74 神官長の受難3

「何……ですと?」

 ロイスが管轄内の小神殿で起きた誘拐事件の第一報を聞いたのは、夕刻のお勤め前の事だった。被害者は皇家の姫君と大公家の客人である女性と聞き、一気に血の気が引いていく。

「犯人は?」

「まだ捕まってはおりません。ロベリアからも竜騎士を呼び寄せ、エドワルド殿下が自ら指揮を執っておられます」

 娘が攫われたのだ。それは当然の事だろう。それにしても皇家の姫君に手を出すとは、無鉄砲というか、愚かな事をする。必然的に竜騎士を相手にすることになり、その相棒となる飛竜の力が加われば逃げ遂せることなど不可能だ。能力の高い飛竜であれば、見知った竜気を感じ取ることが出来るからだ。犯人を捕らえるのも時間の問題だろう。

「情報を集めてください。後、殿下へのご協力は惜しんではなりません」

 ロイスは矢継ぎ早に指示を与える。やがて誘拐事件のあらましが伝わってくると、彼の胃はキリキリと痛みだす。

 犯人は小神殿にお手伝いをするふりをして入り込み、女大公の名代できた一行に眠り薬を入れたお茶を飲ませて姫君を誘拐したのだ。しかも連れていた護衛は神殿側の事情により外で待たせ、その彼等も眠らされて盗賊と入れ替わっていたのだ。

 代わりに誰か付き添っていれば良かったのだが、人手が足りていなかったこともあり、侍女のオリガがいるからと無理に付けることは無かったらしい。これはもう完全に神殿側の失態だった。

 焦れる思いで情報を集めていると、夜も更けた頃にようやく2人が無事に救出されたと言う朗報が入ってくる。無事という言葉にほっと胸を撫で下ろすが、神殿側の失態は拭い去る事は出来ない。

「どうしたものか……」

 ロイスは胃の痛みを堪えながら重苦しい息を吐きだした。



 事件の翌日の夕方、ロイスは無理やり時間を作ると、今回の不始末を直接会って謝罪するためにグロリアの館へ赴いた。無理を承知で神殿に駐留する竜騎士に同道を頼んだところ、快く承諾してもらえたのだ。

「これは、ロイス神官長……」

 彼が自ら足を運んだことにさすがのオルティスも絶句する。しかし、すぐに気を取り直すと、館の主の元へ案内してくれる。

「お久しぶりでございます、女大公様」

「珍しい事。如何致したのじゃ?」

 いつもの居間のいつもの席。グロリアの前には報告書が山の様に積み上がっている。おそらく、昨日の事件についての物がほとんどだろう。それらをオルティスに命じて下げさせると、彼女は不躾に訊ねて来た彼に何の迷いもなく席を勧める。

「今日は謝罪に参りました」

「謝罪? 何のじゃ?」

 訳が分からないと言った様子でグロリアが首を傾げる。

「昨日の事件は当方の不手際によるもの。姫様とフロリエ嬢にお詫びに参りました」

「そなたが悪いのではあるまい?」

「事件が起きたのは管轄内の神殿です。責任者として謝罪するのは当然の事です」

 ロイスの返答にグロリアは深いため息をつく。

「難儀な事よのう。じゃが、あの子らもエドワルドも貴公の謝罪は受け入れないじゃろう」

「ですが……」

「そなたの気は済むであろうが、あの子達はかえって恐縮してしまう。こちらも神殿側への配慮を怠ったのも確か。これでお互い様という事にせんか?」

 グロリアの指摘にロイスはようやくこれが自己満足にすぎないと気付いて狼狽える。

「随分余裕を無くして居るようじゃの。せっかく来たのじゃ。あの子達を見舞ってやってくれぬか?」

「それはもちろん」

 グロリアの提案にロイスは頷く。聞けば今日は大事を取って一日部屋の中で過ごしているらしい。特にコリンシアが暇を持て余している様子なので、少しでも気が紛れればとグロリアは提案してみたのだ。

 やがて様子を伺いに行っていたオルティスが戻ると、彼に先導されてロイスは2階のフロリエの私室へ案内される。扉を叩き、返答を待って戸を開けると、部屋着姿のフロリエとコリンシアはソファに座り、オリガはその背後に控えて立っていた。

