第14話「懐かしい顔」
強烈な衝撃と、それから浮遊感。水平を向いていた視線が空へと向けられ、身体が落下する。
訓練や授業の時、何度も味わった感覚だが、しばらく間が開けたせいだろうか? その浮揚感に強く恐怖を覚えた。
視界が流れ、落下していくのが分かる。あがこうと手を伸ばすが、掴めるものは何もない。
視界の端に銀色の光が走る。何かが身体を支え、再び重力の重みを感じる。
「悪い。助かった」
アーネストは、落下したのを上手く掴んでくれたアルミメイアに感謝の言葉を返す。
「ちょっと格好悪いぞ。このまま落ちても、問題ないんだろ?」
大きく翼を広げ、速度を下げ、高度を上げながらアルミメイアが返してくる。
「まぁ、そうだな。けど、怖い事は、怖いんだ。見なかった事にしてくれると助かる」
アーネストの返答に、アルミメイアは小さく笑う様な表情を浮かべ、返す。
大きな歓声が沸き起こる。その声に包まれるようにしながら、アルミメイアは翼を羽ばたき、高度を取りつつ、ゆっくりと闘技場から離れていった。
御前試合。アーネストの第四戦。リディアとの一戦を勝ち上がってからの一戦は、アーネストの敗北に終わった。
* * *
大きな歓声が沸き起こった闘技場から距離を取ると、辺りは一気に静まり返る。
人気のない庭園の一角を見つけると、アルミメイアはそこへゆっくりと降りていき着地する。着地する少し前に、足で掴んでいたアーネストの身体を離し、地面へと降ろす。
「ありがとう」
地面に着地するのを確認すると、アーネストは一連の事を含め、感謝の言葉を告げる。アルミメイアはそれに「疲れた」と返すかのように大きく息を吐いた。
「楽しめたか?」
ずっと被っていた兜を外し、そんなアルミメイアを眺め、アーネストはそう感想を尋ねた。
御前試合。竜騎士の競技で、飛竜を使った競技。それにアルミメイアは多少嫌悪感を持っていたものの、同時に少し興味が有ったらしい。そのため有って、アルミメイアはアーネストに自分が騎竜に成る事を申し出てきたようだった。
「それなりに楽しめたかな。この身体でも、十分に飛べたし、よかった」
「そうか、それならよかった」
嬉しそうに身体を広げ、大きく伸びをするアルミメイアを見て、軽く微笑む。
「お前はよかったのか? あのままやれば、優勝もできたんじゃないか?」
「ああ。あれでいいよ。参加も唐突で、偽名なうえ、竜騎士を辞めるといった人間だ。勝ち上がって賞賛されるのは、なんか悪い気がする。それに、俺も十分楽しんだ」
「その物言いは、負かした相手を怒らせるんじゃないか?」
アルミメイアの返しに、アーネストは一度苦笑する。
「それは、確かに悪かったかな。まあ、当たりは運で、運も実力のうちという事で許してもらおう」
アーネストの返事に、アルミメイアは鼻で笑う。
そして、返しの言葉を返そうと口を開きかけた所でやめ、口を閉ざした。一瞬その仕草に、アーネストは疑問を覚える。けれど、その答えは直ぐに分かった。
「先生?」
庭園の物陰から、驚きの表情と声を漏らした、一人の少女が顔を出した。
栗毛色の髪に、まだ着たままの竜騎士用の鎧。つい少し前に闘技場で対峙した少女――リディアの姿だった。
アーネストはリディアの姿を見ると、気まずそうな表情を浮かべる。
リディアは直ぐに状況が読み取れないのか、大きく目を開き、次に訝しむ様な目をしてアーネストの出で立ちと、アルミメイアの姿を順繰りに見て、情報を繋げていく。
「どういう事ですか?」
リディアは眉をひそめる。
「えっと……見ての通りだ」
少しの間視線を彷徨わせ、言い訳をするのを諦めアーネストは「降参」という様に両手を上げ、答えた。
「エマニュエル・リーバー。あれは先生だったのですか?」
「ちょっと訳有って偽名だけど、そうだな」
「先生は、竜騎士、だったのですか?」
リディアは一つ一つ尋ねてくる。
「元、になるかな。隠していたわけじゃ無いけど、元竜騎士だ」
「元……今は竜騎士じゃないのですか?」
「立場上はまだ竜騎士らしいが……自分としては竜騎士を辞めたつもりだった」
「なるほど……そう言う事ですか」
アーネストの答えを聞き、納得したのかリディアは小さく頷いた。
アーネストとリディアの間に、少し間が開く。少し前に、竜騎士に成る、成らないで揉めた事があり、言葉をかけづらかった。リディアも同じなのか、直ぐに言葉は返ってこず、視線を彷徨わせていた。
「見ていて、もしかしてと思ったが、やはり君だったか。アーネスト・オーウェル」
向かい合ったまま、どう言葉を返せばいいのかと迷っていたアーネストに声がかかった。
声がした方へ目を向けると、嬉しそうな笑顔を浮かべた男性が、こちらへと歩み寄ってきていた。
綺麗な黄金色の髪に、整った容姿と、どこかの絵画に描かれた人物を思わせるような男性――フレデリック・セルウィンの姿だった。
「お久しぶりです」
アーネストはフレデリックの姿を認めると、姿勢をただし挨拶を返す。
「相変わらず、君は固いね。僕個人としては、もう少し楽な感じで接して欲しものなんだけどな」
アーネストの返事に、フレデリックは残念そうに肩を竦める。
「私は騎士で、あなたは竜騎士です。立場の違いというものがあります」
「同じ竜騎学舎で過ごした仲でもかい?」
「それでも、先輩と後輩です」
「やっぱり君は変わってないな。安心したよ。いろいろあったと聞いていたからね」
「ご心配をお掛けした様でしたらすみません。
先輩は少し変わられたようですね。先ほどの御前試合。参加されていないと聞いて驚きました。何か有ったのですか?」
