第100話 寝起き

「人間の姿じゃ食べにくいのもわかるが、生肉食べてから人間になると腹壊すかもしれないぞ」


 ちびがぱっと頭を上げると、トラティットの腹に向き直り、「くあ」と言った。

 

 ボッと現れる炎。

 肉があぶられ、油がパチッと跳ねていい匂いが漂った。


 ああ美味そう。


 じゃなくて。


「ソフィに見られたらどうする。ほら、さっさと服着ろ。ソフィを起こして焼かせるから。こら、そこで変わるな。変わるのも裸でいるのも見られたらまずいだろ。隠れてやってこい」


 ちびは脱ぎ散らかしていた服を器用に爪でつまんで集め、口にくわえてのそのそとしげみの向こうに消えた。


 そういえば、人間の姿で魔術を使わせたことはないな。


「ちび、そのままじゃ炎は出せないのか?」


 がさりと現れた赤髪の青年を見て、言ってみる。


 ちびは小首をかしげて首を振り、たぶん無理、という顔をした。


「やってみろって」


 うながすと、右の手の平を上に構えたちびが、口を開く。


「うああ」


 何も起きない。


「うぁあ」


 何も起きない。


「ぅあぁ」


 何も起きない。


「いい。わかった。呪文を唱えなきゃ無理なんだな。声の質が違いすぎる」


 ちびの表情が、ほらね、と言っていた。


「じゃ、ソフィを起こしてくるから、適当にやってくれ。索敵を頼む。俺は寝る」


 任せてー、とちびが手を挙げた。



「ソフィ、起きろ、朝だぞ」


 木によじ登り、ソフィが座る枝に足を乗せて声をかける。上の枝を掴んで体重をかけすぎないようにするのを忘れない。


「ん……」

「ソフィ、起きろ」

「もう少し……」


 縛られたソフィが寝ぼけた声で身をよじる様子は、色々とよろしくなかった。


「起きろー。朝だぞー」


 ぺちぺちとほほを叩くと、ソフィがうっすらと目を開けた。


「せんせぇ?」

「よだれ垂れてんぞ」

「え!? 痛っ!」


 飛び起きようとしたソフィは、ロープに体を食い込ませる結果となった。

 真っ赤な顔でごしごしと口元をぬぐっている。


「ちびに朝食を食べさせてやってくれ。頼むから黒焦げにしたりするなよ? 俺は寝るから、敵が来たら起こしてくれ」


 ロープをほどいてやりながら、ソフィに説明をする。


「今から? 寝てらっしゃらないんですの?」

「見張りをしてた。夜の方が危ない。こんな奥じゃ、何が出るかわからねえしな。多少は寝たが」


 ふわぁとあくびが出る。


「いいか、獣が来たら絶対起こせよ。自分たちで何とかしようと思うな。どんなに小物でも起こせ。俺は気づかないからな。絶対だぞ?」


 まだかなーと待っているちびのそばにソフィを連れて行き、何度も念を押して、近くの木の根元に座り込んだ。

 大活躍だった血で真っ赤に染まった枝は、傍らに置く。


 あー……ねみぃ。




 唐突にバチンッと破裂音が鳴り、視界が真っ白になった。


 面食らって目をしばたたせると、両頬が熱を持ち、じんじんと脈打つような鈍い痛みがやってくる。


 手首をつかまれ、強制的に引き起こされた。


 戸惑う視線の先には、茶色い獣に組み敷かれているソフィの姿が。


 熊のようなその獣は、口を大きく開けているが、ソフィが両手で横に持った枝でなんとか噛みつかれるのを食い止めている。

 ぼたぼたとよだれがソフィの顔に落ちていた。


「せ、せんせぇ……」


 絞り出すような声。

 余裕がなくて魔術が使えないのか。


 視界の横を、赤い髪が抜けて行った。

 俺もつられるようにして走った。


 ちびが獣に体当たりをかます。

 

 しかしびくともしない。


 逆に長い尻尾で打ち払われてしまった。

 ピッとちびから血が飛んだ。


 ふさふさに見える尻尾の毛は実は硬いのだろう。容易に肌を切り裂くほどに。


「ソフィ、動くな、よっ!」


 言うと同時に、ソフィの頭のすぐ横で踏み切って跳び、回し蹴りを放つ。

 ゴッという鈍い音はしたものの、効いた感触はまるでなかった。


 固ぇっ!


 獣は俺の攻撃など意に介さないように、ソフィに牙を近づけていく。


 かと思うと、ソフィの持つ枝からあごを離し、こちらを向いてグゥルルゥと鳴いた。


 ふわりとそよぐ空気。


 まずいっ!


 とっさに両手で顔をかばう。


 次の瞬間、無数の風の刃が全身を襲った。


「く……っ」

「ぅああぁっ」


 ちびの悲鳴も上がった。


 見れば、刃は全方位に放たれたらしい。俺もちびも服ごと細かく切り傷がついた。


 威力は大したことはないが、当たりどころによっては致命傷になりうる。


 再びソフィに噛みつきかかった獣は、しかし枝によってのどを押さえられ、ソフィの眼前でガチンと歯を鳴らすに止まった。


「こんのぉぉぉ……ですわっ!!」


 頭を下げようとする獣と、それを防ごうと力任せに押し上げるソフィ。

 首を引っ込めればいいのに、獣も意地になっているのか押し合いを続けている。


 その機を逃すほど馬鹿ではない。


「よくやったっ!」


 ソフィによって正面に向かされた顔面を蹴りで潰し、さらされた喉元を蹴り上げる。


 獣はブオォォルゥゥと鳴き声をあげなから地に倒れた。

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