20 皇都凱旋1

 穏やかな川の流れに乗り、一家を乗せた船は滑る様に進んでいる。今朝、最後の寄港地を出た一行の目前には皇都が迫っていた。

「あれが……皇都……」

 甲板で夫と並び、ルルーの目を通じて初めて皇都を目の当たりにしたフレアは少し緊張した面持ちで呟いた。今までは公務と言っても見知った相手に挨拶をする程度の物だった。だが、慣れない場所で初対面の人達との付き合いをこなしていかなければならない。エドワルドの妻としての試練はこれからが本番である。

「ああ。休みが終わってしまうな」

 妻の気持ちを解そうと、エドワルドは少しおどけて応えた。悲壮な決意で皇都を出立したのは一月ほど前の事なのだが、色々ありすぎてもう随分と前のような錯覚すら覚えていた。

「父様、母様」

 コリンシアが2人の姿を見つけて駆け寄ってくる。1年前の逃避行で怖い思いをしたからか、船で帰還すると聞かされた姫君はあからさまに嫌がり、フレアは表情を少しだけ曇らせた。エルヴィンだけでなくフロックス家の3人の子供達も同行するので、安全を考慮しての選択だったのだが、姫君はなかなか頭を縦に振ろうとしなかった。

 そこでエドワルドは出立までの間に何度も停泊している船へコリンシアを連れて行き、怖い思いをした小舟とは全く別物なのだと納得させたのだ。天候にも恵まれ、思いの外に快適な船旅だったので、今では逆に旅の終わりを残念がっている様子である。

「どうした、コリン?」

「もうすぐ着くね」

「そうだな」

「お城に着いたら、こうやってずっと一緒にはいられなくなるの?」

 確かに本宮に帰還すれば長かった休暇も終わる。エドワルドは毎日、膨大な量の執務をこなさなければならなくなるし、フレアもフォルビア公としての仕事をしながら上流貴族の付き合いをこなしていかなければならなくなる。コリンシア自身にも家庭教師がつけられ、大母補になる為の本格的な勉強が始まるのだ。

 船の中で幾度となくこれからの事を教えて来たのだが、生活環境の変化は子供心にも大きな不安を抱かせてしまっている。

「確かに、私も母様も仕事をしなければならなくなり、今までの様に一日の大半を共に過ごす日は少なくなるだろう。だが、出来るだけ早く仕事を終わらせて、1日の内に少しだけでも家族で過ごせる時間を作ろうと思う」

「……本当?」

 不安げに見上げる娘の頭をエドワルドは優しく撫でながら大きくうなずく。その様子をフレアは微笑ましく見守る。

「一度、中に入ろう」

 皇家専用の桟橋に着く準備の為、船員達の動きが慌ただしくなる。そしてそれにつられたようにエルヴィンの元気な泣き声が聞こえてきた。船が桟橋に着くまであと少し。残されたほんのわずかな時間は家族で過ごそうと3人は船室に足を向けた。




 本宮南棟の正面入り口でアルメリアは緊張の面持ちで立っていた。彼女の背後にはセシーリアやユリウス、そしてサントリナ公ら国を支える重鎮を始めとした貴族達がズラリと勢ぞろいしていた。エドワルド一家を乗せた船が皇家専用の桟橋に到着しており、迎えの馬車に乗り換えた彼等がもうじきここに到着するのだ。

 この場でこれだけの顔ぶれがそろうのは、他国からの賓客を迎えた時以外では外遊から帰還した国主の出迎えと同等となる。国主代行をしていたハルベルトですらここまでの出迎えを受けたことはなく、同じ国主代行であっても既にエドワルドを国主として認めているようなものである。

 当の本人はやり過ぎだと怒るかもしれないが、被害をほとんど出さずに内乱を平定し、大陸でも有数の実力者から支援を取り付けるなどの成果を上げている。今回アルメリアはこの出迎えを彼等に強要した訳では無く、彼の帰還の日時を知った貴族達が自主的に集まっているのだ。

 もっとも彼等の興味は新たなフォルビア公となったエドワルドの奥方の方に向けられている。既に様々な噂が飛び交い、大陸で最も有名な夫婦の娘でもある彼女が一体どんな人物なのか見極めようとしているのだろう。

「お着きになられます」

 フレイムロードを経由して情報を得たユリウスが告げると、その場はしんと静まり返る。やがて規則的な馬の脚音と車輪の音が聞こえてきた。ファルクレインで一足先に皇都入りし、桟橋で一家を出迎えたアスターが馬に乗って先導し、3台の馬車が次々と到着する。殿しんがりはルークが勤めており、他の数名の竜騎士達と周囲への警戒を行っている。

