第69話 訪問者

 家の中を整え、庭に描いた魔法陣で乾かした布団に倒れ込んだのは、丸一日たった真夜中だった。


 陣の方は応急処置だけして、被害の規模は考えないことにした。油紙に包んであった分と、持ち歩き用にコーティングしてあった分は無事で、紙も濡れたのが端だけであれば切り取って使える。


 問題は適当に積んであった依頼の魔法陣だ。ストックも惜しいが、描き直しはきく。期日のある依頼だけは、あとでゆっくりというわけにもいかない。素材も足りるか怪しい。

 まずはどこまで被害があるのか確認しないと……。


 ……って、明日まで考えないと決めたのだ。考えないぞ。考えない。


 ああ。絶対に間に合わない。


 か、考えないっ!


 布団を頭から被った。




「まぶし……」


 開け放ったままの窓から差し込んだ日の光が目蓋まぶたに当たり、目が覚めた。


 ベッドの下のちびドラゴンを見れば、丸くなってすやすやと気持ち良さそうに眠っている。


 驚いたことに、鱗はきれいにそろっていた。

 つるつるとした傷一つない表面が、きらきらと陽光を反射している。床には濁ってぼろぼろになった鱗が落ちていて、その差は歴然だ。


 心なしか、体が大きくなっているようにも思えた。


 この変化は夜のうちに起こったのだろうか。それとも昨夜すでにこの状態だったのだろうか。


 片付けに必死で全く見ていなかった。

 規則正しい寝息だけを聞いて安心していたのだ。


 丸まった背中を撫でてやると、くあーっと大きなあくびをして、ちびが目を覚ました。


「おはよう、ちび。元気になったか?」


 ちびは俺を見てぱちぱちとまばたきをしたあと、立ち上がってきょろきょろと周りを見回し、両前脚と両後ろ脚を見、振り向いて尻尾を確認すると、くわーっと鳴いてベッドによじ登ってきた。


 肘をついた右手を枕にし、ちびの背中を撫でてやる。


「元気になったみたいだな。やっぱり魔力暴走だったか」


 むやみに魔術を使うなと教え込んだ結果、ちびは森で狩りをするときでさえ、魔術を使わなくなっていた。攻撃手段の一つであることすら忘れてしまったかのように。


 消費されることなく溜まり続けた魔力は体をむしばみ、暴走して外に出たがったものの、それも押し止められてしまった。

 家の周りに施された魔術封じの魔法陣によって。


 無意識に魔術を使おうとしても、ある一定の強さを超えると魔力を跳ね返されてしまう。だから小さな炎しか出せないし、同時に五つまでしか出ない。


 出会ったときは全力でその程度だったのに。


「いつの間にか成長してたんだな」

「きゅー!」


 わかっているのかいないのか、俺が目の前に差し出した人差し指を、ちびはぺろりとなめた。


 魔力暴走は人間では滅多に起こらない。それこそ症例が数件しかないほどだ。

 文献で見かけたときに、全く溜められない俺とは正反対で憎らしいと思ったことをよく覚えている。


 ドラゴンだからなのか、魔物だからなのか、たまたまちびがそういう個体なのかはわからないが、とにかく余った魔力が自然には発散されず、溜め込まれてしまう体質なのだろう。


 俺が杭を抜いて魔術封じの魔法陣を壊したから、溜まっていた魔力が魔術という形で一気に溢れでた。それがあの火柱だ。


 何度消し止めたか覚えていないが、無意識下で暴走してあの勢いならば、相当量溜まっていたんじゃないだろうか。


「というかお前、あの青ドラゴンの魔力の元になってたんだよな」


 溢れた分があれだけだっただけ。


「髪の色……なんてないしなあ」

「きゅー?」


 頭を指で撫でながら観察するも、毛の一本もえていない。


「よし。ちび、今日からは魔術を使う特訓もするぞ。少しは発散しないといけないみたいだからな」

「きゅきゅー!!」


 跳び上がって嬉しそうにくるくると回りだす。


 わかっているのだろうか。


 ぴこぴこと動く翼を見て、飛ぶ練習もさせてやらないとなと思った。

 ……それよりもまず、依頼の算段をつけるのが先か。

 

 トントンッ


 !?


 ちびのしぐさになごんでいたら、突然ドアがノックされた。

 一人と一匹がびくりと体を硬直させる。


「先生? いらっしゃいますか?」


 こ、こんな朝っぱら……かはわからないが、いきなり誰だよ!?

 とにかく、ちびを見られたらまずい。


 トントンッ


「先生? いませんの? 開けますわよ?」


 待て待て待て待て。


 飛び起きてちびをひっつかみ、布団の中に押し込んだ。


「きゅーっ!」


 抗議の鳴き声が上がるがそれどころではない。


「大人しくしとけよっ!」


 ドアがかちゃりと音をたて――


「ちょ、待っ、開けるなっっ!」


 ダッシュでドアに走り寄る。


「あら、先生、いらしたのなら、お返事してくださればいいのに」


 現れたのは、金色の髪をくるくると縦ロールにした少女。


「そ、ソファーレン・ガーナッシュ……!? なんでここに……」

「あら、名前を覚えていて下さったのですね。なぜってそれはもちろん――」


 西の端の街、ミリムでインク作りの手伝いをしてくれた学生は、その緑色の瞳を真っ直ぐに向けてきた。


「――ノト先生に弟子入りするためですわ」


 完璧な淑女の礼をするソフィを前にして、俺は言葉を失った。

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