第一章 復活

第174話 朝食

「ん……」


 横で眠るトビさんが身じろぎをして、揺れたベッドの振動で目が覚めました。

 カーテンの隙間から朝日が差し込んで、ベッドの足元に光色の直線を描いています。


 トビさんはふわぁぁと大きくあくびをして目をこすり、上体を起こしたわたくしを寝ぼけまなこで確認したあと、再び目を閉じて眠りに落ちてしまいました。


 わたくしは知っています。

 トビさんが、わざと体を動かしているのを。


 ほら、朝の鐘のが聞こえてきます。

 先生が出かける前に朝食の準備を済ませるわたくしのために、いつも同じ時間に起こしてくれているのです。


 わたくしはベッドから下りて、わたくしがめくってしまった布団をトビさんにかけ直しました。


 トビさんの顔に朝日が当たらないように、カーテンを半分だけ開けました。

 窓も少しだけ開けて、顔を出して空を見上げます。


 今日もすっきり晴れていて、気候の安定している王都らしい天気です。

 胸一杯にひんやりとした空気を吸い込めば、ほんのりとイリビ草の甘い香りがしました。どこかの軒下に吊り下げてあるのかもしれません。


 朝早いので、前の通りを歩いているのは、お使いをしているらしき、小さな男の子だけでした。

 けれど、正面の建物の向こうにある大通りの方からは、人の気配やざわめきが伝わってきて、開店準備が始まっているのがわかります。


 今頃、荷物運搬用の街門の前では、昨日のうちに仕入れた商品を山積みにした荷車がたくさん並んでいて、次の鐘を待っていることてしょう。

 商業でいえば隣のエリットの方が盛んですが、王都の人口を支えるためにはたくさんの物資が必要で、お金持ち相手に商売をするならば、やはりここにくるのが一番です。

 多くの商人たちは、このままどこか別の街へと向かうのでしょうが、中には隣のエリットへ商品を仕入れに行く荷車もあります。

 抜け目のない商人たちは、王都で売りさばいてからになった荷台のままエリットに行くなんてことはせず、その短い距離さえ、何かを運んで稼ごうとするのです。


 王宮のある右手に顔を向けても、ここからでは遠すぎて、屋根のひとかけらも見ることができません。


 その手前には高級住宅の並ぶ区画があり、わたくしの家もそこにあります。

 買い物は区画内で済ませ、人づき合いも区画の中。王都を出るときは専用の街門を使っていました。こちらには出てこなかったわたくしは、王宮が見える範囲で暮らしていたのでした。


 あちらの区画とこちらの区画の間には、仕切る壁こそあるものの、内門は常に開いていて、国民が自由に出入りすることができます。

 一般市民があちらの区画に入ろうと、その逆であろうと、門兵にとがめられることはありません。


 なのに、どうしてあの頃のわたくしは、こちら側に来なかったのでしょう。

 

 こんなにも刺激的で、なんでも自分の手でできて、毎日自分の好きなようにすごせますのに。


 ……あの頃のわたくしがここに来ても、使用人がついてきて、自由なんてございませんでしたけど。

 

 トビさんが背を向けているのを確認して、私はぱぱっと寝間着を着替えました。

 淑女たるもの、みだりに殿方に肌をさらしてはなりません。


 トビさん殿方と同じ寝台で眠るのは――


「ドラゴンですから、いいのですわっ!」


 わたくしは頭を振りました。


 だって、この家にはベッドが二台しかありません。

 先生はお一人でお部屋に入ってしまわれますから、トビさんはわたくしの部屋の、わたくしのベッドで眠る他ないのですわ。


 それに、トビさんに触れながら眠ると、なんだか気持ちがよくて……。


 あら。いけない。


 早くしないと先生が起きてきてしまいますわ。

 お昼もお夕飯もろくにとっていらっしゃらないのでしょうから、朝食くらい、しっかりと召し上がって頂かないとっ!

 



「いってらっしゃいませ。お気をつけて」


 先生は、いつもの通り、わたくしのお見送りには言葉を返して下さいませんでした。

 黙って出て行かれるだけです。


 でも、こうやってお見送りができるだけでよいのです。

 額にできたすり傷も、れたほっぺたも、きれいに治っていました。


「トビさん。おはようございます。今日はお早いんですのね」


 お皿を洗おうとテーブルの上を片づけていたら、寝室からトビさんが出てきました。

 いつもは片づけが終わった頃に起きてくるのに、珍しいです。


 うろこと同じ赤い髪が、寝癖で大爆発しています。

 どうしてこんなことになるのか不思議で仕方がありません。


「おはよー」

「トビさんの分はまだできていませんの。片づけてから用意しますから、少しお待ちになって下さいな」


 左手に着替えを持ち、右手を寝間着に入れて肩のあたりをかいていたトビさんは、そのままの体勢で、じっとわたくしを見つめてきました。

 まぶたが半分下がっていて、機嫌が悪そうです。


「い、急いで用意しますわっ!」


 重ねて持っていた皿をテーブルの上に置くと、トビさんが、手を止めて深くため息をつきました。


「あの、わたくし、何か気にさわることをしましたか?」


 するとトビさんは、服の下から手を出すと、テーブル越しにピシッと指を差し――


「あうとー!」


 あ。


「あああ……」


 私は床に崩れ落ちました。


 またやってしまった。


 やり直し、やり直し。


 立ち上がり、もう一度言う。


「トビさんの分はまだできてないの。すぐ用意するから、ちょっと待っててね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます