84 かけがえのない存在2

「帰ってこないな……」

「ええ……」

 日は既に山の向こうに沈もうとしていた。見事な夕焼けから空はだんだんと夜のとばりに覆われようとしている。既に星が瞬き始めているのだが、昼間、湖から飛び立った飛竜達が戻ってこないのだ。気配をたどろうとしても距離が離れていて居場所が掴めない。そのうち帰って来るだろうと軽い気持ちでいたのだが、さすがに心配になってくる。

「フォルビアの方まで行って見つかったのかしら……」

 2頭が向かったのは南西の方角だった。真っ直ぐ行ったとは限らないが、飛竜の翼ならばフォルビアは目と鼻の先である。慎重なファルクレインなら危険をうまく回避できるだろうが、自由奔放な性格のカーマインは本当に心配だった。

「冷えて来た。中に入ろう」

 日が沈むとぐっと気温が下がってくる。アスターがマリーリアを気遣い、屋内へと誘う。2頭が帰れば気配で分かるので、彼女も素直に従った。

 早めに夕食を済ませていたので、暖炉の前に敷かれた毛皮の前に2人で並んで座る。柑橘の果汁と蜂蜜をお湯で割った物を飲みながらマリーリアは燃え盛る炎を見ていた。

「このまま……こうしていられたらいいのに」

「マリーリア?」

 ぽつりとこぼれ出た言葉にアスターは怪訝けげんそうな表情を浮かべる。

「一体どうした?」

「……何でも……ない」

「そんな風には見えないから聞いている」

 心配なのだが、どうしてもマリーリアが相手だと口調がきつくなってしまう。

「何でもないって」

 マリーリアもついムキになる。

「言ってくれ、何があった?」

 彼がこの山荘に移ってからの間に事態が進展したのだろうか? アスターはマリーリアの顔を覗き込むが、彼女は目を逸らす。

「だって……」

「だって、何だ?」

「貴方には……関係が……」

 震える声で答える彼女にアスターはムッとする。

「そんな言い方ないだろう?」

「仕方ない……のよ……」

「だから何がだ!」

 ついカッとなって言葉を荒げた時に、あの嫌な痛みが彼を襲う。頭を押さえ、その場にうずくまる。

「くっ……」

「頭痛? 薬を……」

「関係……ないんだろう?」

 刺し延ばしたマリーリアの手を振り払うと、アスターはヨロヨロと立ち上がって棚から乱暴に薬を取り出し、丸薬を3つまとめて飲み下す。

「アスター卿……」

「悪い、休ませてもらう」

 用意してあるのは比較的強い作用のある薬だった。睡眠薬も混ざっていて、飲むとすぐに睡魔が襲ってくる。アスターはふらつく足取りで寝室に行き、そのまま寝台に倒れ込んだ。



 鳥のさえずりと顔にあたる陽の光でアスターは目を覚ました。既に頭痛は治まっていたが、気分は最悪だった。

「っ……」

 這い出る様にして寝台から降りて寝室を出ると、もうマリーリアの姿は無かった。少し不機嫌なファルクレインの思念が伝わって来る。

「……」

 昨夜のマリーリアとの会話を思い出し、あんな言い方をするんじゃなかったと嫌悪感に襲われる。ふと、居間のテーブルの上に置手紙と何やら布の様な物が置いてあった。手に取ってみると、それは手縫いの眼帯だった。

『カーマインが戻って来たので帰ります。眼帯は気に入らなかったら捨てて下さい。マリーリア』

 意地を張っている時の彼女らしい手紙だと思わず苦笑する。意地を張っているのは自分も一緒かもしれないとアスターは思い直し、眼帯を手にするとそれをつけてみる。肌に直接当たるところは柔らかい布を使用していて、彼女なりの心遣いが伝わってくる。捨てるなんてとんでもなかった。


ドンドンドン!


