12 グルースの受難3
「コリンはどうした?」
「ティムの訓練を見学に行っているわ」
「そうか」
ロベリアでの全ての予定が終了し、明日にはフォルビアに戻る。婚礼を挙げたばかりの彼等はそこで10日程蜜月を過ごし、その後ワールウェイド領の視察を済ませて皇都へ凱旋する予定だった。
正式に竜騎士見習いとなったので、皇女であるコリンシアは気軽にティムと会えなくなる。そこで彼女の淡い恋心を知っている両親は、訓練を邪魔しないと言う条件を付けて今日までは見学を許していた。
「ルークが見込んだだけあって、あの子は高い素質を持っている。リーガスも鍛えるのが楽しみだと言っていたわ」
ほんわかとした見かけからは到底信じられないが、自身も上級竜騎士である団長夫人がお茶を飲みながらのんびりとした口調で口を挟む。夫の名を口にした時に甘さを感じたのは気のせいではない。
「上級に上がるのも直ぐだろう。優秀な竜騎士が増えるのは良い事だ」
息子を腕に抱き、エドワルドは妻が淹れたお茶を幸せそうに飲んでいる。何だか、室内の糖度が一気に増した気がする。
「我々は明日ここを出立するが、グルース殿は如何される?」
「はぁ……患者も回復の兆しが見えてきたし、俺がここを離れても問題ない。そろそろ薬草園の方へ送ってもらおうかと……」
急に話を振られ、グルースは少し戸惑いながら答える。正直、この砦に漂う甘い雰囲気に当てられ、糖分過多で胸やけがしそうである。内乱から解放され、更にはエドワルドの成婚によって今のタランテラ国内には幸せオーラが充満している。山の中にあると言う薬草園まではその影響は届かず、静かに過ごせるだろうと考えたのだ。
「ならばフォルビアまで同行されるといい。その後は誰かに送らせよう」
「はあ、ありがとうございます」
本来ならばグルースのこの物言いは不敬にとられて
「嬢様、無理しすぎですよ」
グルースに呆れた様な視線を向けられ、寝台で横になるフレアは体を縮こまらせた。
「ごめんなさい……」
前日にロベリアからフォルビアに戻り、今朝、薬草園に送ってもらおうと準備を整えていたところへ、フレアが熱を出したから診てくれとエドワルドに呼び止められたのだ。普段の冷静な彼からは信じられない事に、随分と狼狽した様子の彼は夜着に上着を羽織っただけという出で立ちだった。
「疲れから来る熱ですな。ラトリからの長旅に加えて慣れない公務をこなし、加えてコイツに頼りきりの生活をしていれば、いくら嬢様でも疲れはたまる一方です。一区切りついて気が緩めば熱が出るのも当然」
眉間に皺を寄せたグルースは、枕元で心配げにフレアを覗き込んでいた小竜の首元を掴んで引き剥がす。切なげにクウクウ鳴く小竜を彼は側に居たオリガに手渡すと外へ連れて出るように命じる。いくらフレアの力が強くても、体が弱っている状態で使い続ければ体にかかる負担は大きくなる。過去にこれが原因で倒れた事があり、以来ペドロやアレスに気を付けるように口を酸っぱくして言われていた事だった。
「だって……」
「だってではありません。乳母を雇われたのなら、坊主の世話は彼女達に任せて当面は安静を心がけてください。当然、アイツの使用も禁止です」
「……はい」
本気でキレたらしいグルースの小言にフレアはしゅんと項垂れて小さな声で返事するしかなかった。
「フレア、大丈夫か?」
そこへまだ夜着のままのエドワルドが部屋に入って来た。余程心配だったのか、着替えをしていないだけでなく、髪はまだボサボサで顔には無精ひげが生えたまま。折角のいい男が台無しである。
「エド……」
自分が呼んだくせにグルースも目に入らない様子でエドワルドは寝台に横になったままのフレアを抱きしめる。診察を始める前はただおろおろして邪魔だったので寝室の外に追い出されたのだが、ルルーを連れ出したオリガから診察が終わったと聞いて入って来たらしい。
色々と注意事項を言っておきたいところだが、この様子だと耳にも入らないだろう。グルースは深くため息をつくと、診察道具を片付けて寝室を後にした。
