第5話「騎士と姫君」
「お久しぶりです。竜騎士アーネスト・オーウェル」
白いドレスに身を包んだ女性――マイクリクス王国第二王女フィーヤ・ストレンジアスは、その言葉と共に、アーネストとアルミメイアに向かって、軽く跪く様に姿勢を低くし、両手で長いスカートの裾をつまみ上げ、深く礼をし、柔らかい笑みを浮かべた。
アーネストが今立つ場所はマイクリクス王国王宮の中、王族であるフィーヤが居てもおかしくは無い場所。けれど、要人であるフィーヤは王宮の中でも、もっと厳重な警備が敷かれている奥の敷地に居るものと思っていた。この場で出会うとは想像していなかった。
心構えなどが出来ておらず、即座に対応が思い浮かなかったアーネストはフィーヤを眺めたまま、固まってしまった。
「誰だ?」
直ぐに返答を返さなかったアーネストに代わるかのように、アルミメイアがそう尋ねた。あまりにも無礼といえる返答に、それにフィーヤの一歩後ろに控えていた騎士が、怒りをあらわにし、ギロリと睨みつけてくる。
アーネストはそれに対し、慌てて頭を下げると共に、片手をアルミメイアの頭の上に置き、無理やり彼女の頭を下げさせた。
「し、失礼しました!」
大きな声で謝罪を告げる。
そんな、慌てふためいたアーネストの行動に、フィーヤはクスクスと笑い、騎士は敵意にも似た視線を投げかけてくる。
「かまいませんよ。ここは公の場ではありませんから。それに、形式ばったやりとりって、私、嫌いなんです。なので、普段通りにして頂けると嬉しいです」
フィーヤは優しく告げる。
「しかし、王に仕える騎士である以上、王族であるフィーヤ様にこのような態度を取り、許されるわけが――」
「私が良いと言っているのです。私の言葉は聞けませんか?」
引き下がろうとしないアーネストに、フィーヤは強く言葉を返す。それにアーネストは答えを詰まらせ、渋々と頭を上げる。フィーヤはそれに「よく出来ました」というかのように、笑みを浮かべる。
「一体何だ、急に!」
アーネストが顔を上げ、アルミメイアを開放すると、彼女はすぐさま顔を上げ、怒りの目を返してきた。
「わ、悪かったよ……」
怒りの視線を向けてくるアルミメイアに、アーネストは謝罪の言葉を返す。そんな二人のやり取りを目にして、フィーヤは小さく笑う。
「……それで、こいつは誰なんだ?」
アーネストの謝罪に、しばらくの間恨みに視線を返した後、それでとりあえずなん得したのか、視線を戻し、フィーヤを指さすと再度同じ質問を尋ねてきた。
「貴様、誰だか知らないが、姫様を前にそのような態度、許されると思っているのか?」
アルミメイアの言葉に、怒りを抑えられなくなったのか、騎士が剣に手をかけ、一歩踏み出す。
「レリア。やめなさい。私は、普段通りでと言いましたよ」
今にも剣を抜きそうな騎士に、フィーヤは静止を呼びかける。
「しかし、そう言われましても、姫様の前であのような態度は、許されるものでは有りません」
「私はそれも含め、普段通りで、と言ったのですよ」
続ける騎士に、フィーヤは強く言葉を返し、静止させる。止められた騎士は、怒りを収めると、アルミメイアから視線を外しアーネストへと恨みの籠ったような視線を向けてきた。
「すみません。私の付き人がご迷惑をかけてしまって」
「私の方こそすみません。連れが、無礼を働いてしまって」
フィーヤの謝罪に、アーネストも謝罪です返す。
「でしたら、お互い様ですね」
アーネストの返答にそう返し、フィーヤはクスクスと笑う。
「自己紹介がまだでしたね。私は、マイクリクス王国第二王女、フィーヤ・ストレンジアスです」
一通り笑い終えるとフィーヤは、アルミメイアに向かって、恭しく頭を下げた。
そのフィーヤの行為をあまり快く思わなかったのか、騎士は顔をしかめると、再び怒りの籠った視線を向けてくる。
