113 宴の夜に1

 新年となる春分を過ぎ、更に20日ほど経っていた。地表をおおっていた霧が晴れ、ここ10日あまりは妖魔の襲来も無く、今期はもう妖魔の活動は終わったと判断したエドワルドは、東と西の砦から竜騎士を引き上げさせた。久しぶりに総督府に竜騎士が全員揃い、エドワルドは少し遅くなったが、団長として新年の挨拶をする。

「先ずは皆の顔を無事に見ることが出来てほっとしている。まだ警戒は必要だと思うが、この度の妖魔の襲来は終りと思って良いだろう。改めて新年を皆と迎える喜びを分かち合いたい。だが、その前に皆に詫びておかねばならない。私の不覚により、襲来の激しい時期に負傷してしまい、皆に更なる負担を強いた事、申し訳なく思う。そして、力をあわせて乗り切ってくれた事を深く感謝する」

 エドワルドは一同に対し、頭を下げた。逆に驚いたのが団員達である。

「だ……団長、頭を上げて下さい」

「誰がそうなってもおかしくありませんでした」

「そうです」

 リーガスとクレストが慌てて言うと、頭を下げているエドワルドの横でアスターが頷いている。マリーリアは何か言いたげであったが、硬い表情で口をつぐんでいた。

「ありがとう。だが、感謝の気持ちは受け取って欲しい。冬季分の団長職の給与を皆に振り分ける事にした」

「え?」

 あまりの思い切りの良さに一同は驚きを隠せなかった。エドワルドは更に続ける。

「既に兄上に申し出て、手続きを済ませている。近々渡せるだろうから、受け取って欲しい」

「何もそこまでなさらなくても……」

 アスターが困惑したように言う。彼も初耳だった様だ。

「良いのだ。特にアスターは私の替わりに良くやってくれた。リーガスもクレストもそれぞれの砦で先頭に立って乗り切ってくれた。私はこの夏でおそらく皇都へ移動する事になると思うが、2人には後任の団長の補佐役をよろしく頼む」

「団長……」

 リーガスとクレストはそれ以上言葉が続かなかった。

「それからルーク」

「は、はい」

 突然声をかけられて彼は驚いて答える。

「ルークにも感謝せねばならない」

「え、何ですか?」

「厳冬の最中に皇都へ使いに行ってもらった。その礼がまだだったな」

「あ、それは……」

 彼は途中で遭遇した討伐に余計な手出しをした上に負傷して帰ったので、傷が回復するまで謹慎を命じられていた。今は傷もすっかり良くなり、謹慎も解かれていたのだが、グロリアの館へはまだ行かせてもらってなかった。

「どうしてか君の場合は褒める事をしても、先に怒る事があって後回しになる。夏に続いて2度目だな」

「……」

 彼は言い返す事が出来ずに真っ赤になってうつむいていた。

「とにかく礼をしたい。希望があれば聞こう」

「……本当によろしいですか?」

 いつもそういった褒美の類を断ってばかりの彼にしては、珍しく素直に受けるつもりのようだ。エドワルドは珍しいと思いつつ、彼に先をうながした。

「ああ、かまわない」

「では、10日ほど休暇をください。実家にはいつも予告無く立ち寄るしか出来ないので、たまにはのんびり過ごしたいです」

 ルークが頭を下げて言うと、エドワルドは親孝行な彼らしい望みだと思った。

「それで良いのか?」

「はい」

「分かった、夏至の頃でもかまわないか?」

「はい、ありがとうございます」

 ルークは改めて深々と頭を下げた。

「それから、新年祭の折にはアスターと共に叔母上の館へ行ってくれ。頼むぞ」

「はい」

 誰を迎えに行くかは聞かなくても分かる。久しぶりに彼女に会えると思うと、ルークは嬉しかった。そして顔がにやけそうになるのを必死でこらえた。

 その後はみんなにワインが配られ、改めて冬を乗り切った事の慰労と新年を祝って乾杯した。そして昼食を兼ねた集まりは緊張が解けた竜騎士たちの笑い声が最後まで途切れることが無かった。




 エドワルド主催の新年祭当日の早朝、グロリアの館に2頭の飛竜が降り立った。アスターのファルクレインとルークのエアリアルである。真っ先に玄関から出てきたのは外出着姿のオリガだった。

