閑話 穏やかな日常
もうじき1歳の誕生日を迎えるタランテラ皇家の嫡子、エルヴィン・ディ・タランテイルの最もお気に入りの玩具は、母フレアの視力となっている小竜ルルーの尻尾だった。
今日も誘うようにフルフルと揺れる尻尾を目掛けて高速ハイハイで近寄っていくが、寸でのところで小竜は飛び立ってしまい、そのままゴチンと壁に激突する。
「……う……う……う……ん、ギャー!」
長い溜めの後、大泣きしだしたエルヴィンは、乳母のユリアーナに抱き上げられるが、一向に泣き止む気配がない。その場にいたオリガやアルメリアもこぞって宥めたが効果はなく、結局、生母フレアの腕に収まったところで落ち着いた。
高い場所へ避難していたルルーを呼び寄せたフレアは指をしゃぶっている息子の涙をぬぐい、ぶつけた箇所を優しく撫でる。子供達が怪我をしないように育児室の床も壁も柔らかい素材を使用しているので、幸い
泣き止んだエルヴィンの目の前にはまた大好きな玩具がフルフルと揺れている。日を追うごとにエルヴィンの握る力も強くなっており、加減を知らないまま好き勝手をすればルルーの方が怪我をする。フレアはそっと息子を床に降ろすが、まだ抱っこしてもらいたいエルヴィンは再びぐずりだす。
「おお、にぎやかだな」
そこへエドワルドが姿を現す。討伐から戻り、真っすぐにここへ顔を出したらしく軍装のままだった。
「エド……お帰りなさい」
「ただいま」
総指揮官の彼が戦闘に加わることは無いと分かっていても、討伐は危険を伴う。無事に帰ってきた夫の姿に安堵したフレアは直ぐに夫の元に駆け寄る。エドワルドもそれが分かっているので、こうして帰還してすぐに来てくれたのだろう。
「怪我はない?」
「私は指揮だけだからな」
エドワルドは安心させるように妻を軽く抱きしめると、その頬に口づける。その場にいた女性陣は漂う甘い雰囲気に直視できなくなり、目を逸らす。すると、まだまだ母親に甘えたいエルヴィンが抗議するように手足をばたつかせてむずかりだす。
「エルヴィン、おいで」
エドワルドはその場にしゃがむと息子に声をかける。エルヴィンはパッと顔を上げると、くるりと腹ばいになる。そのまま這ってくるのかと思ったら、
「おぉ」
数日前からこうして何もないところで立ち上がれるようになっているのだが、仕事の忙しいエドワルドはその瞬間を目にしたことは無かった。息子の勇姿を目の当たりにし、思わず顔が綻ぶ。欲を言うとこのまま一歩二歩でも歩いてくれると嬉しいのだが……。
「まぁー」
呼んだ父親ではなく母親に向けて手を伸ばし、両親だけでなくその場にいる大人全員が見守る中、エルヴィンはその場で初めての一歩を踏み出す。しかし、思わず上がった歓声に驚いて尻餅をつくと、その後は這って母親の元にたどり着いた。
「すごいぞ、エルヴィン」
「よく頑張ったわ」
国主夫妻は親バカ全開で息子を褒めちぎる。代わる代わる抱き上げ、そのプニプニの頬に口づけた。だが、当の本人はルルーの尻尾に夢中で、どうにかして掴もうと奮闘している。
「また……お仕事ですの?」
討伐だけではなく国主としての仕事もあるエドワルドは多忙を極める。妖魔が最も頻発する時期は過ぎたが、それでも彼が本来の住まいである北棟に帰って来られるのは数日に一度だった。妻としては彼の体を気遣って少し休んでほしいと思うだけでなく、もう少し一緒に居たいと言う願いもあった。
「火急の案件が起こらなければ明朝まで休める」
「本当?」
エドワルドの答えにフレアは顔を綻ばせる。妻を溺愛するエドワルドはその反応に気を良くして彼女を抱き寄せるとその額に口づけた。
「では、行こうか?」
コリンシアの午後の勉強もそろそろ終わる。そうすれば今夜は久しぶりに一家団欒の時間を過ごせる。まずは北棟に戻って軍装を解くのが先だ。エドワルドは息子を腕に抱いた妻を促して保育室を後にした。
そんな微笑ましい主一家をユリアーナを始めとした女性陣は頭を下げて見送った。
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