「そして、こちらが私の近衛騎士のレリア・クリュヴェイエです」
フィーヤに紹介を受けると、レリアは敵意の籠った視線を向けたままではあるものの、綺麗な所作で一礼する。
「えっと……アルミメイアだ」
フィーヤとレリアに挨拶されたアルミメイアは、彼女たちの所作を見よう見まねで挨拶を返す。
そんな、明らかにぎこちない動きで挨拶を返すアルミメイアの姿を見て、おかしく思えたのか、フィーヤはクスクスと小さく笑う。それにアルミメイアは不機嫌な表情を返す。
「すみません。可愛らしかったもので、つい」
「こいつ、嫌いだ……」
アルミメイアはフィーヤから視線を外し、そっぽを向く。そんなアルミメイアの態度に、フィーヤは残念そうに肩を竦めて見せる。
「それにしても、珍しいお客さんを連れての入城ですね。それも、このような場所にいらっしゃるとは」
アルミメイアと、彼女の足元に座る幼竜と黒猫に目を向け、何か含ませるような物言いで、フィーヤは尋ねてくる。
「すみません。勝手にこのようなところに立ち入ってしまって……それに、幼竜と猫を連れ込んでしましまして」
「かまいませんよ。ここは立ち入りが禁止されている場所ではありませんから。それに、幼竜はともかく、猫は目くじらを立てる人が居るかもしれませんが、私は嫌いではありませんし」
フィーヤは腰を降ろし、アルミメイアの足元に居る幼竜へと手を伸ばす。幼竜はそれに警戒したのか、一度身体を固くすると、そそくさとアルミメイアの影へと隠れてしまう。フィーヤはそれに、再び残念そうに肩をすくませる。
「ただ……この場所は、立ち入りが禁止されてはいませんが、人が殆ど立ち入る場所ではないので……」
幼竜に触れる事を諦め、フィーヤは立ち上がる。そして、部屋の最奥の祭壇と思われる場所へと目を向けると、少し寂しそうに眼を細めた。
「ここは竜を祀る場所……ですよね」
静かに祭壇へと目を向けるフィーヤに、アーネストは恐る恐る尋ねる。
「そうですね。正確には竜の神を祀る場所、ですけれど」
「でしたら……人が殆ど立ち入らないというのは、どういう事ですか?」
単純な疑問を問い返す。
マイクリクス王国では竜が信奉される。詳しい伝承等は知られて居なかったりすることはあるが、どの家にも竜に関する小物が置かれ、各地には竜にまつわる祠などがあり、何らかの形で敬意を示される。それは、たとえ貴族であっても同じであり、貴族の邸宅には竜にまつわる何かが置かれ、敬意が示される。
日々の仕事などで時間がとられているとはいえ、城内にこういった竜にまつわる場所があるのなら、人が来ないというのは、少しだけ引っかかってしまった。
「あなたは王宮から距離を置いた生活をしていましたからね。知らないかもしれませんが、貴族の中では、竜への信奉心を見せる者は、田舎者か、変わり者と取られてしまうほど、竜への敬意は薄いのですよ。わざわざこの場へ来るのは私くらいしか居ません」
「けれど、この国は竜の助力で築かれ、竜の力で護られている。そのはずではないのですか?」
竜の力で護られている。伝承ではそう語られている。どのような力で、どのようにして護られているかは知られていない。一説によると、本来人に懐く事の無い飛竜が、人になつき、乗騎として使用できるのは、その竜の力の表れではないかと言われている。そして、その竜との仲立ちをしているのが国王であり、国王が居るからその力が保たれ、それ故に国王は国王として地位が保たれている。それ故に竜を否定することは、国王の有り様を否定することに成るため、この国では不敬と取られる。
小国で有り、国王の――竜の庇護の元に有り、それが生命線と言える貴族たちが、そのように考えている事が、少し不思議に思えた。
「あなたは、竜が実在すると思いますか?」
アーネストの問いに、フィーヤは別の問いを返してきた。