部屋の外には心配げに寄り添う2組の夫婦の姿があった。フォルビア総督夫妻とワールウェイド公夫妻である。今のエドワルドよりも彼等の方に病状と注意事項を話した方が確実だろう。グルースは病状と先程フレア自身にも話した注意事項を簡単に説明する。そして最後に数日休めばすぐに良くなると伝えると、彼等はホッとした様子で互いの伴侶と抱き合っていた。心なしかこの場でも甘い空気が漂って来る。
「私としてはもう薬草園の方へ移りたいのですが、送って頂いても宜しいでしょうか?」
「勿論です。すぐに手配いたします」
当初の予定ではワールウェイド公夫妻に送ってもらい、一緒に視察を済ませる予定だったが、フレアが寝込んだことによって彼等は今しばらくフォルビアに待機する事となった。代わりに雷光の騎士に送ってもらう事になり、もう一度荷物をまとめた彼は若い竜騎士に案内されて着場に向かう。
そこには既に見送りの為にオリガが来ており、恋人と手を繋いで何やら話し込んでいる。互いに交わす視線は甘く、グルースも案内してくれた若い竜騎士もその甘さに耐え切れずに思わず天を仰いだ。
「そろいもそろって浮かれやがって、全くこの国はどうなっているんだ」
これがこの国に赴任した彼の率直な感想だった。
その後無事に薬草園の管理人に就任して10年の歳月が流れた。今頃皇都ではエドワルドの即位10周年を記念した宴が開かれている事だろう。本当はグルースもその宴に招待されていたのだが丁重に断り、いつも通り畑に出て薬草の世話をしていた。
「グルース先生!」
呼ばれて顔を上げた彼は、とたんに不機嫌なものとなる。そこには10代半ばの少年が目を輝かせて彼を見ていた。
「何だ、また来たのか? 未成年は受け入れないと何度言ったらわかる?」
「ついこの間、成人を迎えました。夏には学校も卒業しました。お願いです、弟子にしてください!」
「お前なぁ……」
バートと名乗る少年は2年くらい前から彼に弟子入り志願してこの薬草園に通って来ていた。明らかに未成年で学校も出ていない様子なので突っぱねているのだが、それでも彼は学校が休みになるたびにここへ足繁く通っていた。少しずつここの作業を覚え、今ではグルース以外の人間には仲間として認められてしまっている。
「僕は先生のおかげで助かったんです。幼かったのでおぼろげにしか覚えていませんが、それでも先生が励ましてくれて安心したのは良く覚えています」
少年は10年前、グルースがここへ赴任する前に診たかぶれが全身に広がって苦しんでいた幼児だった。あの時、治療してもらったのを記憶していた彼は、ただ一図にグルースの弟子にしてもらうのを夢見ていた。
あの後父親になった隊長も母親も彼を応援してくれてその為の学校に通わせてくれたのだ。実はかなりの好成績で皇都での仕事も勧められていたのだが、グルースの弟子になりたい彼はそれを蹴ってここへ来たのだ。
「お願いします」
「……弟子はいらん」
「給料は無くても構いません」
「……」
その姿は遠い昔に彼がペドロに弟子入り志願した時と重なる。最初に断られた彼は毎日のように師匠の元へ押しかけ、無理に雑用をやらしてもらい、遂にはペドロの方が根負けして弟子と認めてもらったのだ。
「薬師殿、諦めて弟子にしてやりなせぇ」
この分だと野宿してでもここに居座るつもりだろう。元よりバートに好印象を持つ古株の作業員に口添えされてはグルースも意地をはれなくなってくる。
「……技は見て覚えろ」
グルースが出した答えに少年は満面の笑みを浮かべて喜んだ。
「ありがとうございます!」
その後……技を見て覚えようとする少年に始終張り付かれる事になり、この決断を彼は大いに後悔した。そして今になってようやく、あの当時の師匠の気持ちが痛いほどわかったグルースだった。
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