第101話 嫉妬

 肩で息をしているソフィが、ずるずると下半身を獣の下から引き出し、そのまま地に転がった。

 

「起こせと言っただろう」

「起こし、ましたわっ。先生が起きて、下さらなかった、んですの」


 見上げるように顔をこちらに向けて、むすっとしている。


「う……」


 俺はソフィから目をそらした。

 そんなわけがないと言い切る自信がなかった。


「先生! 傷だらけじゃありませんの!」


 目を見開いたソフィが、ガバッと体を起こした。


「ん、ああ、大したことはない」

「血だらけですわ! ちびさんまで! ってちびさんお顔が! なんてこと……!」


 見ると、ちびは腕についた傷をちろちろと舐めているところで、名前を呼ばれて上げた顔は、目こそ無事なものの無残に切り裂かれていて、ほほの肉がごそりと削り取られていた。


「おまっ、それ痛くないのか……?」


 思わず顔をしかめてしまうと、ちびはむっとした顔で「痛いけど?」と訴えてきた。


「座って下さいまし!」


 駆け寄ったソフィが腕をぐっと引き下げて、ちびを無理やり座らせる。

 握った部分にも傷はあって、ちびが少し痛そうにしたがソフィは気が付かない。


 ちびの顔に両手をかざすようにして、呪文を唱える。


 ちびは、ちょっと大丈夫なの、という顔でこちらを見た。

 俺は肩をすくめて返す。


 回復魔術はちゃんと使えていたんだし、大丈夫だろ。


 案の定、ソフィが唱え終わると両手に淡い光が生まれ、ゆっくりとちびの顔の血が止まっていき、肉が盛り上がり始めた。


「わたくしにできるのはここまでですわ」


 ソフィがひたいの汗をぐっとぬぐった。

 ちびの顔には大きな引きれた傷が残ってしまったが、血は止まっており、痛みもなさそうだ。


「街で専門の魔術師に見てもらえば、きれいに治りますわ」

「そーひー」


 立ち上がったソフィの首に腕を回し、ちびが軽く抱きしめた。感謝のつもり、なのだと思う。

 ソフィも一度ぎゅっとちびを抱きしめてから、体を離す。


「さあ、他の傷の手当てもしましょう。大した傷ではなくても、んだり毒が入ったりしたら大変ですわ」


 ちびがこくりと頷いて、にこりと笑った。

 ソフィもそれに笑い返す。


 ……なんだろうな、この雰囲気。

 ペットと弟子を同時に取られたようでなんだか寂しい。


 たっぷり時間をかけて丁寧にちびの傷を塞いだあと、ソフィはこちらを振り返って、驚いたように言った。


「先生のこと、すっかり忘れていました!」 


 おい。




「先生、この獣、何て言うんですか?」


 ソフィがつま先でぐりぐりと獣を蹴りながら言った。

 足クセ悪いな。


「知らない」

「え!? 先生でもご存知ないのですか!?」

「お前は俺のことを何だと思っているんだ。こんな森の奥にいる獣のことなんざ知るわけがないだろう」

「見た目は、熊ですわよね」

「だな。だが、ルーダガやワガットとは全然違う。こんな硬い毛――こりゃ毛というよりは針だな――を持つような獣の話は聞いたことがない」


 尻尾の毛を指で触りながら答える。


 先端は少し押したくらいで刺さるほどの鋭さはないが、硬くて容易には曲がらない。

 これで皮膚を撫でられたら、肉をごっそり持ってかれるのも納得だ。


 痛かっただろうなあと、隣で何食わぬ顔をして同じようにつんつんと触っているちびの顔の傷を見て思う。


「まさか、わたくしたち、女王陛下のご加護を越えてしまっただなんてことは……ございませんよね……?」

「国境を? それはないな」


 なんせ、横にドラゴン魔物がいる。

 魔物は国境女王陛下のご加護を越えられない。


 ターナリック国にいる唯一の魔物であるドラゴンたちは、女王陛下のご加護によって閉じ込められてしまった存在なのだから。


「でしたら、これは魔物ではなくて、ただの獣なのですわね」

「当たり前だ。魔物つったら、最低でも特級持ちだけで構成された十人規模のパーティが必要なんだぞ。場合によっては軍隊で立ち向かうときもあるくらいだ。こんな小物が魔物なわけないだろ」

「軍隊で討伐しようとしたドラゴンを先生は――」

「そんなことより、だ!」


 俺はソフィの言葉を遮った。

 ちびにこれ以上聞かれたくなかった。


 ドラゴンに魔力を与え続けていた小さなドラゴン。

 そのときのことをどう思っているのかはわからないが、仲間のドラゴンを討伐したことはあまり話したくない。


 横目でみるちびはまだ尻尾の毛をもてあそんでいて、表情は読み取れなかった。


「これからどうするかを考えよう。流された跡をたどれば元の位置には戻れるが、この規模じゃ憲兵たちも気がついて、こちらに向かってきているはずだ。だから俺たちは、このままゴラッドを目指す。方向は大体……こっちだ」

「……あっちです」


 ゴラッドと思われる方を指差したが、即座にソフィに訂正された。


「ま、まあ、ともかく、だ。ゴラッドの方に向かう。このまま北に戻るより、森から抜けるのも早い」

「わかりました。先生がそうおっしゃるなら、わたくしは付いていくだけですわ」

「それじゃあ、さっそく――」


 ぐぅぅぅ……。


 ちびの腹の虫が鳴った。


「――昼飯にするか……」

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