「それは……」
そして、フィーヤの問い返しに、アーネストは答えを詰まらせてしまった。
アルミメイア、それからハルヴァラスト。竜をその目で見て、言葉を交わしてきた今なら、竜の存在を疑う余地はない。けれど、彼らと出会う前、竜の伝承を象った絵画や彫刻でしかその姿を知りえなかった時、竜の存在を信じられたかと問われたら、素直に信じられたとは思えなかった。
そして、そう思えてしまう自分の考えが、国の中で竜への信奉心が薄い証明であると思えてしまった。
「そう言う事ですよ。貴族の殆どは、竜の存在を信じていません。ですから、竜の神も信じません。そもそも、人に益をもたらす事のない他種族の
彼らにとってここは、空席の神域でしかないのです」
フィーヤは語り、何処か諦めた様な表情で、目を閉じた。
「けれど……竜は現れましたよ」
貴族たちが竜の存在を信じない現状、それをどう受け止めれば良いか分からず、せめてもの反抗という様に、アーネストはそう返した。
「あなたはそれを信じるのですか? 誰かが嘘を言っているかもしれませんよ?」
再びフィーヤが問い返してくる。
「私は……」
頭に、幻影のように消えて行った青い竜の姿が浮かぶ。すべてが幻で、実体のない竜の姿。多くの貴族には、たとえ竜を目にしたとしても、そのように映っているのかもしれない。
「フィーヤ様は、竜の存在を信じているのですか?」
アーネストは逆に問い返した。
アーネストは竜の存在を知っている。けれど、フィーヤに今の現状がどう映っているのか分からない。彼女の立ち居、考え、それが分からない今、答えを選ぶ必要がある。そう思え、問い返した。
「私は竜が居てほしいと思っています」
どこか遠くを眺め、フィーヤは答えを返した。
「それは……なぜですか?」
「私は、飛竜が好きです。悠々と、力強く空を飛ぶ姿が好きで、それでいて愛らしい様を見せる、彼らが好きです。
けれど、そんな彼らが鎖に繋がれ、ケージに閉ざされている現状を見るのが嫌なのです。
竜がいれば、もしかしたら、彼らが飛竜達を解放してくれる。そんな願いが、持てるじゃないですか」
静かに語り、語り終えるとアーネストへと視線を戻し、フィーヤは小さく笑う。フィーヤの言葉に興味を引かれたのか、アルミメイアが彼女へと視線を戻す。
フィーヤの瞳は、何か友達を探しているような寂しそうな目に思えた。アーネストはそれに、笑みを返す。
「竜は、居ると思います。俺は、竜の存在を信じています」
アーネストは優しく答えを返す。
「あなたなら、そう答えてくれると思っていました」
アーネストの答えに、フィーヤは満足したのか笑みを浮かべる。
鐘の音がなる。正午告げる、鐘の音だ。
その鐘の音を聞き、アーネストは今、ここへ訪れた目的を思い出す。
「すみません。私は……予定が有りますので、失礼させていただきます」
フィーヤへと礼をする。
「すみません。予定があるのに、時間を取らせてしまって」
「いえ、大丈夫です。まだ、間に合いますので」
「そうでしたか……ところで、あなたはどの様な用でいらしたのですか? あなたが王宮に赴くような事は無かったかと思いますが……」
不思議そうな顔でフィーヤが尋ねてくる。
「晩餐会の際の警備の手が足りないとのことで、それの応援です」
「ああ……そう言う事ですか」
フィーヤは納得の声を返す、そして少し考えると、何かを思いついた様な表情を浮かべる。
「それでは――」
「待ってください」
踵を返し、目的の場所へと向かおうとしたアーネストを、フィーヤが呼び止める。
「騎士アーネスト。あなたに、私の近衛騎士としての任を与えます」
足を止め、振り返ったアーネストに、フィーヤはそう告げたのだった。
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