第61話 取引

 真っ青な空を仰いで、最後に浮かんだのは師匠の真っ赤な唇だった。



「こはっ」


 肩甲骨から叩きつけられた俺は、盛大に土煙を上げながら、大きくバウンドした。

 

 体が空高く舞う。


 ……空高く舞う?


 空中で後ろに回転した俺は、遠くに、杖をこちらに向けたシャルムが、前のめりにどさっと倒れたのを見た。


 再び落下に転じた俺は、地面より膝下ほどの高さでバウンと小さく跳ね返った。


 すぐにどすんと尻から落ちたが、ほとんど痛みは感じない。


「はは……ははは……ははっ!」


 なんだか妙に可笑おかしかった。


 生き残っても殺すと言ったのに。

 俺を助けてどうするんだよ。


 両腕を後ろに突いて空を見上げると、ドラゴンがばさりと羽ばたいて飛んで行くところだった。


 ねぐらに帰るのか、ミリムに向かっているのか。

 どちらの方角なのかは俺にはわからない。


 たとえミリムに向かっていたとしても、あれくらいパースがなんとかするだろう。





「シャルム・ローイックの助命を願いたい」


 シャルムを抱えあげ、赤い球を確認しに来た俺を迎えたのは、右膝を付いて騎士の礼をとるリズだった。

 裸の上半身を隠すこともせず、描かれた魔法陣もそのままに、剣の代わりに短剣を置いて。


 短剣の刃先は自分に向けつかを前に。

 右足の甲を地に付け、靴底を上に。

 両手は体の横、指先で軽く地に触れ、手のひらを前に。

 顔をしっかりとあげ、口を引き結ぶ。

 

 それは、武器を持たず、魔術を使用せず、命すら相手に委ねることを示す恭順の意。


 女王陛下にしかしない、正式な礼だった。


「目を覚ましてしまったんですね」

「ついさっき」

「それ、意味わかってやってるんですか」

「もちろん」

「俺が女王陛下をしいせと命じたらやるんですか」

「必ず」


 俺はため息をついた。

 一体なんだって言うんだ。


「なぜそこまで?」

「シャルは私の恩人だから。閉じ込められていた私を、誰も関わろうとしなかった私を、外に連れ出してくれた。この命ではあがなえないほどの恩を受けている」


 たかがそんなことで。


 とは俺には言えなかった。


「その魔法陣を見られたからには、リズにも死んでもらうしかないんですよ。どのみち殺すのだから、あなたの命にはもう価値なんてないんですよ」


 シャルムに終わったら消せと言っておくんだった。まさか意識が戻るまで回復させてしまうとは思わなかったから。


「これは、かつて白き者と黒き者が使っていたとされる『いにしえの文字』だろう?」


 驚いた。


 その存在は秘匿されているわけではないが、一般に知れ渡っているわけでもない。

 遺跡に刻まれているその文字を知るのは、魔法陣か歴史に関心がある者だけだ。

 こんな所で出てくるとは。

 

「なぜ……それを?」

「家の歴史が長くてな。暇にいて家の書庫を漁っていたら、文献をいくつかみつけた」


 ごくり、とのどがなった。


「シャルムを見逃してくれるなら、その文献を譲る旨を書面にしたためる。私の命はいらない」

「持ち主に譲渡を断られたら?」

「それはないさ」


 リズは自嘲じちょう気味に笑った。


「当主は私だ。断るはずもない」

「本人が死んでいても?」

「それしきのことで当主の決定に異を唱えるような教育はしていない」


 呆れた。


 どこの家かは知らないが、師匠が手を貸すくらいなのだから、よほど大きな家なのだろう。自由がなかったというのも、当主としての教育を受けていたということか。


 事情があるんだろうけれど、こんなに若い女性を当主にすえるというのは、滅多にあるもんじゃない。


 その当主が逃げ出して、こんなところで死にそうになって、命と引き換えに誰かを助けようとしている。

 逃げ出してもなお当主だと言い切る自信も大概だ。


 ため息が漏れた。


「あーあーあー。わかりました。わかりましたよ」


 俺はシャルムを担いでいない左の手をあげて降参のポーズをとった。


「前から知っていたのなら俺が殺すのも違うと思いますし? 逃げる途中で引き返した誰かさんを助けようとして戻ってきたのに自分で殺すのも間抜けですし? ここまでされて冷酷に殺してしまえるほど人でなしではないですし? 俺が文字を使えることを黙っていてくれて、シャルムもそれを誓約してくれて、文献とやらを譲ってくれるなら、それ以上のことは言いません」

「約束する。シャルにも約束させる。絶対に」


 リズが真剣な顔でうなずいた。


「ノトは優しいな」

「……何言ってるんです? もうヘトヘトですし、今から殺しあいをするのが馬鹿らしくなっただけです。シャルムには助けてもらいましたし」

「そして強い」

「強くもないです。今回は本当にもう、信じられないほど無様でした。見てくださいよこの格好。泥だらけで、髪も服も炎にあぶられて、靴だって片方ないんですよ? 魔法陣もすっからかんです。リズは見てないかもしれませんが、最後なんて、あの球を力に任せて蹴り出しただけなんです。ドラゴンも逃がしてしまいました」

「そういう意味じゃねぇよ」

「そうそう! 俺は球を調べないといけないんでした」


 俺はシャルムを肩から下ろし、まだひざまずいているリズの横を抜けた。

 これ以上聞いていられない。


 球の光は収まっているが、魔法陣の帯は変わらずくるくると回っていた。


 近づいて恐る恐る球に触れる。


 固い。


 なで回すとどこもかしこもつるつるとしていて、足蹴あしげにしても、ドラゴンの首から落ちても、傷はつかなかったようだ。


 やはり中は見えない。


「これ、なんなんだ?」


 リズが横から球を覗き込んでいた。


「魔力抽出装置みたいなもんです。たぶん」

「たぶん?」

「ドラゴンの頭の上にあった魔法陣にはそんなことが書いてあったんですけど、こっちのが読めないんです」

「ノトでも読めないものがあるんだな」


 シャルムといい、リズといい、俺をなんだと思っているのだ。


「魔法陣は基本パーツの組み合わせでできていますから、パーツがわかれば大体の意味は読めるんです。あとはどれだけパーツや組み合わせのパターンを知っているか。だけどこれは、見たことのないものばかりで……これが力でこれが命なんですけど……その間が……捕って……大きくなったら……ああ裏側に回ってしまいましたね……路……集まる……だけど小さく……? これは……人形の祭り……ですかね? 水の月……闇と炎……作る……?」


 ダメだ。断片しか読み取れない。全然わからん。

 

 紙とペンがいる。

 背負い袋、背負い袋……あれ、どこやったんだっけ?


「なあ、ノト」

「俺の背負い袋どこに置いたか覚えてないですか? 取りにいかないと……」

「ノト。なあ、ノト!」


 そうだ預けて来たんだったと思い出したときに、リズが体を揺すった。

 指し示した先では、赤い球に巻き付いた帯状の陣が消えていくところだった。


「わあぁぁっ! 待て待て待て! 消えるな消えるな!」


 俺は思わず球に取りついたが、懇願むなしく陣は消えてしまった。


 がっくりと肩を落とした次の瞬間、球は突如ふっと消え、中のモノが姿を現した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます