第175話 市場

「トビさん、できまし――できたよ」


 私が朝食を用意している間、トビさんは一瞬で服を脱ぎ捨てると、ドアの開いた湯あみ場で水を張ったおけに飛び込み、気持ちよさそうに水浴びをしていた。


 トビさんの朝食は、大きなボウル山盛り一杯のサラダ。

 ことりと床に置けば、ふちを前脚で押さえて、器用に口だけで食べる。


 野菜だけで足りているのか不思議だけど、昼食はどこかで食べているらしく、そこで補っているそう。


 私は身支度を整えるために一度寝室に入った。


 チークをほんの少しだけのせて、室内履きからショートブーツに履き替える。

 もともと着ていた服は、膝が隠れるくらいの長さの緑色のスカートとクリーム色のシンプルなブラウス。ハイウェストなのが今の流行で、ここだけは譲れない。

 髪を首元で二つに結べば、その辺を歩いている街娘に見える。


「金髪なのが、目立ちますわよね……」


 自分の髪を見て、はぁとため息をついた。

 あの頃はあんなに自慢だったのに。


 珍しい金色。

 誰もが褒めてくれて、お父様もお母様も嬉しそうにして下さっていた。


「いくら魔力があっても、制御できなければ……」


 杖を使えば弱すぎて、使わなければ暴走する。

 出力の調整もできなくて、最後は魔力切れ。


 先生と旅をしていた時のことを考えて、またため息をついてしまった。


「いいえ。ダメですわね。過去のことを悔やんでも仕方がありませ――ないわ。今は今できることをやるだけ」


 ぱんっと、両ほほを叩いて気合を入れなおし、部屋から出ると、トビさんも服を着替えていた。


 茶色いズボンに白いシャツ。

 私と同じで、平々凡々な服装だ。


 ――真っ赤な髪を除けば、だけど。


 私ほど珍しくはないけど、ここまで鮮やかな色もなかなかない。

 王都であっても、ときどき見かける程度。

 それも貴族区画が多くて、一般区画で見るのはまれだ。


 流れ者ならいてもおかしくはないけど、王都に長居するのに、ずっとそういう格好で、ずっと宿に泊まり続けるなんてわけにもいかないし……。


「そふぃ?」


 黙ったまま動かない私を見て、トビさんが首をかしげた。

 濡れた髪から、ぽたりとしずくが床に落ちる。


 ドラゴンの姿で水浴びをしているのに、どうして髪が濡れているのか、いつ見ても不思議。


「ちゃんと髪を拭かないと、風邪ひくよ」


 湯あみ場の中にかけてあるタオルをとって、トビさんに向き直ると、トビさんは頭をぷるぷると細かく何度も振った。


「トビさんっ!」


 細かい水滴が飛んできて、手を顔の前に持ってきて抗議すると、「あ」という顔でトビさんが止まった。

 ほとんど乾いた髪が、ふわっと頭の上に落ち着いた。


「もう。それやめてって言ってるのに」


 私は一言文句を言って、手にしたタオルをかけ直した。


「ごめん」

「そんなに怒ってないわ」


 しょんぼりとしたトビさんに、笑って告げる。


「でも、先生の前でやったらだめよ」




 ざっくりと編んだかごを持ってトビさんと来たのは、あまり裕福ではない市民向けの市場。


 食材が加工されずに並んでいて、野菜に土がついているのは当然で、大きな獣を丸ごとつるして、その場で切り分けながら売っていることもある。


 どれも王都近郊でとれたものばかりで、形も色もばらばら。

 虫に食われていたり、小さすぎたりと、店でも出さないような物も多く、国中から集まる品物であふれかえっている、表の市場のきらびやかさとは程遠い。


 昼前には終わってしまうから、こうやって朝一に買いにくる必要がある。


 でも、その代わり、安い。


 お金は先生が置いて行ってくれるけど、元々全然持っていなくて、スラグの討伐の代金もあの騒ぎでなんだかうやむやになってしまって、先生が今後のことを話してくれない以上、できるだけ節約をしておきたい。

 リズさんたちに借りていた分も返さないと。


 何より、貴族と関わりのある人たちに出くわさないのがいい。


 表の市場で買い物をしていたときは、富裕層の人間こそそんなにいなかったけれど、うちに来たことのある商人や、どこかの家の使用人らしき人物を見かけては、びくびくしていた。

 頭にスカーフを巻いて髪色を隠したり、トビさんの後ろに隠れたりしたけれど、そのトビさんも目立つものだから、誰もこちらを見ていないとわかっていても、安心してはいられなかった。


 私が戻っていることが家に伝わったら、連れ戻されてしまうかもしれないもの。

 服装も言葉遣いもそのために変えたんだから、絶対に見つかるわけにはいかないわ。



「こんにちは。今日はいいのが入ってる?」


 この数日で馴染みになった、魚売りのおじさんに声をかける。

 自分で捕っているというおじさんは、褐色の肌をしていて、短髪がよく似合う。


「おう、嬢ちゃん。今朝はハガーがいいよ」

 

 おじさんは、私のブラウスと同じ、薄い黄色の魚を指差した。


「そうねえ」


 ハガーと言われても、私にはどんな味なのかわからない。


 調理前の魚を見ることなんて滅多になかったし、先生と移動していた間も、魚よりは肉の方が多かった。


「どう思う?」


 後方を見上げてたずねると、トビさんは顔を横に振った。


 捕って食べたけど、美味しくはなかったのね。


「やめておくわ。トビさん、このお魚はあまり好きじゃないみたい」


 おじさんは、残念そうに肩をすくめた。

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