 中央に止まった一際豪奢な馬車の扉をアスターが恭しく開けると、最初に出てきたのはコリンシアだった。出迎えのあまりの多さに驚いた様子だったが、アルメリアが近寄ると嬉しそうに駆け寄ってくる。

「お姉ちゃん!」

「コリン!」

 アルメリアはしっかりとコリンシアを抱きしめた。フォルビアで会ったばかりだが、逃避行の詳細を思い出すとこの小さな従妹が不憫でならない。今はまだ公の場なので、アルメリアは涙ぐみそうになるのをどうにかこらえた。

 周囲のざわめきに顔を上げると、コリンシアに続いて馬車から降りたエドワルドが中から差し出された赤子を受け取っていた。別の馬車から降りた乳母役の女性がすぐに受け取ろうとするが、エドワルドは息子を片腕に抱いたまま、続けて降りようとする相手に手を差し出した。

「足元に気を付けて」

 一同が固唾をのんで見守る中、エドワルドに手を取られて肩に小竜を乗せた黒髪の女性が馬車から降りる。たおやかで気品のある姿に誰もが釘付けになった。

「お帰りなさいませ、叔父上」

 アルメリアは前に進み出るとエドワルドに淑女の礼をとる。大げさな出迎えにエドワルドはほんの一瞬だけ顔をしかめるが、すぐに表情を改めて話しかけてくる。

「出迎えありがとう。長く留守にして済まない」

 エドワルドは苦笑気味に出迎えた一同を労う。1月ほど前に出立した時にはどこかピリピリとした雰囲気を纏っていたのだが、傍らの女性に優しいまなざしを向ける姿は今までに見た事が無い位柔和な印象を受ける。彼等からはいかにも満たされた幸せな雰囲気が溢れ出ていた。

「妻のフレアと息子のエルヴィンだ」

 エドワルドは妻と共に抱いていた息子も紹介すると、集まっていた一同は大きくどよめく。船の中でお世話され、お腹もいっぱいでエルヴィンは良く眠っていたのだが、そのどよめきに驚いてぐずりだした。慌てた貴族達がしまったとばかりに揃って己の口を塞ぐさまは思わず吹き出しそうになるほど滑稽だった。

「フレア、義姉のセシーリアだ」

 乳母役のユリアーナにあやされてエルヴィンが落ち着いたところで、初対面となるセシーリアは改めてフレアに紹介される。

「フォルビア公に就任致しましたフレア・ローザでございます。至らぬ点が多々あると思いますが、どうか、よろしくご指導下さいませ」

「セシーリアでございます。長旅でお疲れでしょう。子供達もおりますし、奥棟に移動しましょう」

 エルヴィンを始め、小さな子供達もいる。手短に挨拶を済ませると、手筈通り一家を北棟に案内する事となった。今頃は船から先回りしたオルティスが一家の為に整えた部屋を確認し、彼等の為にお茶の用意をしている筈である。

 コリンシアはアルメリアと仲良く手を繋ぎ、フレアは夫に手を引かれて本宮へ足を踏み入れる。そのまま、北棟へと向かう予定だったのだが、サントリナ公とグラナトが申し訳なさそうにエドワルドを引き留める。

「殿下、急ぎ御裁可を頂きたいものがあるのですが、少し宜しいでしょうか?」

「……わかった」

 早速来たかとエドワルドは内心溜息をつく。仕方ないとばかりに肩をすくめると、妻に向き直る。

「仕事をしてくる。北棟を案内してもらっていていくれ」

「はい」

 フレアが頷くと、エドワルドはその頬に口づける。

「すまないが、後を頼む」

 控えていたオリガと護衛のマリーリアに妻を託し、コリンシアには頭を撫で、寝ているエルヴィンのプニプニした頬を突いて名残を惜しむ。そしてその間にそっとアルメリアに苦情を漏らした。

「あの出迎えはやり過ぎだ」

「私は誰にも強要しておりません。皆が自主的に集まって下さったのです」

「……」

 澄まして答えればエドワルドはそれ以上何も言い返さなかった。諦めたように肩を竦める。

「できるだけ早く終わらせてくる」

 まだ離れていたくないのか、エドワルドはもう一度フレアの頬に口づける。いつまで経っても離れそうにないので、呆れたアスターが声をかけると、彼は渋々重鎮達と共に執務室へと足を向けた。

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