29 交錯する思惑3

 皇都ファーレンの北にそびえる本宮。その南棟最上階にある執務室でワールウェイド公グスタフは多数の書類に囲まれて執務の真最中であった。

 先の国主代行で第2皇子だったハルベルトが他界してもうじき2か月が経とうとしていた。その混乱に乗じ、ほとんど強引な方法で宰相の地位に着いた彼は、最初の混乱が静まる前に次々と政敵を皇都から排除し、多数の協力者を本宮に招き入れた。そして己に有利な法令を定め、障害となり得る第1騎士団の竜騎士達には家族を人質にして遠方へ左遷した。元々優秀な官吏であった彼は平常の雑事をこなしながら、驚異的な速さで己の地盤を固めたのだ。

 追い風になったのは新たなフォルビア公に不満を持つ親族達であった。少し後押しをしてやっただけで、最大の敵になるはずであった第3皇子のエドワルドを己の手を汚さずに排除できた。妻子は未だ行方不明だと聞くが、荒れた湖に小舟で乗り出したなら生きている可能性は限りなく低い。その証拠にラグラスが血眼になって探しても彼らの手がかりが一向に出てくる気配がないのだ。正式なフォルビア公就任にはエドワルドの妻が持っているというフォルビアの紋章が不可欠の為、見つからなければ不手際を理由に彼の首を飛ばし、かねてより念願だった豊かなあの領地を己の物にすることもできる。

 先日、エドワルドの片腕だったアスターが自分の所領の村で他界し、しかもマリーリアが葬儀を執り行ったという報告が届いた。彼は心底驚いたが、彼女がその後塞ぎこんで部屋に閉じこもっている事を聞き、そこで大人しくしていてくれるなら大目に見ることにした。

 残念なのは、当初彼女の伴侶にする予定だった礎の里の賢者から昨年のグスタフの失脚を理由に縁談の反故を宣告された事だ。あの姿を見る度に過去を思い出してしまう為、どこか遠くへ己の手駒として嫁がせるつもりだったのだが宛てが外れた。また、早急に相手を見繕わなければならなくなったが、幸いにも引く手は数多である。それまでの間、あのひなびた村で大人しくしていてもらえるならば、どんな理由であれ今は良しとするしかない。

 そして雷光の騎士とおだてられ、自分の誘いを断った生意気なルークもまだ檻の中である。更には新任の騎士団長では統率力に欠けるらしく、精鋭ぞろいと言われてきた第3騎士団も勝手な行動が目立つと報告されている。最早恐れるものは何もなかった。

 こうなるともう誰も彼に異を唱えることはできなかった。優秀な息子が相次いで他界した報告を受け、その精神的ショックで病状が悪化した国主を丸め込むのは簡単な事だった。意外にもアルメリア皇女は彼に最後まで食い下がったが、喪に服すという名目で母親と共に部屋で謹慎していただいた。加えて息のかかった女官を世話係につけ、外部との接触を完全に絶った。政敵を完全に排除するためにも、近いうちにブランドル家との婚約も解消させ、改めて孫のゲオルグと婚約させるつもりだった。

「もうすぐだ……」

 立ち上がって窓の外を眺める。本宮前広場を囲むようにダナシア神殿を始めとする公の施設が立ち並び、川を隔てたその向こうに居住区が広がっている。本宮に勤める者でもごく一握りの人間が目にすることが出来る光景である。

 国を動かせるような人間になりたいと、遠い昔に抱いた夢がもうじき現実のものになろうとしていた。万感の思いで彼は暮れゆく外の景色を眺めている。

『あなたは権力を握る相を持っているのよ』

 常々彼の母親が言っていた言葉であった。占いを信じた彼女が彼をワールウェイド公にするために様々な策略を巡らしてくれた。そのおかげで今の彼はあると言っても過言ではなかった。

 先のワールウェイド公にもグロリア同様に跡継ぎとなる子供がいなかった。そこで彼は一族の若者の中から見込みなありそうな者を選び出し、彼らをまとめて跡継ぎ候補として養育することに決めた。当時15歳だったグスタフも最年少ながらその中に選ばれたのだ。

 最初10人近くいた候補者たちも段階的にふるいにかけられ、5年後に残っていたのは彼と10歳年長だった彼の従兄の2人だけになっていた。従兄は当時、名の知れた竜騎士になっており、先代が大いに期待を寄せていた。一方で資質が低かったために文官の道を歩んだグスタフはなかなか名を上げる機会がなく、次代のワールウェイド公は従兄に決まったようなものだった。

