第97話 濁流と炎

「でも、あの大きなスラグもいることですし、ここからゴラッドまで歩くだなんて、何日かかるかわかりませんわ。こんな夜営の用意もない状態で、周縁部とはいえ森を行くなんて……」

「確かに無謀だが、それ以外に逃げるすべがない。ゴラッドまで行けばツテがあるんだ。もしくは大人しく投降して、容疑が晴れるのを待つか、だ。俺は死傷者を出して逃亡した挙げ句に、追っ手に毒矢を浴びせかけたわけだから、容疑が晴れたとしてもそれなりの刑罰は食らうだろうが、お前は何もしていない。脅されたとでも言い張ればなんとかなるだろう」

「ちびさんは? ちびさんはどうするのです? ちびさんこそ何もしておりませんわ」

「ちびは俺が連れていく。面倒を見ている責任があるからな」


 ドラゴンをほっぽって行くわけにはいくまい。


「そんな……! わたくしだって先生の弟子なのですわよ!? 先生が責任を持って導いてくださらないと! 第一、最初に逃げたのは先生で――」


 はっとした顔でソフィが手で口を押さえた。


「――すみません」

「いいんだ。魔法陣を燃やされたって聞いて、カッとしてしまった」


 ソフィが、「ん?」という顔をした。


「先生、今なんと仰いまして?」

「いや、魔法陣を燃やされて、カッと――」


 ソフィはうつむいて、太ももの横で握りしめた拳をぷるぷると震わせていた。


「お、おい、どうした?」


 ここで泣くのか? なんで?


「……せない」

「え?」

「許せない……許せないですわ……先生の、先生の魔法陣を燃やしたですってぇ!? 先生、今すぐアルトに引き返しましょう! あの芸術性を理解できないやからには生きている価値はありません! わたくし自らぶっ潰して差し上げますわ!!」


 ソフィは鬼のような形相をしていた。

 襟首を掴まれて、がっくんがっくんと首を揺さぶられる。


「ちょ、絞まってる、絞まってる……!」


 こ、これが、ガジェリコを振り回す怪力か……。


 俺、ここで死ぬかも。




 顔に水がかかり、はっと目を覚ました俺は、自分が水の中で溺れかけていることに気がついた。

 森の中を濁流に飲まれて流されていたのだ。


 通り過ぎていく木にしがみつこうと足をバタつかせるが、流れが速すぎて思うように体を動かせない。


 そうしてもがいている間に、水面近くに伸びていた枝に気がつかず、頭をしこたまぶつけた。

 痛っと思ったときにはもう視界は暗転していた。




 体が燃えるように暑く、うなされて目を覚ました俺は、なぜか炎に囲まれていた。

 ごうごうと燃え盛る木々がぐるりと囲み、そこから火の粉が振りかかってくる。

 息をするだけで肺が燃えてしまいそうだった。


 すぐさま起き上がって口を塞ぎ、抜け出せそうな場所を探すも、一面炎が揺らめいていて、どの壁が薄いのか皆目検討がつかない。


 すると急に息苦しさを感じた。


 ああ、そうか、燃えているから、呼吸が……。


 ばたりと伏した地は、まだひんやりとしていて、あぶられた顔が冷えて気持ちがよかった。




「うぐっ、先生、先生……」


 ぽたりと液体が頬に落ちてきて、目が覚める。


 視界には、涙で顔をぐちゃぐちゃにしているソフィと、眉を寄せて難しい顔をしているちびの顔。


「どうして泣いているんだ?」


 言うとちびがやれやれという顔で離れていった。


「先生、わたくし、わたくし、先生を……」


 ああ、俺はソフィに絞め落とされたのか。


「次から気を付けてくれよ。まさかお前に気絶させられるとは――」


 へらっと笑って体を起こした俺は、目の前の光景に絶句した。


 周り一帯が炎で焼き尽くされ、木は立ったまま炭と化していた。

 しかしその外側の木々は、何事もなかったかのように、青々と葉を繁らせている。


 正面には、森の中を、なにか巨大なものが木々をなぎ倒しながら通ったような跡が、ずっと向こうから続いていた。


「これは一体……?」


 真っ先にちびの顔を見てしまったが、ちびは知らないよという顔をしている。


「先生が、倒れてしまわれたので、起こそうと思って、水を……」


 水を。


「そしたら濡れてしまわれたので、乾かそうと思って、火を……」


 火を。


 ぼんやりとした記憶がよみがってくる。


 濁流に流されて、炎にまかれた。

 ような、気がする。


 なんだかちびの鼻の頭にはすすがついているように見えるし、ソフィの服はさっきはなかった焦げ跡のようなものがあるように見える。


 記憶と、目の前の光景が一致して、俺は後ろに倒れこんだ。


「で、ここはどの辺だ?」

「わ、わかりません~~~っ!!」


 広大な森の中、俺たちは迷子になっていた。

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