第二章 異変

第79話 魔術はお前の担当だ

 貸切馬車での移動は当初考えていたよりもずっと順調に進んだ。

 

 ちびは飽きもせず大人しく窓の外の景色を眺め続けているし、ソフィは魔法陣の構成を練っている俺の横で、俺が描き上げた魔法陣の解析をしている。


「先生、ここがわかりません」

「そこはここの記述を引用していて、一部改変することで使いまわしている」

「ここが赤色だけで描かれているのはどうしてですの?」

「魔力をセーブしないでつぎ込む必要があるから」


 もっと単純な陣から始めればいいものをとは思うし、頼まれれば障壁でも描いてやるのだが、何も言ってこないので、うんうんうなっているソフィを放っておく。


「ちび、疲れてないか? 無理するなよ」


 ちびは窓に顔を向けたままこくこくとうなずいた。


 ちびが疲れてきたら、休憩と称して俺とソフィは外に出て、ちびは馬車の中でドラゴンに戻って休むことになっている。

 が、ずっと座っているだけだし、ソフィがいることにも慣れたようで、疲れた様子はなかった。



 すぐ隣にある街――アルトには、昼食を買うためだけに寄って、そのまま王都方面のエルドラに向かった。


 馬車の中で例の豪快な食べっぷりを見せたちびだったが、テイクアウトの食事であれば、手で持ってぱくつくのは普通だ。

 指をぺろりぺろりと舐める仕草はお行儀がいいとは言えないが、幸いにもソフィは見ていなかった。


 俺が布で手をぬぐってやると、ちびはすぐにまた窓に張りついた。


 壁や天井がある箱型ではなく、乗合馬車のような解放感のある形の馬車にしてやればよかっただろうか。

 人に見られて気疲れするのもよくないし、万一ドラゴンに戻ってしまってもバレないということを考慮して、アルトから呼んだのだけれど。


「ところで先生、どうして装備を整える必要がありましたの? わたくし、先生の所までずっと普段着で移動しましたのよ」

「狩りをするからに決まってるだろ。……そろそろ着くぞ」


 事前に御者に頼んでおいた通り、アルトとエルドラの間にある森の入り口で馬車は停止した。


 街から離れた所にある森に入る奴は滅多にいないし、ましてやわざわざこんな高い貸切馬車で乗り付けるなんてことはしない。

 酔狂な客だと思われているだろうが、金さえ払ってもらえれば文句はないということなのだろう。協会を通してあるから、万一俺たちがここで力尽きたとしても、代金をもらい損ねることもない。


 俺に続いてソフィが馬車を降り、ちびが飛び降りた。

 その勢いでぎしっと馬車がきしんだ。


「ちびさんも行かれるんですの?」


 街歩き用のラフな服装でいるちびを上から下まで眺めて、ソフィは怪訝けげんそうな声を出した。


「じっと座っているのもつらいだろう。様子見がてら俺が散歩に連れて行く」


 ドラゴンに戻らないと用が足せないからな。


「わたくしはどうしたら?」

「準備運動でもしてろ」

「わかりました……」


 ソフィはしょんぼりと肩を落とした。


「ソフィ、杖はどうした?」


 武器が腰にいた細身の剣しかないのを見て、疑問を口にした。


「先生が魔術師ですもの。わたくしは剣でサポートいたしますわ。これでも剣技は得意ですのよ」


 学園で習った剣技がどこまで通用するのか見ものだな。

 ……って、そうじゃない。


「俺には魔力がないんだぞ。魔術どころか魔石も魔法陣も使えない。剣で戦うから、魔術はお前の担当だ」


 ソフィははっとした顔をして、気まずそうに顔を伏せた。


「そうでした。魔石と……魔法陣、の起動にも、魔力が必要なのですものね」


 誰もが知っていて、普通であれば一生使うことのない知識だ。


 例え黒髪であっても、わずかな魔力は持っているものだ。

 そして、生活していくにはそれだけで十分だ。起動のきっかけとして一押ししてやるだけの量でよいのだから。


 だから、知識があっても現実に意識することはない。


 ましてや、魔法陣を描くことを生業なりわいにしている俺が、魔法陣を使えないだなんて発想は、なかなか出てくるものではないんだろうな。


「杖は持ってきてるんだろうな」

「学園で使っていたものが」

「そうか。じゃあ待っている間、試し打ちでもしてろ」


 複雑な表情をしているソフィを置いて、俺とちびは女王陛下のご加護を離れた。




「あんまり遠くに行くなよ」


 街道から見えなくなったあたりで、ドラゴンに戻ったちびは嬉しそうに走り回った。

 俺は地面に置き去りにされた服を拾い上げた。


 周縁部にいる獣は、家の周りの獣とさほど変わらない。ちびが一匹で遊んでも大丈夫だろう。


 油断していた俺の目に、大きく口を開けたちびの姿が映った。


「ちび! ダメだ!」


 はむっと草を口に入れたちびは、びくっと体を震わせて、口から草をはみださせたままこっちを見た。


「吐き出せ!」

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