第82話 せんせぇぇ……

 馬車がぎしぎしときしんだ音をたてて、吹き飛ばされるのではないかと思うくらい派手に揺れている。

 しかしそれに輪をかけて、ピシッ、パシッとむちが当たるような音と衝撃が恐ろしい。


 馬車に繋がれたままの六本足の獣――ジーグが、耳をふさいでいても聞こえるような大音量でぶもおぉぉぉと太い悲鳴を上げている。


 どしんと地面が振動した。

 おおかた強盗どもの馬車が倒れたのだろう。


 たっぷり深呼吸三回分は暴れまわったあと、風は唐突に止んだ。


 砂が顔に当たらなくなり、そろっと目を開けると、目の前にはなんてことのない風景が広がっていた。


 と、すぐ足下に、どちゃっと水っぽい赤い塊が落ちてきた。

 赤い液体が跳ねて靴を汚す。


「うわぁぁぁっ!! ……がほっ。ごぼっげぇぇっ」


 目を開けた御者が顔をそむけて悲鳴を上げ、げぇげぇと吐き出した。


 落ちてきたのは血にまみれたスラグだった。

 池に飛び込んだのかと見まがうほど全身の毛が濡れそぼっていて、ボロ雑巾のようになっている。


「せ……せんせぇぇ……」


 唖然としていると、後ろからソフィの弱々しい声が聞こえた。


「……ソフィ! ちびっ!」


 濡れた草で足を滑らせながら、馬車の陰から転がり出る。

 

 手をかけた馬車の側面はおのを何度も打ち付けたような鋭い傷がたくさんついていた。


 馬車の横からソフィの方を見ると、真っ青な顔でぺたりと地に尻をつけて座っていた。

 右腕は隣でうずくまるちびの背中を守るように回っていて、見たところ二人とも血を流している様子はなく、無事なようだ。


 しかしその周囲は散々たる様子だった。


 ソフィを中心として渦を巻くように地が浅くえぐれ、血まみれの毛玉が点々と落ちている。

 大きなのはスラグの胴体だろう。その周囲に散らばっているのは千切れた四肢か。


 馬車を見ればもうズタズタで、傷が無数についているどころか、穴が開いている始末だ。

 底まで貫通したらと思うとぞっとする。


 馬車を引いていたジーグにも全身に大きく切れ込みが入っていて、息をしていないのは一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


 強盗たちの馬車はバラバラの残骸ざんがいとなっていて、乗せてきた四人は形こそ人間を保っていたものの、ハサミで切り込みを入れたような傷が全身にあり、ところどころ骨が露出していた。


「せん、せぇ……」


 助けを求めるように伸ばされた左手。


「お前なあ!?」


 ずんずんと大股でソフィに近づいていく。

 赤い毛の塊をまたぎ、落ちたプレートはけて。


「なんっつー術を使うんだ!! 巻き込まれる所だっただろうが!」


 がんっと頭にこぶしを落とす。


 御者を助けるか障壁を展開するか迷ったじゃねぇか!


「わたくし……わたくし……」


 ソフィは拳骨げんこつなど感じなかったかのように、真っ青な唇を戦慄わななかせ、目の前に掲げた両の手の平をじっと見ていた。


「はあ……」


 俺は丸まり続けているちびの右横に座った。


 ここだけまともに草が残っていることが可笑おかしかった。


「ちび、大丈夫か? もう終わったぞ? よく我慢したな」


 震えている背中をゆっくりとなでてやる。


 まずはちびのケアだ。


 本当によく耐えたと思う。

 ドラゴンに戻ってもおかしくなかった。

 人間のこの姿よりも、ドラゴンの方が防御力が高いし、そういう計算が働かなかったとしても、本能的に元の姿に戻りたくなっただろう。


 そして、戻ればソフィが動揺し、術の暴走に繋がっただろう。


 ……すでに暴走していたようなものだが。


 赤い髪をでてやると、すりすりと頭をこすりつけてきた。


 こっちは大丈夫そうだな。


 次はお嬢様の方か。


 俺は一度立ち上がって移動し、ソフィの左横に座った。


「まず、ちびを守ってくれてありがとうな。よくやった」


 手を背中に当てて言ってやる。


「せんせぇ……わたくし……わたくし……こんな、つもりじゃ……」


 震える手を見つめながら、うわ言のように呟く。


「そうだなあ……。なんでこんな術を使ったんだ?」

「つえが、杖がありません、でしたので……それで、大きな術を、と思って……」


 大きな術ねぇ……。

 それにしたって、こんなに広範囲の無差別攻撃を発動しなくてもよかったんじゃないか。


「わたくし、ひ、人を……」


 ようやくソフィがこちらに顔を向けた。

 瞳が激しく揺れているが、涙は出ていない。


「あそこまで叩きのめして、森に放り込むつもりで縛り上げといて今更かよ。いいんだよ、強盗なんざ働く奴は。向こうだって殺す気で来てるんだから」

「で、ですが……」

「いいって。師匠である俺が許す」


 俺なんて何人殺してきたことやら。


「せん、せいまで……死んで、しまった、のかと……!」

「あー……危なかったなー……」


 瞳が大きく揺れ、そのでっかい目にみるみるうちに涙が溜まっていった。


「まあ、それはいい。三人とも無事だったわけだから。それも俺が許す」


 涙がポロっと落ちた。


「それよりもだ。問題はさっきの術だ。なんだって最後にあんな言葉を付け加えたんだ?」

「付け加えた……?」

「威力最大の」

「……学園で、習った通りの呪文を、唱えただけですわ。威力最大……?」


 おいおい。

 そんなことも教えてないのかよ?


「……魔法陣の前に、まずは魔術の勉強からだな」

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