第96話 棍棒

 キャーー……


 そのとき、遠くから、かすかにソフィの悲鳴が聞こえた。


「ちぃ……っ」


 ちびがいても全く獣と遭遇しないのは無理か。


 声のした方に走り、二人を探す。


 キャーキャーと悲鳴が連続で聞こえてくる。


 まずいかもしれない……。


 そう思ってかき分けた茂みの先では、太い枝を手にしたソフィと頭を抱えて丸くなっているちびが何頭ものスラグに囲まれていた。


 一匹のスラグが二人に飛びかかった。


 とっさに腰の後ろに手を回す。

 しかしそれは空振りに終わる。


 魔法陣――はない、のかっ。


「くそっ」


 足を踏み出すも、絶対に間に合わないことはわかっていた。


「キャーッ」


 ソフィが目をつぶり、構えた枝を体に引き寄せて縮こまったまま悲鳴を上げる。


 ――と思ったら、手にした枝を素早く振り抜き、ばちこーんっとスラグを叩き飛ばした。


 ギャンッと悲鳴を上げ、木に背中からぶつかるスラグ。


 次のスラグが何匹か飛びかかろうと構えるも、キャーキャー言いながらぶんぶんと枝を振り回しているソフィには近づけないようだ。


 体を低くして枝の下をかいくぐって近づいたスラグは、上から振り下ろされた枝に脳天を直撃され、その場に沈んだ。


 おいおい。なんだあの動きは。

 剣を持っていたときよりもずっと軽い身のこなしだ。


 その時、近づいた俺に気づいた二匹のスラグが振り返って飛びかかってきた。


 踏み出した左足を軸に右足を振り上げ、つま先から一頭目に回し蹴りをお見舞いする。

 さらに後ろ向きに地についた右足を軸にして回転の勢いをそのまま乗せ、左足のかかとで二匹目も蹴り倒す。


 わざと重くしてある靴が、頭にめり込み、二匹は悲鳴も上げずに地を転がった。


 その間もソフィは悲鳴を上げつつスラグに打撃を与え続けている。


 もしかしてあの丸くなっているちびは、スラグにおびえているのではなく、振り回される枝から身を守ろうとしているのでは……?


 結局、その場のスラグはみなソフィが打ち負かしてしまった。

 


「そ、ソフィ……?」


 いまだぶんぶんと枝を振り回しているソフィに、恐る恐る声をかける。

 黙って近づいたら俺まで攻撃されそうだ。


 ソフィがびくっと肩を震わせて体を縮こませ、そろりと片目を開けて俺を見た。


「せ、先生……」


 ドスッと変な音を立てて枝が地に落ちる。


 泣きそうな顔で両手を伸ばし、俺の胸に飛び込んできた。


「先生、怖かったですわ……剣もなくて、囲まれて……。ちびさんを巻き込んでしまうのが怖くて魔術も使えなくて、それで、それで……」

「あー。よしよし。よくがんばったなー」


 とりあえず頭を撫でてやる。


 ちびが丸まったまま顔を上げた。げっそりとしていた。

 こいつどうにかしてくれんかと訴えているような気がした。


 俺は気づいていた。


 ソフィが振り回していた枝、渦巻き模様が特徴的なごつごつとしたそれは、ガジェリコ――「王宮の柱」「竜の骨」「鍛冶屋泣かせ」と様々な異名を持つ、滅茶苦茶硬くて滅茶苦茶重い木のものであることに。


 あの大きさの枝が落ちていたというのも不思議な話だが、根元が無理やり折られたかのようにいびつになっていて、生木なまきが見えている所を見ると、ソフィが……。


「ソフィ」


 俺はがしっと両肩を掴み、ソフィを引きはがした。


 細く華奢きゃしゃな肩だ。


「な、なんですの?」


 じっと見つめる瞳が揺れている。


「お前に合った武器は、剣じゃなくて棍棒こんぼうだ。これからはメイスを持て」

「わたくし、棍術なんてできませんわ」

「いや、絶対に棍棒の方が向いている」

「そうでしょうか……」

「とにかく、今は剣がないんだから、あの枝を持っていろ」

「わかりましたわ」


 この細腕があの重量を持ち上げ、あの速度で振り回せるとはとても信じがたいが、目にしてしまったのだから信じるしかない。


「先生が持っていた方がよろしいのでは?」

「い、いや、やめておく」


 向こうでちびが枝を拾おうとして、顔を真っ赤にしているのが見えた。

 だよな。それは俺でも振り回せるか怪しい。


「しばらく時間を稼いだが、のんびりもしていられない。そろそろ行くぞ」

「どちらへ?」

「ゴラッドへ」

「森の向こうの!? この森を抜けるのですか!?」

「いくら俺でもそこまで無謀じゃない」


 魔法陣があれば別だが。


「森の周縁をまわっていく」

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