107 不穏な気配4

 およそ1年ぶりにタランテラを訪れていたオットーは、上司であるベルクの命で新たなフォルビア公の就任式と婚礼に立ち会うためにフォルビア城下の小神殿に滞在していた。

 正直、この国にもう来たくはなかったのだが、彼は上司直々にこの地を任されている。ましてや今回はベルク自身が皇都で行われるゲオルグの即位式と婚礼に招かれており、同行を命じられれば拒否などできるはずもない。仕方なくベルクのお供としてこの地に足を踏みいれた。

 早々に客間に引き上げ、広い寝台で横になっても悪夢が彼をさいなみ深く眠ることが出来ない。この1年の間に乱用しすぎたせいで薬の効きも悪くなってしまい、持病と化しつつある胃の痛みに耐えてただ体を横たえていた。


ドン、ドン、ドン


 俄かに外が騒がしくなり、客間の扉が叩かれる。オットーは鉛の様に思い体を起こすと、傍らに用意してあったガウンを羽織ってから扉を開けた。

「何事か?」

「お休みのところ申し訳ありません。たった今、フォルビア城が竜騎士達により陥落致しました」

「何?」

 報告の内容が信じられず、オットーは念押しする。

「間違いないのか?」

「はい」

 報告に来たのはグスタフを通じてラグラスに貸し与えられた『死神の手』と呼ばれる傭兵団の隊長だった。元々はベルクの子飼いの傭兵で、オットーが滞在する間、小神殿の警護を任されていた。歴戦の強者なのだが、彼の表情は心なしか強張っている。

「詳しい状況はまだ把握出来ていませんが、城が竜騎士達に制圧されたのは間違い無いようです」

「……」

 オットーは急いで考えを巡らせる。上司のベルクは先に皇都に向かったのでこの場には居ない。この不測の事態は速やかに報告するのは当然として、自分達だけで何か手を打っておかなければならない。上司の指示を待っていたのでは手遅れになり、今までこの地で築いてきたものが全て無駄になってしまう恐れがあったからだ。

「今、動けるのは何名だ?」

「私を含め100名ほどになります」

「少ないな……」

 ラグラスに貸し与えた兵は300名である。それがこの国で初仕事となった襲撃でいきなり大きく数を減らす結果となった。ただの兵ではない。薬でその能力を大幅に底上げし、更には指揮官の意のままに動くようにした特別な兵達である。

 それらの兵の100名近くをエドワルドとその副官のたった2人で戦闘不能にしたと報告を受けた時にはにわかには信じられなかった。更にはラグラスが勝手にリューグナーを始末したおかげで薬の供給が滞り、一部の兵士が禁断症状で使い物にならなくなっていた。

「先ずはこの事をあの方にお伝えしろ。それから、とにかく情報を集めろ」

「かしこまりました」

 隊長は頭を下げると部屋を出ていく。オットーは落ち着きなく部屋をうろうろしながら考えをまとめるが、情報が少なすぎて対策を練りようがない。結局、まんじりとも出来ずにそのまま夜を明かしたのだった。




 翌日になって竜騎士側から通達があり、状況は思った以上に深刻だった事が判明した。とっくに処刑されていたと思っていたエドワルドだけでなく、その副官のアスターも、そして遠く南の海で死んだはずのエルフレートまで生きていたのだ。更には間近にゲオルグとの婚礼が控え、厳重な監視下に置かれていた皇女が自由の身となってこのフォルビアに来ていることもオットーを驚かせた。

 このままではグスタフの失脚は免れない。そうなるとカルネイロの威信にかけて今まで築き上げてきた計画が根本からくつがえされてしまう恐れがあった。それなのにラグラスが張った物とは比べ物にならないほど強固な非常線のおかげでフォルビアから北方への出入りが厳しく制限され、この一大事を上司へ報告する算段が付かない。

 元々グスタフに近しい間柄だったため、高神官のオットーは身柄を拘束されないまでも竜騎士達にその動向を監視されていた。更には手下の何人かが竜騎士側に捕らえられていることも後から分かった。彼等が『死神の手』の内情をしゃべらないとは限らない。一刻も早く手を打ちたいのだがそのすべが見いだせなかった。

 悩みに悩んだ挙句、事件の2日後になってオットーはロイスを小神殿に呼び出した。このまま何もしないでいてはただ全てを失うだけだ。一か八かだがロイスを脅してでも味方に引き入れ、利用しようと考えたのだ。

「急に呼び立てて申し訳ない」

「殿下のお見舞いにこちらへ来ておりましたので問題ありません」

 エドワルドは体調が良くないらしく、直接会える者はごく一部の人間に限られていると聞いていた。元々懇意にしていたのだろうが、後から部下達が集めて来た話によると、ラグラスの支配下にあったフォルビアで活動する竜騎士達に何かと便宜を図っていたらしい。今回の襲撃の陰の立役者となったロイスはその一部の人間となっているのだろう。