 室内は全体的に落ち着いた雰囲気の調度品で纏められているが、物が少なく殺風景にも映る。しかし、手作りらしい品々がそれを補い、暖かな雰囲気を醸し出していた。

「わざわざお越しいただき、ありがとうございます」

 フロリエが立ち上がって頭を下げる。隣にいたコリンシアもそれをまね、その愛らしさにロイスも顔が綻ぶ。

「大変な目に遭われたと……」

 一瞬、フロリエが顔を強張らせる。思いださせてしまった後悔に言葉を詰まらせ、続く言葉が見つからない。

「申し訳ない……」

「いえ、大丈夫です」

 気まずい空気の中、ふと顏を上げると壁に飾られている南国の花と真似鳥が描かれた絵が目に映る。ロイスが実物を見たのは遠い昔の事で、ふと懐かしさがこみ上げてくる。

「真似鳥……ですか」

「神官長様、知っているの?」

 ロイスの呟きに反応したのは無邪気な姫君だった。彼女の話ではロベリア見物の折にフロリエが見つけて贖ってきたものらしい。

「知っていますよ。もう随分昔の事ですが、礎の里で修行していた折、私の師匠が飼っておりました」

「本当? ねぇ、本当に真似鳥はおしゃべりするの?」

 ロイスの返答に姫君は目を輝かせ、身を乗り出してくる。

「そうですねぇ、簡単なあいさつや自分の名前は覚えていましたね」

「凄い! 神官長様も小鳥とおしゃべりしたの?」

 興味津々の姫君にフロリエも控えて居るオリガも顔が綻んでいる。

「個体差はあるのですが、彼らが覚えた言葉を口ずさむのは普通の鳥がさえずるようなものです。意味を理解してしゃべっている訳ではないのですよ」

「そうなんだ……」

 ロイスの返答に少しがっかりした様子だったが、それでもその絵を切掛けに南国に興味を持ち出している姫君は他にも花や木などについて知りたがる。それに応えるのも楽しく、思いの外時間が経ってしまい、結局、夕食もご馳走になって帰ることになっていた。

 暖かな雰囲気はロイスに心の余裕をもたらしてくれていた。何かしなければという思いで訪れたはずなのだが、逆に自分が癒された気持ちになっていた。




 事件からさらに半月経って秋も深まった頃、また礎の里から使いが来た。さすがに忙しいのか、今回来たのはオットー高神官ではなくその配下の神官だった。

 温室を占領して作っていた薬草は夏の終わりに収穫されていたが、一部は種を作るために刈り取らずにいたのを回収しに来たらしい。正直、未だに何の薬草なのか分からないところが不安を駆り立てられている。

「申し訳ありませんが、近日中にとりに来られると思いますので、こちらをリューグナー医師に渡して下さい。」

 手渡されたのは厳重に封がされた小さな包みだった。わずかに薬草らしい匂いがする事から、リューグナーに依頼する薬の原料なのだろう。今日、ここで受け渡しする予定だったのが、数日前にコリンシアが紅斑病で倒れたので、彼も館から離れられなくなってしまったからだ。

「分かりました」

「くれぐれも取り扱いにはご注意下さい。それと、決して封は開けないように願います」

 そう念を押す様に言い残すと、使いはさっさと正神殿を後にしていった。

「どうしたものか……」

 自分は試されているのだろう。だが、正直に言って気になる。以前、収穫期に温室の方から香ってきた匂いと、包みから漏れる匂いがどことなく似ているのだ。いまここで開封すれば、この半年間の懸念が払しょくされる。

 しかし、もし、杞憂に済んだ場合、ロイスの信用は地に落ち、今まで築き上げてきたものを全て失うことになる。それはロイス自身のみならず、彼を慕ってくれている部下達にも及ぶ可能性が有った。

「悩ましい事だ」

 ロイスは深いため息をついた。




 厳重な封をされた包みを預かって5日後、ようやくリューグナーが受け取りに来た。どうにか自制したロイスはまだその封を開けていない。だが、悩みに悩んだ彼はリューグナー自身に開けさせようと考えていた。

「姫様が快方に向かわれたのはリューグナー殿の薬のおかげだとか」

「いや、それほどでも……」

リューグナーは気位は高いが、酒が絡むと饒舌になることをロイスは良く知っていた。こうして自尊心を擽りつつ、ねぎらう様に酒の席に誘うと、彼は迷ったそぶりをしながらも乗ってきた。

 1杯、2杯と勧めていくうちに彼の口も徐々に軽くなる。最初のうちは女大公の客であるフロリエへの不満が並べられたが、彼をおだてて目的の話題へと導いていく。

「礎の里から直々に仕事を依頼されるのは大変名誉なことです」

「そうだろう、そうだろう」

おだて上げてリューグナーの気分が良くなったところでロイスは核心に迫る。

「高名な医師であるリューグナー殿が任されたのですから、大層難しい仕事なのでしょう。後学の為にも是非ご教授頂きたいのですが……」

 きっとリューグナーも口止めをされているはずなので、ロイスにとってこれは賭けだった。渋られるかと思ったが、程よく酔いが回っているのが功を奏したのだろう。先程手渡した包みを懐から取り出した。

「これはですな……夢の様な薬ですぞ……。成功すれば、竜騎士方が挙って欲しがるようになりますな」

 覚束ない手で封を開けると、中身を取り出す。中には葉を乾燥させたものと花を乾燥させたものが2種類入っていた。

 リューグナーは自慢気だが、ロイスはその説明を聞いて血の気が引いてくる。遠い昔に薬学を齧ったことがある彼はその存在を知っていた。竜気を高め、誰でも竜騎士になれると言われる夢の様な薬だが、常習性が強く、一度使うだけで十年は寿命を縮めると言われている曰くつきの薬である。

 その強すぎる副作用から100年以上も前に使用を禁止された薬で、礎の里には名前すら残していない。負の遺産として語り継がれるその薬は「名もなき魔薬」と呼ばれていた。




「何てことだ……」

 その後、どうにかその場を納め、リューグナーには用意した部屋に引き上げてもらった。1人残ったロイスは知らされたその事実に頭を抱える。知らされていなかったとはいえ、禁止薬物の生成に関与したのだ。オットーがくどい位に知らない方がいいと言っていたのも納得できる。

 だが、逆に礎の里の準賢者がこの薬物で一体何をしようとしているのか? ロイスは現実を逃避するように酒を煽ったが、酔う事は出来なかった。


 神官長の苦悩はさらに続く……。

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