第171話 手

「あの……一体、何の話をしているんですか?」

「後で話す」


 我慢が出来ずに発した疑問に返ってきたのは、師匠の素っ気ない一言だった。


「陛下は妹姫様に王位を譲られるとのことでしたが、それも急なことで混乱しているんですが、でも、それよりも、今の話じゃまるで、リズが死ん――」

「ノト」


 静かだがきっぱりとした声だった。

 それ以上口を開くのを許さない。そう、目が告げていた。


 師匠の言葉は絶対。


 俺は身をもって知っていた。だけど――。


「でも――」

「いい加減にしろよ」


 食い下がろうとしたところで、パースにさえぎられた。


「少し一緒に仕事をしただけの相手にそこまで入れ込むなんて、らしくない。その女がどうなろうと関係ないだろ?」

「お前、女王陛下に向かって――」

「今は確かに女王サマだ。だがどうせすぐに退位する。国民おれたちにとって大事なのはという存在であって、一個人じゃない」

「そんなこと――」

「じゃあ、先代の女王が今どうしているのか知っているのか? 知らないだろう? おれだって知らない。王宮の中で静かに暮らしているんだろうさ」


 図星だった。

 俺は、先代の女王陛下の今の姿を知らない。

 それどころか、ご尊顔すら記憶が怪しい始末だった。


「だが、この女王は、忘れられることはないだろうな」

「パース」


 師匠を無視し、パースはずいっと顔を近づけてきて、ささやくような声で続ける。


「歴史に残るだろう。この国のシステムを、崩壊させた女王として」

「パース」


 師匠がイライラした声を上げる。

 だがパースの口は止まらない。


「それをやるのはノト、お前だ」

「パース!」


 パースは降参とばかりに両手をあげて、元の位置に下がった。


 俺?

 俺がやる? 何を?


「それはどういう――」

「話は終わりだ。大臣、陛下と侍女を」

「そうですな。我々には関係のない話のようですから」


 師匠にうながされて、バドゥが近衛兵に指示を出す。

 お手を、と兵が差し出した手をリズは断り、さやに収めた剣をその手に乗せた。


「やめて! 触らないで!」


 兵に連れて行かれそうになったシャルム――シャルロッテが暴れる。


「ノト! お願い、助けて!」


 緑色の瞳から涙をこぼしながら伸ばしたその手は、兵につかまれ、拘束されてしまった。


「ノト……お願い……陛下を……」


 消え入りそうなシャルロッテの声につられて、足が前に出る。


「ノト。だめだ」

「師匠、でも……!」

「わたしの言うことが聞けないのかい?」


 口調とは裏腹に、真っ赤な唇が、にいぃぃと弧を描いた。


 その三日月が眼前に迫ってくるような、視界が赤で塗りつぶされていくような錯覚を覚える。


 ああ。

 俺はこのひとには逆らえない。


「さあおいで。わたしのかわいいノト」

「ノト! お願い!」


 俺は、拘束を振りほどいて必死に伸ばされた小さな手――ではなく、血で染め抜いたような真っ赤な爪の手をとった。

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