第130話 リスク

 街の外側に向かうにつれ、混乱は増していった。

 隣の家のドアを叩く者、荷物を抱えて転げ出てくる者、店を開けたところで話しかけられ、慌てて閉める者、子どもの手を引いて中央に向かう者。

 それはさざ波のように広がっていく。


 ようやく、危険を知らせる鐘が街に鳴り響いた。


 火事や犯罪者が街に逃げ込んだ時などに使われてきた。獣の侵入に対して使われるのは、長い歴史の中、おそらく今回が初めてだ。


 一気に辺りが騒がしくなる。

 建物の中にいた人が外に出て避難している人に事情を聞き、慌てて建物に飛び込み、荷物と家族を連れて出てくる。


 宿に泊まっている流れ者たちも、装備を抱えて出てきた。危険が目の前にあるわけではないのを知り、手早く装備を整えていく。

 指示をあおぐつもりなのだろう、一同は非難する人と同様、協会のある中心部に向かって行った。


 建物の隙間から街壁がちらちらと見えるようになった頃、進行方向から悲鳴が上がった。


 悲鳴を頼りに路地を曲がれば、大型のスラグに対する三人組がいた。

 その背後には、子どもを抱えてうずくまる女性。


 プレートに身を固めた剣士が、スラグの攻撃を防いでいる。

 後ろからも身軽そうな剣士が一人攻撃を加えているが、あまり効いてはいなさそうだ。

 少し離れた所で、赤いローブをまとった黄土色の髪の魔術師が、呪文を唱えている。


「ソフィ、女性を逃がせ」

「はい」

「ち……トビは俺の補助だ」

「あい」


 返事までできるようになったのか。ソフィの指導は厳しそうだ。

 思わず口元がほころんでしまった。


 ふところから折り畳まれた魔法陣のたばを取り出して横に並ぶトビに渡す。


「これを順番に起動してくれ」


 受け取りながら、じっと見つめてくるトビ。


「誰でも起動できるようにしてある。対象は俺。すぐ近くにいないと空振からぶるし、その分効果も落ちているけどな」


 トビは首をひねりながらも魔法陣を開いていく。


 手のひら四枚分の陣は、普段よりもずっと大きい。

 そこにびっしりと線や文字を描き込んである。

 所々にいにしえの文字も入れてあるのはリスクでもあるが、複雑すぎて通常のやり方では無理だった。


 地面に置いた陣の上にしゃがみ込んだトビが手のひらを乗せる。

 俺はトビに触れるくらいに近づいて隣に立ち、肩に手を置いた。


 トビが見上げてきたので、小さくうなずいた。


 トビの手のひらから魔力が放出されて、青白い光がインクをなぞるように内側から外側へと伝っていく。

 すぐに魔法陣全体が光り、唐突に消えたかと思うと、陣は紙ごと消滅した。


 トビが、え、という顔で見上げてくる。


「大丈夫だ。成功している。気にせずやってくれ」


 トビはすぐに下を向き、次々に魔法陣を起動していく。

 俺の耳には、補助魔法がかかるときのシュンッという小さな音が入ってくる。


 待っている間に、スラグを観察する。


 プレートの剣士はよくやっている。大きな剣を振るい、防ぎながらも隙があれば攻撃を仕掛けており、前脚に細かな傷をつけている。


 剣士が大きく剣を振り、スラグをのけぞらせたところで、二人の剣士がスラグから飛び退いた。

 そしてスラグの背中に魔術師の雷撃が直撃する。


 ギャッと鳴いて硬直したスラグの後ろ脚に、身軽な剣士が鋭い一撃を加えた。


 深い。が、けんを断つまでには至らない。


 その剣士は、着地したところを、後ろに蹴り上げた後ろ脚の直撃を受け、宙に舞った。


 魔術師が思わずといったように、小さな悲鳴を上げる。

 慌てて口をつぐんでももう遅い。呪文は中断され、宙に溶けた。

 泣きそうな顔で魔術師は再び呪文を唱え始める。


 女性を逃がしたソフィがこちらに戻って来ようとしたとき、プレートの剣士がスラグの前脚を防ぎきれず、地に縫いとめられた。

 悪態をつきながらもがいているが、腕も押さえつけられているため、攻撃もままならない。

 反対の手をふところに伸ばしているのは、魔石を使うためだろうか。


 足掻あがく剣士に、スラグは容赦なくその牙を向けた。


 剣士が目をつぶり、自らの死を覚悟したとき。

 スラグは見えない壁によってはばまれる。


 魔術師の障壁が間に合ったのだと思った。

 しかし、その後に続いた攻撃で、それが間違いだったと知る。


 ごつんと顔をぶつけて動きを止めたスラグの横っ面を殴り飛ばしたのは、ソフィだった。


 俺は額に手を当ててため息をついた。


 女性はこちらに被害なく助けられそうだったから助けたのだ。

 ソフィはあいつをかばうことでどれだけのリスクを負うのかわかっていない。

 一人で相手取ることなどできやしないのに。


 スラグは血をプッと吐き出し、すぐに標的をメイスを構えるソフィに変えた。


 押さえつけていた剣士の顔を一撫ひとなでし、引っかけた爪で、熟れたホウのような赤いぐちゃぐちゃした塊に変えた。

 顔の肉をごそりとかき取られ、首元も引っかかれたのか、血が地面に広がり、吸い込まれていく。


 魔術師が泣きわめきながら駆け寄り、魔石を握らせた。

 呪文に嗚咽おえつが混ざり、ちゃんと唱えられていない。


 その向こうで、ソフィはスラグの攻撃に苦しんでいた。


 防ぎ、かわしてはいるが、限界がある。

 ついにスラグの前脚がソフィをとらえ、吹っ飛ばされたソフィは壁に激突して、ずるずると滑り落ちた。


 言わんこっちゃない。


「トビ、もういい」


 まだ魔法陣は残っているが、これ以上の時間はかけられない。


 剣を抜いて駆け出す。

 体が軽い。

 魔法陣の効果が現れている。


 ソフィに食らいつこうとして大きく開かれたあご


 それが閉じる前に、俺はソフィとの間に滑り込んだ。

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