第一章 出立

第2話 二人の訪問者

 嫌な夢を見た。

 起き上がり、片手で顔を押さえた。指の先から見える黒髪が恨めしい。


 あの日俺をどん底に落とした真っ赤な唇が、横倒しの三日月のように細く弧を描き両端がつり上がった唇が、脳裏にちらついた。


 不合格を突きつけられたあとしばらく、大きな赤い口に追いかけられ、食べられそうになる夢を見てうなされる夜が続いた。眠れるようになってからも、忘れたころに夢に現れては飛び起きた。

 そのたびに添い寝してくれたのが、その唇の持ち主なのだから皮肉なものだ。


 当時は死刑宣告にも等しく感じたが、今思えば人生の終わりでもなんでもなかった。死刑どころか、試験に通らなかったからこそ今の俺がいると思えば、まあ悪い気はしない。

 そりゃあ、ここまで来るのにものすごく苦労はしたけれど……。


 ……やめよう。

 これ以上記憶を掘り返すと心の闇が吹き出しそうだ。


 頭を振って立ち上がり、木窓を開ければ、部屋の中に明るい光が差し込んできた。木々を抜ける風が気持ちいい。

 そこかしこから鳥の鳴き声が聞こえてくる。ぼおんと太い弦を弾くような鳴き声もしているから、今日は一日中晴れるのだろう。

 洗濯がはかどって何より。アメクサの天日干しもそろそろ完成しそうだ。


 俺の心は外の天気と同じくらい晴れやかだった。


 なんといっても今日は八日ぶりの休日なのだ。寝起きが最悪だったからこそ、この一日はさらに素晴らしいものになるだろう。


 協会には午後に顔を出せばいい。ついでに食料の買い出しと、材料の注文をして……ああそうだ、石鹸がなくなりそうだったんだ。

 午前中は洗濯と掃除。アメクサを干して、ミズダケを採ってこよう。そろそろクロイチゴも収穫できるかもしれない。


 森のほのかに甘い匂いを胸一杯に吸い込みながら、大きく伸びをした。


 ああ、休日最高。




 ノックの音がしたのは、鼻歌を歌いながら服を着替えようとしていたときのことだった。


 とっさに、壁のカレンダーに目を通した。

 森の中にぽつねんと建っている家をわざわざ訪れる人は少ない。約束のない突然の訪問客の中で最も恐ろしいのが、納期を守れなかったときの催促だ。


 大丈夫。

 今日持っていけばギリ間に合う。

 

 ちょっくら近くまできたからよ、とお茶を飲みにやってくる木こりのおっちゃんだろうか。

 あんた持って行ってやりな、とおふくろさんに言われて食事を差し入れてくれる、肉屋の息子だろうか。


 念のため机の上の紙束に布を被せて隠し、上着を羽織って扉に向かった。


「はいはい、どちらさまですか?」


 果たしてそこにいたのは二人組だった。


 一人は黒い髪を後頭部で束ねた女で、武骨な剣を肩に担いでいた。

 焦げ茶色の革の幅広の帯を背中から回して胸元を紐で合わせただけの上半身に、下は同じ色の革のパンツとブーツ。

 腰にはヒップバッグをつけていて、そのベルトから下がっているのは、担いでいる剣の鞘だろう。左右の太ももに巻かれたベルトには、ナイフが二本ずつ。

 顔は美人だが目つきが鋭い。にやにや笑っていて人を食ったような表情だ。


 もう一人は、十二、三歳くらいの少女――いや、少年か――で、緑色で縁取りされた白いローブを羽織り、背丈ほどもある濃い緑色の杖を持っていた。格好からすれば明らかに魔術師だが、肩口で切りそろえられた銀髪が、その中でも優秀な部類に入ることを示していた。

 ローブに施された細かな刺繍や、ロッドの先の魔石の大きさだけでも十分に裕福であることは伺えたが、斜めにかけている鞄も身につけている装飾類も、よくよく見れば一級品ばかりだ。

 他の武器はローブに隠れて確認できない。


 思ったよりちゃんとした装備の客で少し動揺した。

 身なりからして強盗のたぐいではなさそうだが。


「ど、どちらさまでしょうか?」

「あ、ああ。協会から来た。ゴドール氏にお目通り願いたい。僕は特別審査官のシャルム。そしてこっちは護衛役のリズだ」


 口を開いたのは意外にも少年の方だった。歳相応の高い声なのに、喋り方は硬い。


 へえ。その若さで特審官とは。

 さぞかし優秀なのだろう。


 ん?


「特別審査官!?」


 なんで特審官がこんなところに? 俺、なんかやらかした!?


「ゴドールは俺です。い、依頼の品なら今日持っていく予定でした。遅れてはいないはずですが?」


 思わず声が上ずった。


「いや、依頼の品とやらのことではない。」

「それでは、何の御用でしょうか……?」


 依頼の催促であって欲しかった。

 それならもうできているのだから、渡せばおしまいだった。


 仕事の納期は守っている。ヤバい素材にはしばらく手を出していない。町の外の森に変な男が住みついているという通報が頻発したのはもうずっと前のことで、今は町の人たちにも受け入れられている。


 フタチリバナを家の裏に植えたのがバレた? 花が咲く前に収穫しているから気づかれないと思ったんだが。

 それともトラティットをギルドを通さずに狩ったのがまずかったか。角付近の肉は本当に美味うまかっ……じゃない、あれは角が早急に必要だったから仕方なくだ。痕跡は完璧に消したのに。

 素材屋に、テトラクの葉ではなく皮は手に入らないかとこっそり相談したのが漏れた? いや、あそこの店主は口が堅いし、お互い持ちつ持たれつの関係だ。密告するとは考えにくい。

 インクの配合を変えたことはそのうち届け出ようと思っていた。でもあっちだって気がついているはずだから、何かあれば特審官が動く前になんとかするだろう。


 ここ最近の記憶を思い起こせば、多少後ろめたいことはある。が、特審官のお世話になるようなことはやっていない。それも呼び出しではなく、直接家まで訪ねてくるような大事には全く身に覚えがない。


 まさか、あの実験のことってことは、ない、よなあ?


 背後の机の上にある、被せた布の下にあるモノ。

 あれが見つかったのだったら……特審官が来てもおかしくない。


「ゴドール氏に頼みたいことが」


 あ、依頼。依頼か。ああ、依頼ね。


 やらかしたかもしれないというのは杞憂だったようだ。

 ふぅと胸をなでおろした。


 それがあからさますぎたのか、少年の片眉がぴくりと上がった。可愛い顔をして仕草は一丁前だ。


「何かやましいことでも?」

「いえいえいえいえ! 痛くもない腹を探られたのかと思いまして! 依頼であれば、協会を通して頂きたいのですが。って、協会から来られたんでしたね! あはははは……」


 ぶんぶんと手を振って慌てて取り繕ったが、逆に不自然になってしまったかもしれない。思い当たることがなかったので、くらいにしておけばよかった。


「そうか。まあいい。ところでゴドール氏はご在宅だろうか?」

「さっきも言った通り、ゴドールは俺です」

「いや、お父上にお目通りを」

「父? ここには俺しか住んでいません」


 少年の顔が曇った。


「では、貴殿がノト・ゴドール氏か?」

「ええ」


 少年の眉間にしわが寄った。 


「あの、町の協会には寄ってきたんですよね? 俺の話、聞いてきました?」

「いや……」


 俺は空を仰いだ。


「こんな色をしているから、よく驚かれるんですけど、正真正銘、俺がノト・ゴドールです。魔法陣を描く仕事をしています」


 黒髪を引っ張って視界に入れながら、苦笑した。

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