第88話 威嚇

 ――こりゃ二人は死んだな。


 ソフィは……師匠に怒られるかな。親御さんは怒り狂って乗り込んでくるだろう。社会的制裁ってやつを食らうかもしれない。


 ちびは……これも師匠に怒られるだろうな。貴重な素材であり、貴重な魔物だ。人型になれるという報告が届いたら歓喜するだろうから、その後に食われちゃいましたなんて報告したら、怒り倍増になるに違いない。

 俺としても、貴重な素材を食われてしまうのは悔しい。


 俺は二人をさっさと諦めて、馬鹿でかいスラグを倒す算段を考え始めた。


 こっちの攻撃は少ないながらも通っているし、向こうの攻撃は威力はあっても俺へのダメージにはなっていない。やたら魔法陣を使うのがもったいないくらいで、このまま続ければ問題なく勝てる。


 むしろ、その後が厄介だ。


 こんな大きさのスラグがいるだなんて話は聞いたことがないし、何よりなんて、前代未聞だ。

 そんな獣が存在するだなんてことがおおやけになれば、大パニックになる。国がそれを恐れて情報統制をしているという可能性もあるが……。


 とにかく報告しないわけにはいくまい。

 王都に直接報告するのが無難なのかもしれないが、森の中に他にも同様な獣がいる可能性を考えると、急いでアルトに引き返して、街道を封鎖してもらわないとならない。

 ご加護が効かないのならば、街だって危険にさらされる。見張りと戦力の増強が必要だ。


 また第一種警戒宣言が出るんだろうか。


 リズも大変だな。


 黒い髪をポニーテールにした女剣士が目に浮かぶ。大食いで大酒飲みで、にやにやと笑う、豪快な人だった。

 あれがあのたおやかに微笑む女王陛下だなんて未だに信じられないが、目の前で見せられたら信じるしかない。俺の知らない魔術で瞬時に入れ替わるなんて芸当ができるのであれば別だが、信じるしかない。


 あれなら女王陛下が滅多に国民の前に姿を現さないのも納得がいく。

 リズでいるときが素ならば、女王としておしとやかにしているのは窮屈で仕方がないだろう。家を飛び出したというのも頷けるというものだ。


 それでも、ドラゴン討伐の最前線に我ら国民が守るべき女王陛下が御座おわしただなんて、悪い冗談を通り越して悪夢でしかないが。

 崩御ほうぎょだなんてことになったらどうするつもりだったのだろう。妹ぎみのイムスファビリア王女殿下が継ぐのだろうか。


 玉座に御座おわさない時は、執務はどうしていたんだろう。それもイムスファビリア殿下がなさっていたのだろうか。


 とにかく、陛下が玉座に御座おわさないと女王陛下のご加護の効果が現れないというのは単なる噂だったわけだ。


 だとすると……王家の正当性ってどうなるんだ? この国を治めているという意味ではもちろん必要だけれど、国民の崇拝を集めている女王という存在が、女王陛下のご加護というこの国のかなめに不要だとしたら?


 そしてさらに今回、女王陛下のご加護が効かない獣が現れた?


 これってかなり……リズ的にも……ヤバい?


 いや……今は目の前のこいつをどうにかしよう。

 考えるのはその後だ。


 二人を攻撃した直後はスラグに隙ができる。

 その隙を狙って一気に倒す。


 俺は思考を止め、二人を飲み込まんとしているスラグに意識を集中させた。


 剣を左手に持ち替えて右の破砕器を握り、推進を起動――しようとしたとき。


 スラグがピタリと動きを止めたかと思うと、ぱっと後ろに跳んだ。

 グルルルルルと低い威嚇の声を上げている。


 その視線の先には、座り込んだソフィを守るように両手を広げて立ちふさがるちびがいた。


 紅色の瞳で、スラグを睨みつけている。

 髪が逆立ち、風のせいなのか、炎のようにゆらゆらと揺らめいているように見える。


 スラグも牙をき出しにして頭を低く体に力を込め、今にも飛びかかろうとしていた。


 俺はその一人と一匹――二匹か――の気迫に気圧けおされて、足を止めた。


 突然ちびがその口を開いた。


「あああああああああああ!!」


 飛び出した声はものすごい圧を含んでいて、空気がびりびりと震えるようだった。

 こちらに向けられているわけでもないのに体が固まった。


 音に押されるように、じりっとスラグが一歩後ずさる。


 それを見て、ちびはダンッと音を立てて足を踏み出した。


 スラグはさらに一歩下がる。


 再びちびが一歩踏み出す。


 一瞬の間のあと、スラグは威嚇をやめたかと思うと、クゥと一声鳴いてきびすを返した。


 俺ははっと我に返り、剣を構える。

 しかし、スラグはその横をすり抜けて、一目散に森に駆け込んでいってしまった。


 がさがさと森の奥に向かって木が揺れていく。


 これは……ちびがスラグより強いと認めさせたということなんだろうか?


 ちびを見れば、上げていた両手を下ろして呆然としていた。

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