 乱暴に扉が叩かれ、アスターの返答を待たずにベルントが入って来る。

「アスター卿! マリーリアを止めなかったのか?」

そう怒鳴り込まれ、アスターは目を瞬かせる。

「止めるって……何をだ?」

「マリーリアをだ! 今日、迎えが来てあの子は行ってしまった」

「ど……こへ?」

「嫁にだ!」

「よ……め?」

「大殿の決定で、マリーリアはフォルビアのラグラスに嫁がされる。2日後に大公位の認証式と一緒に婚礼をあげる事になったんだ。エルデネートさんもあの子の侍女としてついて行ってしまった!」

 アスターは頭の中が真っ白になり、ただ、機械的に相手の言葉を繰り返していた。やがて、ようやくその意味を理解し、血の気が引いてくる。

「な……んだと?」

「……聞いてないのか?」

「あのバカ……」

 怒りで体が震えた。何故、話してくれなかった? 何で、よりによってあの男の元へ嫁ぐ決意をしたのか? そして何よりも自由の許された1日を自分に会いに来てくれたと言うのに、些細な事で腹を立て、思い悩んでいる様子の彼女からちゃんと話を聞き出してやらなかった自分にも腹が立った。

「何故だ!」

 怒りに任せ、拳でテーブルを叩く。その怒りに同調し、外でファルクレインが咆哮する。

「今の大殿に命じられれば断る事は出来ない。兄貴もどうすることも出来ないらしい。あの子は……自分が行けば大々的な宴が開かれる。そうなれば堅固なフォルビア城にも隙が生じ、あの方を助ける手助けになると信じている。だが……あの男は……」

 リカルドがフォルビアへ放っている密偵により、ラグラスの悪評は彼等の耳にも届いていた。そんな男の元へ妹の様に可愛がってきたマリーリアが嫁がされ、しかも惚れた女性まで付いていくことになり、ベルントはもう黙っていられなかったのだろう。

「正直、ワールウェイド領の人間は警戒されてロベリアの竜騎士達になかなか接触できない。彼等がどういうつもりなのか分からず、手をこまねいている状況だ。頼む、手を貸してくれ」

「もちろんだ」

 アスターに迷いはない。片目での戦闘に不安は残るが、昨日の様子を見る限りファルクレインはもう十分回復して飛べるようになっている。己の存在を明らかにして親友を始めとしたロベリアの竜騎士達に合流する頃合いだろう。

「恩に着る。ロベリアの竜騎士達が動いて、囚われているという殿下を助け出すことが出来れば、俺達も心置きなく動ける」

「何かするつもりなのか?」

「ああ、何としてもあのゲオルグを国主にするのだけは阻止する」

「何をするつもりだ?」

 暗殺と言う言葉が脳裏を過る。だが、それを実行すれば面倒な事になるのは間違いない。アスターはベルントを睨みつけていた。

「貴公が考えている事じゃない。アイツがその資格すらない証拠があるんだ」

「何?」

 更に問い詰めようとしたところで、新たな来客をファルクレインが伝える。カーマインの気配と共に複数の騎馬が近づいてくる。ほどなくして現れたのは、渋い表情を浮かべたリカルドだった。

「ベルント! お前は勝手な事を!」

「だからと言って兄貴、このまま黙っているつもりか?」

「下手に動いてみろ、全てを握りつぶされるのがオチだぞ」

 長兄と末弟が言い争いを始める。後から何かを大事そうに抱えて入ってきた次兄のラルフと妹のテルマは、その様子に呆れて溜息をついた。

「リカルド殿、マリーリアの件、何故知らせてくれなかった?」

 兄弟喧嘩をさえぎったのは冷え切ったアスターの声だった。第3騎士団の元部下達なら直立不動で固まるところだが、リカルドはものともせずに言い返す。

「貴公にとって優先すべきは主君であるエドワルド殿下だろう? 以前のような権限もなく、まだ十分に動けない状態の貴公にマリーリアの事にかまっている余裕があるのか?」

「余裕? そんなものは無いさ。だが、方法は有るはずだ」

「どうしてそこまでしてあの子に構う?」

 リカルドの鋭い視線をアスターは正面から受ける。試されていると悟り、大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせてから口を開く。

「彼女自身の気持ちは確認していないが、単なる恩人としてではなく、かけがえのない相手だと……たった今だが自覚した」

「……気付いてなかったのか。貴公だけだぞ、あの子があそこまで必死になったのは」

 アスターの返答にリカルドは少々呆れてため息をつくと、全員に座る様に指示する。そして弟と妹が持ってきた荷物を広げた。

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