5 もたらされた恩恵1

ペラルゴ村先代村長の場合



 涼やかな秋の風が吹く牧草地の中で、のんびりと草を食んでいる綿羊の姿を見て老人は嬉しそうに目を細めた。昨年までフォルビア南部にあるペラルゴ村の村長をしていた彼は、この光景に感慨も一入だった。

「人生、分からんもんじゃのう……」

 老人はポツリと呟いた。


 リラ湖の南岸はフォルビア領でありながら、土地が痩せていて耕作には不向きな土地だった。そこでペラルゴ村では昔から綿羊を育て、刈った毛から糸を作って生計を立てていた。春に毛刈りをした綿羊を夏場は広大な放牧地に放ち、冬場は畜舎に納めて夏場に作った乾草を与えて育ててきたのだ。

 だが数年前、表向きはフォルビア公の命令でその放牧地が僅かばかりの金で買い上げられてしまった。だが後になってその土地は親族達が不正の目くらましに使ったのだと知った。しかも村人には立ち入りも禁止され、村で綿羊が育てられなくなってしまったのだ。村の収入減が断たれ、税が支払えなくなった。足りない分は労役が課せられ、村の働き手は連れて行かれてしまい、残った者は僅かな土地で細々と野菜を育てるしかなかった。

 そんな中、あの内乱が起きた。新たな女大公様についての人となりは遠方に嫁いだ娘から聞いていたが、それでも正直な話、この田舎においては誰が国主になろうと、大公になろうと、さほど変わりは無いと彼等は思っていた。

 だが、実際にこの地まで追手を逃れてやってきた彼女達に会い、どこまでも清廉なその姿勢に心打たれた。村に引き留めようとしたが、ロベリア目指して旅を続ける決意をした彼等に、当時、村長だった老人は架空の手形を用意した。もちろん、ばれれば厳罰が待っているが、それでもその時は彼女達に何かしてやりたい一心だった。

 田舎にいれば情報は限られる。だが、内乱が終結したのはすぐに伝わってきた。親族達が失脚したおかげで不当な労役を課せられていた村の働き手達が帰り、礼にと彼女達が置いていってくれたお金でどうにか冬の準備も整えられる。

 あの4人がその後どうなったのか気がかりだったが、平和な日常を取り戻してしまうと、それを壊すのが惜しくて自ら問い合わす事はしなかった。彼女達に託された髪は雷光の騎士に渡す約束だからと言い訳をして……。


「私はフォルビア騎士団所属のルーク・ディ・ビレア。お伺いしたい事がある。村の代表の方にお会いできないだろうか?」

 冬も間近になったある日、彼はやってきた。伝え聞く名声とは裏腹に、彼は随分と憔悴しょうすいしきった様子だった。聞くところによると、女大公様に付き添っていた若い女性とは将来を誓い合った仲らしい。覚悟を決めて、預かっていた彼女達の髪を差し出す。包みを開けた彼は、レースのリボンで束ねられた髪を手にすると静かに涙を流した。

 結局、手形の偽造に関してのおとがめは免れた。それどころか新総督はわざわざ視察に訪れ、村人たちの陳情に耳を傾けてくれた。その結果、封鎖されていた放牧地は村の財産として無償で返してもらえることになった。以前の様に綿羊を揃えるには時間がかかるだろうが、それでも出稼ぎに頼らずに済むのだ。

 罪に問われなかったが、一歩間違えば村全体に連帯責任を負わせられる可能性があった。老人は自身のけじめとして、春分節を機に村長の肩書を息子に譲った。リラ湖の北ではきな臭い事態になろうとしていた頃、若い村長の下、ペラルゴ村は新たな門出を迎えた。




 稀有けうなる群青の空が顕現した3日後の昼下がり、村にかつてない程の飛竜の一団が訪れた。村の皆が腰を抜かして驚いていると、一際大きな飛竜から子供が降りて一目散に駆けてくる。

