第90話 異変

 殺した方がいいんだろうか。

 一度諦めた命だ。あのまま食われていたと思えば……。


 ダメだ。

 さすがに自分で弟子には手をかけられない。

 たぶん師匠にバレる。


 説明……説明かあ……。


 俺は座ったまま、目の前の、ソフィの魔術でぼろぼろになった地面をぺしぺしと叩いた。

 ここに座れ、という合図だ。


 ソフィは大人しくそこに座った。


 うん、その座り方、パンツ見えるからやめた方がいいぞ。

 普段は長いドレスに隠れているのかもしれないけどな、今は短いんだからもっと気を使わないと。

 エロい大人に目をつけられたらどうするんだ。


 いや、スカートを履かずに着ていたということは、下着ではないのか?


 ……そんなことはどうでもいい。


「ソフィ、あれは、だなあ、魔術ではないんだ」

「ぐずっ……魔石ですか?」

「魔石、でもないんだなあ」

「じゃあ、ぐずっ……何ですの?」

「――魔法陣」

「え? でも、先生は魔法陣を起動できないと……。やっぱり、魔力がゼロだなんて、嘘だったんですのね!?」


 ソフィがぐっと顔を近づけてくる。

 涙で濡れているせいなのか、心なしか目がキラキラしている。


「いや、嘘ではない」

「ではどうやって起動したのです?」

「あー……」


 言ってもいいものか?

 魔石を砕いて魔力を取り出している、だなんて。

 それを誘導して魔法陣に流し込んでいる、だなんて。


「それは、だな……」


 言いよどむしかない俺。


 魔力を込めた魔石を破壊すると魔力が出てくることは、研究者の間ではよく知られている。

 そりゃそうだろうなと誰しもが思うだろう。魔力が閉じ込められているのだから、破壊すれば溢れて出てくるのは道理だ。


 魔術を込めた魔石を破壊しても魔術は起動せず、魔力しか出てこないのだが、それはまた別の話だ。これも、研究者の間ではきちんとした説明がついている。


 そして、出てきた魔力はただ空中に発散するだけで、利用することはできないということも――よく知られている。


 魔石から魔力を取り出して利用する技術は長年研究されてきて、いまだ成功した例はない。


 シャルムとリズは薄々気づいているだろうが、はっきりとは告げていない。

 師匠は理論も方法も完璧に把握しているだろうが、何も聞いてこない。


 それを、ソフィに、言ってもいいわけ……ないよなあ。


「わかりました!」


 突然、ソフィがぱちんと両手を鳴らした。


「へ?」

「先生の秘密なのですね! では、わたくしはもう聞きませんわ! いつかわたくしが先生の弟子として立派に成長したと認められたら、どうぞ教えてくださいまし!」

「え? お前、それでいいの?」

「よろしいですわ! だってわたくしは自分で魔法陣を起動できますもの! 知らなくても問題ありませんわ!」


 いいんだ。


「あと、俺が魔法陣を――」

「起動できることも秘密なのですわね! わかっておりますわ! わたくし、絶対に人には言いませんことよ! だって先生は魔法陣を使わなくても十分お強いですもの! 剣と体術だけで何体ものスラグを相手取るなんて、さすがわたくしの先生ですわ! 自慢しがいがありましてよ!」

「自慢せんでいい!」

「あら……」


 口元を手で隠し、パチパチとまばたきをするソフィ。


 なんだその「口に出ていましたわ」という顔は。


 まあいいか。


「あー……そのう……助かる」

「当たり前のことでしてよ! 弟子ですもの!」


 にっこりとソフィは笑った。


 はあ。これで殺すかどうか考えなくて済む。

 本当に助かった。


「それでな、さっきちびと話していて――」


 ぐぅぅぅぅとソフィの腹から音がした。


 手を口と腹に持っていって、あら、ともう一度目をまたたかせる。


「――少し早いが、昼食にしようと思う」


 ソフィは恥ずかしそうに笑った。




 御者と馬車の残骸は、遺留品として提出できるものだけ回収し、あとは獣に襲われたように偽装した。


 証拠としてそのままにしておくこともできたが、事が事だけに、見つかるのはよくないと考えた。


 でかいスラグが女王陛下のご加護をガン無視して突っ込んで来たことについては、ソフィが絶対に食らいついてくると予想したのだが、「ご加護には獣は入れないはずなのに、ご加護の上に獣が居られるのはなぜだ」という宿題を出していたのもあって、そういう獣もいるんだな、くらいにしか思っていないようだった。

 一応、口外しないようにと言い含めたが、それも、あまり大っぴらにしない方がいんだな、とでも思ってるのだろう。


 さすがに森に入る気にはなれなかったので、昼食は携帯食で我慢した。

 ソフィが文句を言わずに大人しく食べたのが意外だった。半保存食だから、クソ不味いわけではないが、美味しいものでもない。

 こういうことで一々文句を言うようなやつじゃなくてよかったと思う。


 腹の虫を黙らせたところで、俺たちは一路アルトを目指した。


 このとき俺は、誰にも追い越されず、誰ともすれ違わなかったことを、おかしいと思うべきだった。


 田舎とはいえ、この辺で一番大きな街であるアルト。

 そこから王都方面へ向かう街道。

 昼前に、全く行き来する人間がいないだなんてこと、あるわけないのだ。


 なのに俺は、「今日は往来が少ないな」だとか、「誰にも見られなかったみたいでラッキー」なんて、呑気のんきなことを考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます