12 晴れた空の下で4
林の中の小道を3頭の馬がのんびり歩いている。先頭はアスターが立ち、エドワルドは娘を乗せたまま
「ここで貴女を助けました」
湖のほとりにある少し開けた場所に着くと、アスターが口を開く。フロリエは瘤に触れて馬の目を通じて辺りを見回す。針葉樹がまばらに生え、白い花をつけた下草に覆われた春の景色が視界に飛び込んでくる。美しい光景なのだが、なんだか背筋が冷たく感じる。
遅れて着いたエドワルドが馬から降り、道中ずっと歌を歌ってご機嫌なコリンシアを抱き下ろした。一面に咲く白い花に喜び、小さな姫君は早速父親に贈る花冠を作り出した。娘を見守るエドワルドの姿が視界に入り、再び彼女の鼓動が早くなってくる。
「この木だったな」
フロリエの胸の内を知る由もなく、エドワルドは一本の大木に近づく。彼に変わり、一生懸命花冠を作っているコリンシアを見守りながら、アスターはさりげなく辺りを警戒している。
「この木を背にして貴女は立っていた。腕に小竜を抱いてね。青銅狼はこの辺りまで迫っていたかな」
エドワルドが助けた状況を説明し始め、大木から数歩離れて妖魔がいた場所も教えてくれる。胸の高鳴りを抑えつつ、努めて彼を意識しないように話を聞いていたが、やがてキーンという耳鳴りと共に鈍い頭痛を感じ、どうしようもないほどの恐怖感が押し寄せてくる。
「あ……」
「フロリエ、どうした?」
エドワルドが彼女の異変に気づいて近寄ってくる。
「いやぁー!」
馬との同調が乱れ、視界が暗くなると同時にその恐怖は最高潮に達する。フロリエは頭を抱えて苦しみ始め、その上体が傾いて馬の背から滑り落ちる。
「フロリエ!」
エドワルドが間一髪で抱き留めるが、彼女は気を失っていた。
「戻るぞ。コリンを頼む」
エドワルドはフロリエを抱えたまま、彼女が乗っていた馬の背中に飛び乗り、すぐに天幕に向けて走らせる。
「フロリエ……」
「大丈夫ですよ」
アスターは心配そうに立ち竦むコリンシアを抱き上げると、乗ってきた馬にまたがり、もう一頭も操りながらエドワルドの後を追う。この狭い林道を全力で飛ばして戻ったらしく、エドワルドの姿は既に見えなくなっていた。
その頃、残った騎士団の面々は、屋外に出したテーブルに昼食のセッティングをしていた。彼らの半数は仕事の一環でここに数日間滞在していたのだが、今日の昼間は休暇として全員でこのピクニックを楽しむことにしていた。
上司は出かけたばかりでしばらく戻らないだろうから、のんびりとしていたのだが、林の向こうから馬を全力で走らせてくるエドワルドを見て慌てふためく。
「団長?」
彼が腕にフロリエを抱えているのに気付き、目のいいルークが声をかける。
「フロリエが倒れた。何か気付けになるものはあるか?」
フロリエを抱えたまま馬を降りると、エドワルドは天幕に向かう。キリアンとクレストが天幕のクッションを並べ替えて彼女が横になれるように整えたので、彼は静かに彼女を降ろす。
「こちらを」
ジーンがワインの入った杯を差し出す。エドワルドはそれを受け取ると、フロリエの上体を優しく抱き起して口の中へワインを流し込む。けほっと小さく咳をして彼女は意識を取り戻した。
「気が付いたか?」
エドワルドが少しこぼしたワインを手巾で拭きながら声をかけると、フロリエはあわてて体を起こそうとする。
「す……すみません、またご迷惑を……」
「無理をするな、横になっていなさい。……寒いのか?」
フロリエが震えているのに気付き、エドワルドは自分の
「いえ、大丈夫です。ただ……」
そうは言うものの、彼女はまだ震えている。エドワルドはルークが用意した毛布も体にかけた。
「ただ、どうした?」
「ただ、怖くて……」
「怖い?何か思い出したのか?」
答えを声に出せず、フロリエは首を振る。