「最後まであきらめてはだめよ。きっといいことがあるわ」

 意気消沈する彼に母親はそう言って励まし、一族の有力者の娘との縁談を勧められた。そしてそれからほどなくして従兄の謀反が発覚し、彼は処刑されてしまった。最後まで無実を訴え、往生際が悪いと思っていたが、後になって母と手を組んだしゅうとが証拠をねつ造したことを知った。そして最後に残った彼が跡継ぎと認められ、それから1年たたないうちに大公家の当主となったのだった。

 早くに結婚していた従兄には当時12歳と3歳の娘がいた。本来なら謀反が発覚した段階で何らかの処罰が下されるのだが、子供ということもあっておとがめなしということになった。姉の方にはすでに婚約者がいたので、彼女は婚約者の元へ身柄を預けられ、下の娘はグスタフが預かることになった。

 母親は反対していたが、心のどこかで従兄への負い目があったのかもしれない。いずれ年子で生まれた自分の娘の世話係にするからと言って彼女をなだめたのだ。

「お前は謀反人の娘だ。」

 それでもグスタフは引き取った娘にそう言い続けて育てた。




 フォルビア城の北の塔、壁も床も石がむき出しになった部屋でエドワルドは天窓から覗く月を眺めていた。そこには必要最低限の家具は備えられているが、どれをとっても古く粗末なものばかりである。彼は固い寝台に座り、壁に寄りかかって窓を見上げている。三日月の心もとない光は彼の心情をそのまま表しているようであった。

「フロリエ……コリン……」

 そのわずかな月の光を反射して彼の髪はキラキラと輝いているが、心にはその光も届かず、今にもくじけそうであった。

 リラ湖畔で追ってきたラグラスの兵士と戦い、その間に愛する妻と娘を逃がす事に成功した。しかしその後、多勢に無勢で彼は左肩と右足に矢傷を負い、疲労困憊して動けなくなったところを捕えられた。そして意識が遠のいた間にフォルビアの城のこの部屋へ監禁されたのだ。

 気が付いたエドワルドの前にラグラスは堂々と現れた。彼はつかみかかろうとしたが、受けた傷が体の自由を奪い、すぐに取り押さえられてしまった。そんな彼にラグラスはワールウェイド公の後押しで新たなフォルビア公となった事、フロリエをグロリア殺害の罪で手配していることを得意気に語った。そして去り際にハルベルトがすでに他界していることと、自分が妻に殺されたことになっていることを告げられたのだった。

「どうか無事でいてくれ……」

 彼は左腕に巻いた組み紐に触れる。戦闘での返り血と受けた傷から流れた血で変色してしまっているが、これだけが今の彼にとって唯一の心のよりどころとなっていた。

 エドワルドはよろめきながら寝台から降りて立ち上がる。

 ラグラスはすぐに彼を殺すつもりは無いらしく、傷の手当てをさせるために医者を手配していた。驚いたことにその医者は、グロリアの主治医をクビになったリューグナーだった。色々と問題はあったが、グロリアが信用するほど医者としての腕は確かなので、戦闘で受けた傷も今はほとんど痛みはない。

 ワールウェイドやラグラスだけでなく、リューグナーも加担していることが明らかになり、今回の事はエドワルドやフロリエに恨みを持つものが結託して行われたことがより明らかになった。

 だからと言ってここで大人しく死を待つつもりはなかった。今まで政治の舞台で鍛え上げた巧みな話術で、ここへ勝ち誇った表情で現れたヤーコブやダドリーにラグラスへの不信を植え付けた。それから治療の為に現れるリューグナーには外の様子をさりげなく聞き出した上で、彼の中でくすぶっているラグラスへの不満を煽っておいた。

「いつか必ず自由になる。どうかそれまで無事でいてくれ……」

 欲で結束している親族たちの横のつながりはもろいはずである。互いに不信を募らせていけば近いうちに内部分裂を起し、その期に乗じればきっと脱出することは可能であろう。

「フロリエ……コリン……」

 エドワルドは再び愛する者たちの名前をつぶやき、右の拳に力を込めた。見上げる天窓から月は見えなくなろうとしている。

「無事でいてくれ……」

 天窓から見えるのがわずかに光を放つ星だけになっても、彼はしばらくの間窓を見上げていた。


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