「ルーク!」

 目の前にアスターが居るにもかかわらず、彼女はルークに抱きついた。焦ったのは彼の方である。

「オ……オリガ?」

「心配……したのよ」

 見ると彼女はルークの腕の中でポロポロ涙を流している。彼は更にうろたえてしまう。

「ご……ごめん、本当に」

 ルークが皇都へ使いに行って負傷した事は、しばらくの間オリガには伏せられていた。グロリアの看病で忙しい彼女に、余計な心配をかけまいとして彼が皆に口止めをしたのだ。ところがオリガの方が異変に気づいてしまい、エドワルドのお供で館を訪れたゴルトが追及されてばれてしまった。

 謹慎は解けていたものの、グロリアの館へ行く事を禁止されていたルークは、とにかく怪我は治った事とその事を伏せていたことへの謝罪を手紙に書いて送り、許してもらったのだ。

 だが、実際に会うまでは彼女も不安だったらしい。しばらくの間、彼女はそのまま泣き続けていた。アスターは肩をすくめると、何も言わずに2人をそっとしておいた。

 その頃フロリエは出立の挨拶の為にグロリアの部屋にいた。実のところグロリアは、この数日間というものあまり病状が芳しくなく、起き上がることすら出来ないでいた。

 当初の予定では前日からロベリアに泊まる予定だったのだが、グロリアの事が心配で迎えに来てもらうのを当日の朝に変えてもらっていた。それでもグロリアの病状は好転せず、フロリエは今日出かけるのを後ろめたく思い、躊躇ためらっていた。

「お母様」

「そんな顔するでない……。せっかくの招待してもらったのじゃ、行っておいで」

「ですが……」

 フロリエはグロリアの手を握り締める

「そして、自分の素直な気持ちをエドワルドに伝えてくるのじゃ」

「お母様……」

 フロリエの目から涙が落ちる。それに気づいたグロリアが手を伸ばして涙をぬぐってくれる。

「本当に優しい娘だねぇ。バセットもオルティスもついて居る。心配いらぬ」

 グロリアがフロリエの頭をなでてそう言うと、ようやく彼女も頷く。

「はい……」

 グロリアは満足そうにうなずいた。その時、扉の外でオルティスが準備の整った事を告げる。

「楽しんでおいで」

「では、行って参ります。バセット医師、後をお願い致します」

 フロリエは涙をふいて立ち上がると、寝台の反対側へ控えていたバセットに頭を下げる。

「かしこまりました」

 バセットが頭を下げると、彼女はもう一度グロリアに頭を下げて寝室を後にした。居間ではオルティスと共にコリンシアも待っている。

「コリン様、おばば様をお願いしますね」

「はい、ママ・フロリエ」

 フロリエは近寄ってきた姫君を抱きしめた。互いに軽く頬にキスをすると、フロリエはオルティスを伴って外へ出る。

「おはようございます」

 2人の竜騎士が頭を下げて挨拶をしてくる。オリガもどうにか落ちついたらしく、ルークの脇に立っていた。

「どうぞこちらへ、フロリエ様」

 アスターがファルクレインの方へ手を引いてくれる。

「アスター卿、様は辞めて下さいませ。気恥ずかしゅうございます」

「ですが、グロリア様のご養女になられました」

「……」

 彼は微笑みながらそう答えると、ファルクレインをかがませる。

「さ、どうぞ」

「ありがとうございます……」

 アスターに手助けしてもらいながら彼はファルクレインの背に乗る。騎乗用の補助具をつけてもらっている間、彼女はファルクレインの首に触れて挨拶をする。

「よろしく、ファルクレイン」

 飛竜が嬉しそうに後ろへ首を回すと、その頭を彼女は軽く撫でた。

「彼は喜んでいますよ。さあ、そろそろ行きましょうか?」

「はい、お願いします」

 ルークも恋人を飛竜の背に乗せて準備を整えて待っていた。アスターは一度オルティスに頭を下げると、フロリエの前に乗ってファルクレインを飛び立たせ、エアリアルもそれに続く。夜が明けたばかりの空を2頭の飛竜はロベリアに向かって飛び立った。

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