「おじい! おばあ!」

 記憶の中よりも大人びた女の子がプラチナブロンドを風になびかせて駆けてくる。その後ろには恐れ多くも父親らしい人物の姿があり、腕に何かを抱えた見覚えのある女性に手を貸している。彼女と共に訪れた姉弟の姿もあり、姉の方は雷光の騎士に手を取られて歩いている。他にも総督閣下を始め、服装から判断すると相当位の高い人物が揃っている様だ。

「ど、ど、ど、どうしよう……」

 狼狽うろたえる息子を普通なら喝を入れて断ち直させるのだが、自分自身も驚愕のあまりにどうしていいか分からない。そうこうしているうちに姫君は妻の元へ駆け寄り、後続の恐れ多い一団も目の前に迫っていた。

「お騒がせして申し訳ない。私はタランテラ国主代行エドワルド・クラウス。ペラルゴ村の先代村長殿か?」

 そのプラチナブロンドを見れば名乗られるまでも無い。稀有な髪を風にたなびかせて目の前にやって来る。驚きから立ち直っていない老人はギクシャクとうなずくしかできなかった。

「我が妻子の危急を救ってくださり、ありがとうございました。こうして無事に再会を果たせたのもあなた方のおかげです。遅くなりましたが、改めてお礼申し上げる」

「村長様、奥方様、1年前のあの危急の折には助けて下さってありがとうございました。お2人の……いえ、村の皆様のご厚情に深く感謝いたします」

 国主代行にフォルビア女大公。片田舎のただの隠居となった身からしてみれば雲上人ともいえる2人が恐れ多くも自分達に深々と頭を下げる。彼等だけでは無い。後ろに控えていた竜騎士達は揃って騎士の礼をとる。

「我等からもお礼申し上げる」

 続けて進み出て来たのは夫婦らしい2人。女大公様の養父母だと紹介される。立派な身なりからやんごとないお方だと思ったが、よくよく聞くと大陸で最も有名な夫婦だった。もう驚きを通り越して何の反応も出来なかった。




 女大公が腕に抱いていたポヤッとした髪が特徴的な赤子の泣き声でようやく我に返った。

「こ、こんな所でいつまでもすみません。狭いですが、どうぞ中にお入りください」

 老人は慌てて屋内に案内し、妻はまだ固まっている村の夫人達にも手伝ってもらってお茶の支度を始める。ただ、来客全員が入れるほど家は広く無い。あの時訪れた4人と殿下と総督閣下、そして女大公様の養父母が居間に入るともう窮屈に感じるほどだった。仕方なく護衛で来ているらしい竜騎士のほとんどは外でお待ちいただくことになった。

 場を和ませた最大の功労者は、妻が女大公と共に別室へ案内した。汚れたおしめを取り換え、清潔な衣服に着替えさせて居間に戻る。まだ眠くないらしく、人見知りをしないので誰に抱かれてもいい子にしている。時折手足をばたつかせるが、それはそれで大人達の笑顔を引き出していた。

「身重のお体でよう、ご無事で……」

 旅の途中で懐妊に気付き、困難な旅を経てようやく帰りついた故郷で出産したと聞き、妻はその苦労に胸を痛めた。あの時、やはりもっと強く引き止めるべきだったと思わずにはいられなかったが、それでもあのままこの村に居たのでは、反逆者側に見つかっていた可能性の方が高かっただろう。あの後もひっきりなしにこの近隣に兵隊が現れ、彼女達を探し回っていた。

 4人は事情があって女大公の故郷にいる事を伏せていたのだが、つい先日タランテラに戻って来たのだと言う。養父母の協力もあり、未だ抵抗を続けていた反逆者を捕えて全ての問題を解決し、そしてあの群青の空が顕現した日に2人は婚礼を挙げて正式な夫婦となったのだと教えてくれた。

 領内全てに触れを出しているのだが、田舎の所為かまだペラルゴ村には届いていない。急ぎの通達なので、数日中には届くかもしれない。思いがけない慶事に老夫婦も同席した息子も思わず顔がほころんだ。

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