけど、そんなに簡単に見つかるとも思えなかったし、ない可能性もあったから、できるだけ難しそうな魔術の本を選んだ。


 まさかこのわたくしが物を盗むことになるなんて――代金は置いてきたとはいえ――お父様のお耳に入ったら、きっと寝込んでしまいますわ。


 目をむいてばたりと倒れるお父様を想像したら、くすくすと笑いが漏れた。


 もう、人も殺しているのにね……。


 あのとき先生は、「許す」と言ってくれて、とどめを刺すふりまでしてくれた。


 今は、動揺することはないだろう。

 向かってくる敵には殺すつもりで対応しないと、命を奪われると学んだから。

 森の獣からも、あの異常なスラグからも。


 人だってそれと同じだ。


 そんなことよりも、もっと強くなって、先生の役に立ちたい。

 

 魔法陣について先生に教えてもらえないなら、自分で学ぶしかない。

 魔法陣を独学で学ぶこともできないなら、せめて魔術を。


 先生が、「魔法陣の前に、まずは魔術の勉強から」と言っていたのを、私は覚えている。


 だからこうやって読み進めているのだけど――


「さっぱりわからないわ。難しすぎたかしら」




 夕食を作り終えたころにトビさんが帰ってきて、二人で会話をしながらゆっくりと食事をして、夜遅くに先生が傷だらけで帰ってきて、無言の先生の治療をしてから眠りにつく。


 その日は、昨日までと同じ、普通の日だった。

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