第75話 往復

 地に倒れ伏したそのドラゴンは、四肢と尻尾をバタバタと動かしてしばらくもがいていた。


「ち、ちび……?」


 おそるおそる呼びかけてみると、ぴたりと動きを止め、顔を上げた。


 男の不気味な無表情を思い起こして身構えてしまったが、驚いたように目を開けている顔は、俺の知っているちびそのものだった。


「きゅ?」


 ちびは頭を少しかしげると、ゆっくりと立ち上がり、前脚や尻尾、翼をしきりに動かした。

 最後に後ろを向いて自分のしっぽがぴこぴこ動くのを確認し、俺を見て「きゅっ!」と鳴いた。


「ちび、お前……人間なのか……?」


 たった今目にしたことが信じられずに混乱していた。


 しかし一方で、やっぱりという妙な納得感もあった。

 さっきからずっとその可能性を考えていたのだから。


 俺はようやく構えていた両手を下ろした。


「きゅーきゅっくあーくぅーきゅー」


 ちびは俺に何かを伝えたいのか、一生懸命に鳴いた。尻尾で地面をぱしぱし叩く癖がでていて、ものすごく興奮しているがわかる。


 だが。


「ごめん、何言ってるのかさっぱりわからん」


 困惑する俺をよそに、ちびは何事かをまくし立てている。


 すると急に、ちびの様子が変わった。


「きゅぅぅきぅゅぅぅぅぅ」


 苦しそうにうめくと、いつものように丸まってしまったのだ。


 そしてまた、ちびの姿がゆがみ始めた。


 ちびのいる所だけがぐるぐると回りだす。

 鳴き声が消えていく。


 水の中にぽつんとインクを落とした時のように、赤と木々の緑と土の茶の中に、肌色が混ざった。

 だんだんと肌色が多くなっていくにつれてゆがみの範囲は大きくなる。やがて大きく伸び縮みしたかと思うと、唐突にひゅっと人間の形に定まった。


 目の前にいるのは、赤い髪を持つ筋肉質の人間。足を折りたたみ、頭を抱えてうずくまっている。


 その頭が少し動いたかと思うと、それに連動するかのように、手足がでたらめに動き始めた。

 ネジを回すかのようにギリギリと不自然に動きながらそいつの頭は上がっていき、またあの気持ちの悪い顔がこちらを向く。


「だああっ! こっち見るな! 怖いんだよっ!」


 ちびだとわかって気が抜けて、思わず本音を叫んでしまった。


「うぅ……」


 あれ?


 男は、動きを止めて少し眉をひそめた。

 途端に人間らしく見えてくる。


「ぅあぁぁ……ぁぁぁあぁ……」


 が、すぐにするんと無表情に戻ってうめいた。

 再び始まる視界のゆがみ。


 そうやって、ちびは何度もドラゴンと人間の姿を行ったり来たりした。


 変わるときは苦しそうにうめいたり叫んだりする。

 ドラゴンに戻ったときは元気。

 人間になったときは動きがおかしい。


 俺はその様子をただ眺めていることしかできなかった。


 しかし次第に、叫び声は小さくなり、あやふやな状態でいる時間が短くなり、人間の時の動きも自然になっていった。


 ついによたよたと危なげではあるものの、人間の姿で立ち上がったときには、うめき声のような不確かなものではなく、赤ん坊が発するような「あーあー」というはっきりとした声を出せるようになっていた。


「やった。ついに立てるようになぁあぁっ!?」


 喜びの声をかけたところで、ちびの体はぐらりと横に傾いた。

 手を伸ばすが間に合わず、右肩からどさりと倒れてしまった。


「おい、ちび、大丈夫か?」


 意識がないが、息はしている。

 揺らして起こそうとしたが、目を覚まそうとしない。


 気を失っているだけなのか。

 それとも何かまずいことが起こっているのか。


 回復の魔法陣を描こうにも、木が邪魔で十分なスペースが取れない。

 第一、雑草が伸び放題の森の中ここでは、特に正確さが要求される回復魔法陣など怖くて使えない。


 自然に目が覚めるかと思い、しばらく待ってみたが、なかなか起きない。

 ドラゴンの姿に戻る気配もない。


 人間の姿に落ち着いたのだろうか。


 このままいつまでも転がしておくわけにもいかないと、覚悟を決める。


 かついで家まで運ぼう。


 俺はちびの上体を起こして両腕をつかんだまま前に回り、よっこらせと背負った。


「重っ」


 ……なんでよりによって人間の姿重い方で止まったんだよ。




 家に着いたときには、全身汗まみれだった。


 少し歩いてみてわかったのだが、めちゃくちゃ重かった。

 人一人の重さとは思えないくらい重かった。


 何度も背負い直しながら、途中で二回休憩を挟んだ。


 ドラゴンの時は見た目相応の重さだったのに、人間の姿では中にナナト鋼でも入ってるんじゃないかと思うくらい重かった。


 床にどさりと落とし、自分はベッドの上に倒れ込む。


 あー。腰が痛ぇ。

 太腿ふともももぱんぱんだ。


 水……水飲もう……。


 のろのろと起き上がると、床に伸びていたはずのちびがむくりと起き上がった。


 おいっ!

 今起きるのかよっ!

 俺の重労働は何だったんだ!?


 ちびは首を動かしてこちらを見ると、目をぱちくりとさせた。


 ついさっきまで人形のような顔をしていたというのに。

 随分人間らしい表情をするようになったじゃないか。


「あー、とりあえず、なんか着ようか」

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