第77話 準備

 ちびは初日からよく頑張った。


 人間の体の動かし方がわからないようで、指を動かそうとすると腕ごと動いてしまったり、足が動いたりしている。

 森で変な動きをしていたのはこのせいだ。


 俺も尻尾や翼を動かせと言われたらどう動かしたらよいものか見当もつかないのだから、それと同じだと考えれば納得がいく。

 共通している部分は同じように動いてもよさそうなものだが、魔物と人間では根本的に体の作りが違うのかもしれない。


 ちびは動かそうと意識すると余計に動けなくなり、無意識の行動ほど動きがなめらかになる。

 一番最初に自然に目をこすっていたのは、何が起こったのか理解できておらず、視界がいつもと違うくらいにしか思っていなかったからなのだろう。


 初日と二日目はすぐにへばってドラゴンに戻ってしまったが、三日目は休憩を取るくらいで、四日目はだるそうにしつつも夜までずっと人間でいられた。


 食事が手づかみなのと、排泄はドラゴンに戻らないとできないのと、寝ている間に戻ってしまうことを除けば、期待以上に人間らしくなった。



 一方、ソフィの方は散々だった。


 四日目の朝に部屋に行ってみれば、部屋の中は書き散らかした紙でいっぱいだった。


「何やってんの、お前?」

「先生……資金が足りるか、計算していたところです……」


 ソフィは寝不足なのか目の下を真っ黒にしていて、カールが若干崩れていた。


「買い物にこんな計算は要らん。一番安いのを探して買ってきゃいいんだ。お嬢さまのお前に相場より安い値段で集めろなんて無茶言うわけないだろ。協会に聞きゃ相場も教えてもらえるってのに。頼れって言ったよな? ……ほら、これとこれとこれ。あとここ。それでそろうから、残った分で自分の装備を整えろ」


 店ごとの値段がびっしりと記載された紙を拾い上げ、適当に印をつけて返す。


 とんでもなく思いきったことをするくせに、変なところでつまずくんだな。

 細かい性格なのか?


「わかりました……」


 ソフィはしょんぼりとしている。


「どうした?」

「お買い物もろくにできないなんて、先生は呆れましたでしょう?」

「育った環境が違うのだから仕方がない。必要なことはこれから覚えていけばいい」


 はっとソフィが顔を上げた。


「はい! がんばります!」

「明日、朝食前に迎えに来る。食って、身支度をしたら出発だ」

「わかりました!」


 俺だって村と街の生活習慣に戸惑い、師匠に爆笑されながら身につけてきた。貨幣の仕組みも知らなかった俺に比べれば大したことはないさ。




「きゅー! きゅー!」

「……まだ寝かせてくれ……爪を立てるな、もう少しだけ……」


「あー! あー!」

「……揺らすな揺らすな……もうちょっと……お前が服着たら起きるから……」


「んあー! んあー!」

「待て待て。起きる。起きるから、馬乗りになって跳ねるのはやめてくれ」


 起き上がって伸びをすると、目の前には準備万端のちびの姿が。


 しかし、木窓を開けても日の光が射し込んでこない。


「まだ夜明け前じゃねぇか……」


 片手で顔を覆う。


「そんなに張り切ってたら途中でバテるぞ」


 準備は昨夜あらかた済ませてしまっていて、朝食はソフィととるから、あとやることと言ったら、身支度を整えて装備を身に付けるだけだ。


「せっかくだから、早めに行って慣らすか」


 本当は昨日のうちに町に連れて行って人に慣らそうと思っていたのだが、俺にその余裕がなかった。


 謝罪の手紙を送ったものの、手ぶらで王都に行ったら師匠に何をされるかわからない。

 精一杯やりましたが事故と移動で描けませんでしたという言い訳が通じるのは、本当に「精一杯」やったときだけだ。中途半端なのはすぐバレる。




 森から初めて出た、人間の形をしたちびドラゴンは、建物が立ち並んでいる様子を見て目をまるくしていた。


 早朝だからほとんど人は歩いていないが、それでも緊張するようで、ずっと俺の服のすそをつかんでいる。


「大丈夫か?」


 問いかけると、視線を正面に固定したまま、小さくうなずいた。


 顔が引きつってんぞ。

 大丈夫じゃないだろう。


「少しここで休むか」


 パン屋の前に置いてあるベンチに座らせる。

 店の中では店主が作業をしているが、客がいるわけでもない時間帯に使っていても文句は言われまい。


 ちびは興味津々とばかりに、食い入るように町並みや人の動きを追っている。

 

 やはりイキナリは早かったか。


 膝の上でぎゅっと両のこぶしを握っているちびの横で、俺はソフィにちびと残るよう説得する算段を考え始めた。

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