50 慌ただしい帰還1

 神殿で足をひねって2日経っていた。

 朝食を済ませたフロリエは、窓辺に置かれた椅子に座り、膝の上で丸まっている猫のブルーメを撫でている。足を痛めたために気晴らしに散歩にも出られないので、こうして外から吹く風を感じながら物思いにふけるくらいしかすることがない。午後にコリンシアが帰ってくれば、多少なりとも出来る事があるのだろうが……。

 事件の事を思い出せば、未だに体が震えてきて夜もなかなか寝付けない。更には危急を助けてくれたのが、エドワルドの恋人だと言う女性だったのも彼女の心に影を落としていた。オリガの話ではとても綺麗で上品な人だったらしい。エドワルドの事を思えば切なくなるのに、胸がチクチクと痛い……。




 膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしていたブルーメがピクリと体を強張らせ、ムクリと起き上がる。

「ブルーメ?」

 やがて階下が騒がしくなる。午後にコリンシアが帰ってくる以外に来客の予定は無かったはずである。予定外のお客様が来たのか、火急の知らせを持って使者が来たのだろうか?


トントン……


 部屋の扉がノックされる。フロリエが返事をすると、扉が開いて誰かが入ってきた。驚いたブルーメは彼女の膝から降りてどこかに行ってしまう。

「フロリエ」

 かけられた低い声に心臓が高鳴る。声の主は、予定では未だ領内にすら入っていないはずのエドワルドだった。

「殿下?」

「話を聞いて一足先に帰ってきた。コリンは予定通り昼過ぎに着くはずだ」

 エドワルドは近づくとすぐ傍に跪き、フロリエの手を取る。彼女は確認しなくても自分の顔が真っ赤になっているのがわかった。

「え?」

 エドワルドの話を要約すると、昨夕、宿泊予定の砦に届けられていたクレストからの手紙で神殿での事件のあらましの報告を受け、急きょエドワルドとアスター、ルークの3人が先行して帰ってきたらしい。深夜にロベリアに着き、一通りクレストから報告を受け、対処を検討した後に仮眠してからここへ出向いたという。

「君が怪我をしたと聞いてコリンが心配してな、自分が一緒では早く移動できないから、先に行ってほしいとあの子が自分から言い出したのだ」

「まぁ……」

 姫君の健気な言葉にフロリエは思わず顔がほころぶ。

「ある程度の話は聞いていると思うが、叔母上も交えてきちんとした報告をしたい。思い出すのも怖いとは思うが、話を聞いてくれるか?」

「はい」

 フロリエが頷くと、なぜか背中とひざ裏に腕が回される。

「で…殿下?」

 突然の浮遊感に狼狽した声を上げると、クスリと笑われる。

「まだ、無理が出来ないのだろう?」

「お、重くないですか?」

「問題ない」

 ゆるぎない腕に抱き上げられ、フロリエは戸惑いを隠せない。そうしているうちにエドワルドは彼女を抱えたまま部屋を出ると階段を降り、グロリアがいる居間へと連れて行く。

「来たかえ? ここへ座らせておやり」

 この状況に少しも動じた様子の無いグロリアは、エドワルドに指示して自分の隣にフロリエを座らせるように指示する。彼は言われた通り、彼女を優しくソファに降ろし、その向かいに腰かけた。

「さて、聞かせてもらおうかの」

 オルティスが人数分のお茶を用意して退出すると、グロリアはエドワルドに話を促す。心なしか怒っているようで、傍にいるだけのフロリエもすくみ上ってしまいそうだ。

「トロストは高位の神官の後ろ盾を持つロベリアの有力者の1人で、昨年から副総督を務めている。昨年は割と真面目に取り組んでくれていたが、最近は立場を利用して己の利に結び付けるのが目立つようになっていた。幾度か口頭で注意もしたが、本人に悪びれる様子はない」

 エドワルドは後ろに控えるアスターから報告書を受け取ると、グロリアとフロリエに説明を始める。

「それで?」

「この春、とある商会が優遇措置を求めてきたのですが、私はそれを却下しました。すると彼らはトロストに働きかけ、私が皇都に出立前にその話をまた蒸し返してきました。もちろん、受けるつもりはないと返しましたが。それで正攻法では無理だと考えたようです」

「なるほど、それで妾にも頼ろうとしたのじゃな?」

「そうです」

 神殿に行っている間に面会の申し込みがあったと後にオルティスから報告があった。うまく対処していれば、フロリエが怪我をする事態は避けられたのではないかと彼女は悔やんでいた。

「本人は認めていませんが、何かしらの報酬を約束されていたようです。それで何が何でもと行動に移したのではないかと推測しております」

「エルデネートやらも一緒だったのはなぜか?」

「エルダも巻き込まれたのです。叔母上の所へ行く前に彼女の所にも押しかけたようで。それでクレストが独断で彼女を保護していました」

 親しげに恋人を愛称で呼ぶのを耳にしてフロリエはどうしようもなく胸が痛んだ。今はそんなことを気にする場合ではないと言うのに……。

「彼女がこの分だと叔母上の所にも行きかねないと進言し、それを受けてこちらにも連絡をしたのですが、出かけられた後でした。それで神殿に向かったところ、既に騒ぎが起きていました」

「ふむ……」

「こちらの不手際で叔母上に不快な思いをさせた上に、フロリエに怪我をさせて申し訳ありませんでした」

 エドワルドとアスターは深々と頭を下げる。

「神殿でも警備の者に金を積んで奥へ入り込んだらしい。全く忌々しい」

 フロリエとオリガが散策していたハーブ園は一般の参拝客が入れない区画だった。そこへ侵入者を許し、更にはグロリアの連れであるフロリエが怪我をしたことに、神殿側は平身低頭で謝罪していた。この件ではあってはならない事が重なって起きている。

「トロストを解任しました。フロリエには慰謝料を払うように命じ、商会側にもこの件はもうくつがえることはないと改めて通達しておきました」

「そうか」

 グロリアもそれで満足したのだろう、大きく頷いてエドワルドからの報告書を受け取った。

「フロリエもそれで良いな?」

「はい」

 2人の決定にフロリエも異論があるはずもなく、大人しく従った。



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12時にももう1話更新します

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