 正直に言うと腹立たしかった。ロイスが余計なことをしてくれたおかげでこちらは瀬戸際に立たされているのだ。それでもその苛立ちを隠して和やかに話しかける。

「殿下の御様子は如何でしたか?」

「随分消耗されておられるご様子でしたが、休養をとれば程なく回復なさると医師は見立てております」

 管轄内でこれだけの騒動があったのだから当然なのだが、答えるロイスは幾分か疲れた表情をしていた。落ち着かない様子で居住まいを正すと、徐に本題を切り出してきた。

「今回は何用でございますか?」

 心なしか言葉にけんがある。昨年から何度か無理な要求を重ねたのもあってか、警戒しているのだろう。

「単刀直入に言いましょう。竜騎士達に捕われた私の部下達の解放に協力して頂けませんか?」

「……それはヒース卿に頼むのが筋ではありませんか?」

 ロイスの返答はもっともなのだが、ラグラスに手を貸した傭兵達が無罪放免になる可能性は限りなく低い。素直にそう答えると、ロイスは怒りをたたえた眼差しでオットーを見据えていた。

「あなた方は一体この国で何を成そうとしておられるのか?」

「この大陸の未来を見据えた研究ですよ」

「きれいごとは無しにしましょう。真相を語って頂けないならば、このまま帰らせて頂きます」

 思った以上に強気の答えが返ってきてオットーは驚いた。だが、こうなったらロイスを徹底的に追い込んでやろうとオットーの闘争心に火がついた。

「きれいごとでも何でもありませんよ。昨今、竜騎士の質も数も減っているのは周知の事実です。我々はそれを補うための研究をしているのです」

「だからと言ってあれを作る理由になりません」

「あれとは何を言っておられるのですかな?」

 昨年、リューグナーに宛てた荷物の中身を彼は知っているのだ。借りた温室内で何を栽培しているか執拗しつように訊ねて来たことからしても、彼はあの中身を確認するだろうと踏んでいた。その正体を知り、生真面目な彼は悩みに悩んだに違いない。

 勿論、確認しなくても問題はなかった。彼がどう行動しようと最初から何の支障もないように計画は立てられていた。

「口に出すのもはばかれる。礎の里が禁止している薬物です」

「ほう……」

「リューグナー殿に預かった物の中身を見せて頂きました。彼はそれが禁止薬物だと明言し、そしてその中身は温室で育てていたものを収穫していた時期に嗅いだのと同じ匂いがしていました。それだけで確たる証拠となる訳ではありませんが、それでもあなた方が画策していることはとても許容できるものではありません。

 助け出されたエドワルド殿下は国主代行に任じられており、ワールウェイド公は更迭される見込みです。あなた方が彼と懇意にしていたのは周知の事実。今まで通り優遇される事はもう無いでしょう。何をしようとしていたかまではもう聞きませんから、潔くこの国から手を引いては頂けませんか?」

 確かにエドワルドが生きていたのは誤算だった。ロイスの指摘通り、今まで通りというわけにはいかないだろう。だが、まだ方策はある。何しろロイスが言った通り、証拠は残していないのだ。

「さて、困りましたな。貴公がご覧になった物が当方から預けた物だと断定できるのでしょうか?」

「それは……」

「それをリューグナー殿にことづけたのが当方からという証拠はありませんな。もしあったとしても、貴公はそれをすり替えることが出来たわけです。変な言いがかりは止めてもらいたいですな。それとも貴公は我々に冤罪をかけて貶めるおつもりですかな?」

「なっ……」

 ここまでの反論を予期していなかったのか、ロイスは言葉に詰まる。それにしてもこの程度の追及で非を認めるとでも思ったのだろうか、甘いにも程がある。オットーは手を緩めることなく、仕上げとばかりに更に畳みかけていく。

「我々はこの地に住まう領民の為に、延いては大陸の未来の為にと、正当な理由があってワールウェイド領に施設を作りました。ここの温室を借りたのも、そちらの工事が遅れてやむを得ない措置での事。言いがかりは止めて頂きましょう」

 言葉に詰まったロイスは冷めきってしまったお茶を口にする。その様子を確認し、オットーはしてやったりと内心ほくそ笑む。お茶にはあらかじめ、ソフィアにも使わせた思考を鈍らせる薬を含ませている。すぐには効果を表さないが、じっくり時間をかけて話し合っていけば自ずとこちらの要望を聞き入れる事になるだろう。勝利を確信したオットーはロイスの見えないところでニヤリと笑みを浮かべた。


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