31 流浪の果てに1

 エドワルドが家族の無事を願っていた頃、フロリエも月を見上げていた。

 彼女達の過酷な旅は未だ終わっておらず、一行は今宵も野営をしていた。フォルビアの南にはダナシア神殿の総本山、礎の里が聖域と定めているクーズ山を中心とした山脈があり、そこを一行は目指す事になったのだ。

 ペラルゴ村を後にした彼らは、同行した男の紹介で近くの村に立ち寄った。男はその村で、農耕馬の繁殖をしている知り合いに、仔を産まなくなった牝馬を分けてくれるように頼んでくれたのだ。他にも分けてもらった干し草を布で包み、即席のクッションを作って古い荷車の振動を和らげる工夫をしてくれた。

 馬を分けてもらえたことにより、歩くつもりでいたティムはその老いた牝馬に跨り、女性陣は荷車に乗って旅をより快適に続けられることになった。彼らは少し遠回りまでしてくれた男に深く感謝して別れたのだった。

 先行きが怪しくなり始めたのはその4日後の事だった。食料の補給に立ち寄った村で、ティムはロベリアから来た行商と知り合い、境界の渡し場で行われている厳しい検問の話を耳にした。大がかりな関所が設けられ、特にフォルビアから出ていこうとする女性に厳しく、身体検査まで行われるらしい。

 その場は平静に聞き流したティムであったが、行商の一団と別れると急いで他の3人を待たせている古びた宿屋へ戻った。久しぶりにまともな寝台で休めることを喜んでいた彼女達はその知らせに驚き、手形を見せるだけでは関所を通してもらえないことに頭を悩ませた。

 ここから南の境界にはずっと川が流れていて、似たような渡し場があるものの、同様な検問が行われているのは間違いない。北へ行こうにもこの先で同じ検問を受けて湖を渡らねばならない。馬で川を渡れなくもないが、川は広い上に上空を絶えずフォルビアの飛竜が行き来しているという。訓練も受けていない4人が夜間に渡河をするのは不可能で、昼間ならばすぐに見つかってしまうだろう。

「あなた達だけならこの手形で通れるでしょう。2人でロベリアへ行きなさい」

 フロリエはオリガとティムの姉弟にそう言って、エドワルドが渡してくれたお金も渡そうとしたが、2人は頑として首を縦に振ろうとしなかった。

「奥方様や姫様をおいて逃げるなど出来ません」

「お2人でどこへ行かれると言うのですか?」

 2人は断固として反対するが、それでも彼女は困った様子で2人の説得を試みようとする。

「私達なら大丈夫です。行く当てはありますからあなた達だけでも安全な場所へ……」

「それはできません、奥方様」

「当てがあるというのなら、我々もお供いたします」

 ペラルゴ村を出発してから彼らは用心してフロリエとコリンシアを名前で呼ばないようにしていた。特徴的な名前でもあるため、他人に聞かれれば気付かれる恐れもあったからだった。それ以前に人が多く集まる場所には4人で行かない様にもしていた。買い物などの雑用はほとんどティムが一人でこなし、その間にオリガはフロリエとコリンシアのそばに付き従うようにしていた。

 3人の話を今にも泣きそうな表情で聞いていたコリンシアはフロリエのそばに寄って彼女を見上げる。

「母様、どうしてオリガとティムは一緒に行けないの?」

 娘の問いにフロリエはさらに困った表情になり、彼女の頭を優しく撫でながら答える。

「そこは余所から来た人間を極端に嫌うのです。例え私の娘だと言っても、もしかしたらコリン、あなたも留まることを許されないかもしれません」

 それをきいてティムがすかさず反論する。

「それは行ってみないと分からないではありませんか? そこが安全だというのならば、我々はあなた方を送り届けた後にロベリアへ向かいます」

「奥方様、その当てというのは一体どこなのでしょうか?」

 オリガも必死に懇願するが、フロリエは戸惑った様子ですぐには答えない。肩に止まるルルーが心配げに主の顔を覗き込む。

「私はあの時、囮になれなかった分、殿下に後事を託されたのです。その私がおめおめと貴女を置いて逃げるなどと到底できません」

「私はグロリア様に貴女様にお仕えするように命じられたのです。ここで逃げることなど出来ません。少なくてもその当てがあるという場所まではご一緒させてください」

 2人の言葉にフロリエは小さくため息をつく。座ったままの彼女の膝にすがるコリンシア、その後ろでひざまずくようにしているオリガとティムの顔をルルーの目を通じて順に見ていき、決意をしたように顔を上げた。

「そこへたどり着くまでの道はとても険しく、そして危険です。おそらく命の保証は無いでしょう」

「かまいません。あの時に捨てる覚悟はできていました」

 ティムが即答する。

「ここからずっと南……お山へ帰ろうと思っています」

 フロリエの言葉にオリガはハッとなる。

「帰る?……もしかしてご記憶が?」

 彼女の問いにフロリエは小さく頷く。

「全て戻ったわけではありません。未だあやふやな部分も多く、どうして記憶を失ったのかさえも思い出せません。ただ、かろうじて故郷の村と家族の名前は思い出せました。

 聖域の中にあるラトリという村で私は生まれ、育ちました。そこに祖父と弟がいるはずです」

 彼女の告白にオリガもティムも嬉しそうな表情となる。しかし彼女が故郷という聖域は、フォルビアの南にある山脈の中にあった。タランテラ側のその麓には湿地が広がり、開拓が困難な事から人が住みつかず、村どころか民家さえもない場所だった。それをいいことに多くのならず者が身を隠すために住み着いているともいう。ラグラスの配下の者に見つかる心配はないが、旅は一層険しいものとなるだろう。それでも2人は彼女の記憶が戻りつつあることと、行く当てが出来たことを喜んでくれる。

「ようございました。本当に……」

「母様、昔の事思い出したの?」

 膝にすがっていたコリンシアが身を乗り出す。

「ええ。少しだけど」

「おめでとう、母様」

 姫君はフロリエの首にすがって頬にキスをする。

「ありがとう、コリン。喜んでくれるのね」

「だって、父様がずっと心配していたことだもの」

「そうね……」

 この旅の最中に思い出してはっきりしたことが多く、夫に伝える事もできない。全てを話した時、彼はどんな反応をするだろうか?

「どんなに危険でも、最後までお供させてください」

「2人で行かれるよりも、4人の方がずっと楽なはずです」

 2人の言葉にフロリエは思わず涙があふれる。

「私は何という果報者でしょう。あなた方に何を報いれば良いのか……。分かりました、一緒に行きましょう」

 彼女の言葉に他の3人はパッと嬉しそうな表情となる。

「それでは、奥方様……」

「ええ、これからもよろしくおねがいします」

結局、フロリエが折れる形でその話は決着した。

「どこまでもお供します」

 ティムが改めてそういうと、姉のオリガも同意して頷いたのだった。

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