第74話 変態

 師匠への手紙に王都に行くことを書き足して、サーシャに託した。


 返事が来る前に移動を始めてしまうのは気が引けるけれど、勅命なのだから仕方ない。

 王都まで使うルートはわかっているんだから、もし返事があればそこに絞って送ってくるだろう。


 さて……これからどうしようか。

 考えなければならないことが山積みだ。

 とりあえず一度帰ろう。




「ちびー! 戻ったぞー。帰って来ーい!」


 とんぼ返りで戻ってきた俺は、家に入らずに裏手に回り、森の奥に向かって叫んだ。


 しかし返事がない。


「ちびー。どこまで行ったんだー? 返事しろー」


 獣道に入り、ちびがいそうなところを探してみるが、見つからない。


 どこに行ったんだ?


 急に不安になってきた。


 さっきは元気そうだったが、まだ森に出すのは早かったか。

 魔力放出が足りなかったのかもしれない。


 鱗がボロボロになって高熱に苦しんでいたちびの姿を思い出して、胸が痛くなってくる。


「ちび! いたら返事しろっ!」

「ぁ……ぅぅ……」


 返ってきたのは、うめき声だった。


 ちびのものではない。

 人間のだ。


 反射的に腰のナイフを逆手で一本抜き取り、姿勢を低くした。


「ぅぁぁ……」


 また聞こえた。

 かなり弱っている。


 なんでこんな奥まで人が。

 獣に襲われたのか?


 今度は先日の夢が脳裏に浮かんだ。


 頭の中の痛々しいちびが、大きく膨らんで俺を丸飲みにしたドラゴンの姿に変わる。


 それを、頭を振って追いやった。

 

 人が襲われたとして、不用心に森に入る方が悪い。

 だが、反対を押し切って育てると言い放った手前、そして人間に対して危害を加えそうにないちびを見てきたため、人間を襲っている様子はあまり考えたくなかった。


 さらに、さっきからずっと頭の隅にこびりついている、の突拍子もない馬鹿げた考えも、一緒に追い出した。


 そんなファンタジーが現実にあってたまるか。


 とにかく弱った人がそこにいる。

 俺はそいつを助けに行く。

 それだけで十分じゃないか。

 

「おい、近づくぞ。攻撃するなよ」


 戦闘中であれば声が聞こえてくる以前に気配で気がついていたはずだから、襲われたのだとしても、獣は近くにはいないはずだ。


 となれば、今一番怖いのは、助けようとした俺が獣だと勘違いされたり、恐怖で錯乱した相手に攻撃を受けること。


 もちろん、俺の敵だという可能性も――身に覚えはあまりないが――なくはない。


 だから十分に用心して近づく。


 行きと帰りの推進しか持たずに出たことを少しだけ悔やんだ。


 まあ、ナイフだけでもなんとかなるだろう。陣など持たずに森に入るのはよくあることだ。


 声が聞こえたあたりまで到達し、そっとやぶをかき分けた。


「っ!」


 そこにいたのは、俺の家に侵入した、赤毛の全裸の男だった。


 こちらに頭を向けてうつぶせに倒れ、顔を上げている。


 思わず息を飲んでしまったのはその異様な体勢のせいだ。


 手足がてんでバラバラな方向に投げ出されている。関節という関節が、指の一本にいたるまで、同様にあっちこっちに向いていた。


 そんなひどく苦しそうな状態なのに、男が向けている顔は苦痛に歪むわけでもなく、感情がするりと落ちてしまったかのように無表情で、小さく開けた口から、うめき声だけが漏れていた。


 なんだこれは。


 毒を警戒して、ナイフを構えた腕で口を覆った。


「おい、何があった?」


 服越しにくぐもった声で問いかけるが、返ってくるのはうめき声だけ。


 よく見ると、男の体勢は不自然ではあるものの、骨が折れたり関節がねじ曲がっているようではなかった。

 見える範囲では血を流しているようでもない。


 麻痺まひ毒か?


 周りに視線を走らせて、原因となるものがないか探す。


 突然、男の右腕が指をひきつらせたまま、震えながらこちらに伸びた。


 攻撃かっ!


 二歩後ずさり、もう一方の手にもナイフを持つ。


 しかし男は手を伸ばしたままうめくばかりでなにもしてこようとはしない。


 助けを求めているのか。


「なんで家にいたかは後で聞く。今は助けてやるが、原因がわからないと近づけない。少し待――」

「ぅぅぁぁぅぅぁああぁぁああぁあぁ!!」


 男が急に叫んだ。

 喉の奥を引き絞るような声で。


 そして感情を映さない両の目から涙がこぼれ落ちた。


 なんだこれはなんだこれはっ!!


 あまりの異常な事態に、逃げようと重心を移しかけたとき。


 男の姿がぶれた。


 陽炎かげろうの向こう側のようにゆらゆらと揺らめく男の姿は形が曖昧になっていく。

 気配さえもが揺れていた。


 起こっていることを把握しようと見つめれば見つめるほど認識が曖昧になり、一向に合わない焦点を合わせようと必死で働く頭が痛みを訴えてくる。


 意識が遠のきそうなほどの頭痛に襲われたその瞬間、その痛みがぴたりと収まった。


 気がつけば男の姿は小さく縮んでいて――。


 ――真っ赤な小さなドラゴンがそこにいた。

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