第72話 マジ

 一体どうなっているんだ。


 部屋を見渡すが、人ひとりが隠れられるスペースなどない。


 そこで待っていろとソフィに言い含め、一人で部屋の中に入った。後ろ手に扉を閉める。


 扉横のナイフをとり、ゆっくりと中央へ足を進める。


「ちび、おい、ちび。出て来い」


 ちびドラゴンに声をかけてみるが、布団が動く様子はない。


 そろそろとベッドへ近づき、一気にめくった。


 ――いない。


 森に出て行ったのか?


 窓から身を乗り出して森を見ると、すぐ下から「きゅー」と小さな鳴き声が聞こえた。


 そこには、いつものように翼で丸くなった体を覆い、尻尾を体の下に巻き込んでいるちびの姿があった。


「ここにいたのか」

「きゅー」


 ちびは翼のかげから頭を出して、不安げに鳴いた。


「驚かせてごめんな。人が来てるから、森に行ってろ。具合はもう大丈夫だよな?」


 森を指さすと、ちびは翼をぱっと広げ、ぱたぱたと動かしながら、嬉しそうにてってってってと森に向かって走っていった。


 よし。

 これで問題は一つ片付いた。


 赤髪の男……も窓から逃げたのだろう。

 そうだ。そうに違いない。


 頭の隅に突拍子もない考えが浮かんだが、一旦閉め出すことにした。


 改めて玄関のドアを開ける。


「あー……今のは変質者だ。俺とはなんの関係もない」

「ええ。そうですわよね。わかっておりますわ」


 にこにこと作ったような笑みを浮かべているのがなんとも言えない。


 さりげなく俺の背後を確認しようと視線を動かすものだから、こちらもさりげなく身を引いて誰もいない家の中を見せた。

 どうせ窓から逃がしたのだと思うんだから、大した意味もないが。


「俺はこれから仕事。だからお前は町に戻ってろ。その様子じゃ宿も取ってないんだろ。夕飯おごってやるから、閉門の時間になったら協会に来い」

 

 宿にも寄らずに大きな荷物を持ってここまで歩いてきたのだから、根性は認めよう。


「お仕事をなさるなら、お手伝いしますわ」

「いいから戻れ。弟子でいたいなら師匠の言うことには従え」

「わかりました。でも……!」


 ソフィは伏せかけた目線をぐっとあげた。


「宿は取りませんわ。先生の家に住み込みで働かせてくださいませ」

「……いやもうお前何言ってるかわからねぇよ」

「ですから、先生の家に……」

「違う。聞こえなかったんじゃない。男と一つ屋根の下で生活するなんて、不用心にもほどがあるだろ。第一寝台はどうするんだよ。まさかその上同じベッドで寝るだなんて言うんじゃないだろうな?」

「いえ、わたくしは、部屋を一室お借りできればと思いまして……」

「は?」

「え?」


 ちょっと待て、と手のひらを向けて見えない壁に押し当てるような動作をして、逆の手で、知らず知らずのうちに寄っていた眉間のシワをもみほぐす。


「……この狭い家のどこに貸せる部屋があるって?」

「こちらではなく、先生のおうちに……」


 話が噛み合わない。


「ここが俺の家なんだが?」

「え!?」


 ソフィが両手で口を覆い、長いまつ毛に縁取られたきれいなでっかい目をさらに大きく見開いた。


 俺の横から部屋の中をのぞいて――もはや何度目かわからない――数歩下がって家の外観を眺め、ようやく視線が戻ってきた。


「ここは仕事部屋ではありませんの?」

「生活用品は全部揃っている。ベッドもある。見ればわかるだろ」

「お仕事が忙しい時にこもるためなのかと……。だって、先生ほどのお方が、こんなそま……かわいらしいおうちに住んでいらっしゃるだなんて思いませんわ」


 今、粗末って言いかけただろ。


「あのなあ、お前、俺のことなんだと思ってんの?」

「稀代の天才魔術師ですわ」


 だめだこりゃ。


 俺はため息をついた。


「俺の魔術師としての功績はゼロ。登録だけしてあるだけの無印。初級すら持ってない。第一――」

「そんなわけ」

「――俺には魔力が欠片もない」


 絶句して、ソフィは俺の無駄につややかな黒髪を見つめた。


 そして、ささやくようにそっと問うた。


「魔力ゼロの魔術師ですって? わたくしをからかっていらっしゃるの?」


 どっかで似たような台詞を聞いた気がする。


「いいや。マジだ。大マジだ。俺はできそこないなんだよ。ソフィ、お前が将来を棒に振ってまで師事するような人物じゃないんだ」

「そんな……」


 顔が引きつらせていたソフィは、へなへなとその場にへたりこんだ。

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