「フロリエ!」
そこへコリンシアが天幕の中に駆け込んできて、震えているフロリエに抱きつく。
「どこか痛いの? 大丈夫?」
コリンシアの問いかけに、フロリエはギュッと抱きしめて答える。
「大丈夫です、コリン様。お気遣いありがとうございます」
どうやらコリンシアが一番の薬になったようで、次第に震えは収まってフロリエは落ち着きを取り戻した。しかしながら、彼女の顔色はまだ良くない」
「気分が
「えー?」
エドワルドの言葉にコリンシアが残念そうな声を上げる。
「大丈夫です、殿下。もう落ち着きました。皆様、ご心配おかけしまして、申し訳ございません」
見えなくても人の気配を感じ、天幕の入口から心配そうに覗き込んでいる騎士団員にもフロリエは頭を下げる。
「……無理はしない方がいい。少し横になりなさい」
「はい」
エドワルドが気を使ってくれているのが分かったので、フロリエは素直に従って背中に当てられたクッションにもたれかかる。コリンシアもぴったりと寄り添うように隣に座ったので、ルークが持ってきてくれた毛布を彼女にもかけた。
震えは完全に収まったようで、エドワルドは少しだけほっとする。ルークが毛布をたくさん持ってきてくれていたので、フロリエは自分に着せ掛けてくれていたエドワルドの外套を外し、礼を言って彼に返した。
「外にいる。ゆっくり休んでいなさい」
そう言うと、エドワルドは他の団員も外に出るように命じて天幕の入口を閉じた。
「殿下、フロリエさんは?」
ちょうどアスターが3頭の馬を元の位置につないで戻ってきた。
「今は休ませている」
エドワルドは疲れたように外に用意されていた椅子に腰かける。すかさずワインが入った杯をジーンが差し出してくれ、彼は礼を言うとそれに口をつける。
「連れて来たのはまずかっただろうか?」
エドワルドにしては気弱な発言である。
「ひどく怖がっていた。何も見えない状況で妖魔に襲われたのだから、無理もないのかもしれない」
ゴルトがワインのボトルと切ったチーズを無言で差し出す。エドワルドの向かいに座ったアスターにも杯を用意し、他の団員は無言で立ち尽くしている。
「ですが、わかったこともございます」
「なんだ?」
エドワルド空になった杯に手酌でワインを注ぎ、ついでにアスターの杯もワインで満たす。彼も喉が渇いていたらしく、杯の中身をグイッと飲み干して答える。
「あの方はおそらく、あの時連れていた小竜を視力の代わりにしていたのではないでしょうか? 馬を通して見えるのですから、飼いならした小竜なら生活に支障はない程度に見えていたのでは?」
「なるほど。あの
あの日、最後までフロリエを守ろうとした小竜の亡骸は、アスターがロベリア正神殿にある妖魔討伐で命を落とした竜や馬を弔う竜塚で
「小竜を連れてきているか?」
団員を見渡してエドワルドが尋ねると、ジーンが自分の小竜を連れて来た。
「彼女が起きたら試しに使って頂こう。専用の小竜はまた探してみるか」
近年、乱獲によって野生の小竜が激減し、捕獲出来る人間と頭数が各国の協定で定められ、普通には入手しにくくなっていた。騎士団で使用されるような小竜は、適性を試したうえに特別な訓練を受けているのでかなり値が張る。視力代わりにするのであれば、適性を外された愛玩用で、ある程度躾けられれば十分なはずである。
「ロベリアで探してダメだったら、皇都で探してみるか……」
来月は皇都で夏至祭が開かれ、エドワルドは病気療養中の父親の見舞いも兼ねて出席の意向を示していた。特に今年は夏至祭のイベントの華である飛竜レースにルークが参加する事が決まっている。彼の頭の中では皇都での予定がもう一つ組まれたようだ。
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