アーネストの言葉に、フレデリックは一度苦笑する。
「大した理由は無いよ。単純に張り合える相手のいない試合に出ても、つまらないだけだからね。けど、今回出なかったのは失敗だったかな。君が出て来るとは想像してなかったよ。教えてくれればよかったのに」
「何分唐突なものだったので……それに、三年のブランクがあります。今の状態では先輩の相手は務まりませんよ」
「そうかい? 僕にはそうは見えなかったけどな。最後はわざと負けたようだったし」
「君のやり方は良く知っているよ」という様に、言いフレデリックは小さく笑う。「わざと負けた」という言葉が引っ掛かったのだろう、フレデリックの言葉を聞いたリディアが、真実を問いただす様に、睨みつけてくる。それにアーネストは困ったような表情を浮かべる。
「試合にわざと負けた事については、咎めないでおくよ。君に嫌われたくはないからね。
それで、それが君の新しい騎竜かい? 相変わらず君は美人に懐かれて羨ましく思うよ」
フレデリックはアーネストから、アルミメイアへと目を向ける。
「それは違います。騎竜は一時的に借りているだけで、正式な騎竜ではありません」
「おや、そうだったのか、ずいぶんと息が合っているようだったから、そうなのかと思ってしまったよ」
アーネストの返事にフレデリックは驚きの表情を浮かべる。
「もったいないな。それだけ美人なら、確り射止めておかない。でないと、僕が貰ってしまうよ」
からかう様にフレデリックがそう口にする。その言葉に、アーネストは少し睨む様な視線を返す。
「悪い。怒らせたかな。少しからかい過ぎた。
けど、飛竜の事でそれだけ感情をあらわに出来るのなら、問題なさそうだ。君は、僕が思っていた通りの君みたいで安心したよ」
アーネストの表情を見て、フレデリックは嬉しそうに笑う。そして、一通りアーネストとの会話を楽しむと、フレデリックはアーネストの傍に立つ少女、リディアへと目を向ける。
「それで、そちらの御嬢さんはどちら様かな?」
「彼女はリディア・アルフォード。竜騎学舎の生徒です」
フレデリックに尋ねられ、アーネストはリディアの簡単な紹介を返す。リディアはそれに合わせ「リディアです」と緊張しているのか、少し上ずった声で返事を返す。
リディアの紹介を受けると、フレデリックはまた驚きの表情を浮かべる。
「見た事の無い子だと思ったら、竜騎学舎の代表だったのか、どおりで。
君の試合は見させてもらったよ。最後はちょっと相手が悪かったみたいだけど、素晴らしい活躍だった」
賞賛の言葉と共に、フレデリックは拍手を送る。
「光栄です」
それにリディアは小さく答え、直視できないのか視線を外し、目を伏せる。
「竜騎学舎の代表。そうか、アーネスト、君は今竜騎学舎に居るのだったね。なるほど、君は良い指導者に巡り合えたようだね」
リディアへ賞賛を送ると、今度はそのままアーネストへと賞賛の言葉を贈ってきた。
「はい、多くの事を学ばせてもらっています」
顔を伏せたまま、リディアは嬉しそうに返事を返す。それにアーネストは苦笑する。
「アルフォード。変な世辞はいい。先輩、私は竜騎学舎に居るとは言っても、受け持っている授業は剣術の授業です。ですので、彼女の今回の活躍とは何の関係もありません」
「そうかい? 剣術の授業と言え、学びに対する姿勢などで、学ぶところは有るだろう? そういうものが有ったから、彼女が結果を出せたという事もあるのではかい?」
「そう、かもしれませんが、私は言うほど良い講師というわけではありませんから……」
「素直に賞賛を受け取れないところも相変わらずか。まあ、いい、そう言う事にして置くよ」
アーネストの返事にフレデリックはクスクスと笑う。
「それで、先輩はどうしてここへいらしたのですか? 御前試合はまだ終わっていませんよ? 見なくてよろしいのですか?」
からかう様な物言いを続けるフレデリックにアーネストは半ば嫌気がさし始め、そう返す。
「すまない。懐かしい顔を見てしまったからね。少し破目を外し過ぎた。
君の姿を見たからね。声をかけておきたかったんだ。邪魔してしまったようだね。僕はこれで失礼するよ」
一度、顔を伏せたままのリディアな目を向けそう告げると、フレデリックは踵を返し、手を振りながら立ち去って行った。
フレデリックの姿を見届けると、リディアはほっと溜息を付くと共に顔を上げた。その表情は何処か赤らんでいる様に見えた。
「珍しいな。君がそんなに緊張するだなんて」
生まれのため、昔から目上の人と会う機会などが多くあるのか、アーネストが知る限り、リディアが人前で緊張を見せた事はなく、そのような事が無い人間なのかと思っていた。そのため、フレデリックの前で、目線を合わせられないほどの緊張を見せたリディアの姿は、酷く新鮮だった。
「私でも緊張することはあります。あなたは、私をなんだと思っているのですか?」
ギロリと怒気の孕んだ視線を向けてくる。
「悪い。今までに見た事が無かったから、つい、な」
「まあ、良いです。それより、私達も戻ませんか? 試合はまだ残っていますし」
アーネストの返答に、リディアは小さくため息を付き、これ以上の追及を避けるかのように、そう促してくる。
「そうだな。待たせている者達もいるし、戻ろうか」
アーネストはそれに頷き、アルミメイアの手綱を軽く引きながらその場を後にして行った。
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