ミッション24—19 目覚め

 イミリアで最後に目にしたのは、吹き飛ぶ甲板と灼熱の炎。

 その後に表示された『ログアウト』の文字。


 7ヶ月ぶりのヘットギアが視界いっぱいに広がる。

 もうゲームの電源は切られたらしい。

 東也ファルはゆっくりと、慎重にヘットギアを頭から外した。


「お? おお!? お兄! ようやく帰ってきたか! この妹、お兄との再会に感動しているぞ!」


「沙織……」


「そうだ、お兄の妹である沙織だ! 7ヶ月ぶりの妹の顔、見られて嬉しかろう!」

 

「沙織! 元気そうだな!」

 

「この妹のお兄が帰還したのだぞ! 元気に決まっておろう! すぐに父母を呼んでくる! 待っておれ!」


 半年以上も動くことのなかった体に、沙織のテンションはなかなか堪える。

 それでも久しぶりの兄妹の再会だ。

 両親を呼ぶため沙織は部屋を出て行ってしまったが、東也は懐かしい気分である。


 いきなりの沙織の登場に、東也は現状を確認することを忘れていた。

 とりあえず、どこかの病院の病室で、仕切りに囲われたベッドの上に横たわっていることは確認。

 ベッドの側には、細身のスーツが似合うイケメンが。


「こうして直接、顔を会わせるのははじめてですね、三倉さん」


「田口さん。はじめまして——というのも変ですか」


「不思議ですね。何度も顔を合わせていたはずなのですが」


 まるで初対面のような顔合わせである。

 東也と田口はお互いに小さく笑い、田口は話を続けた。


「IFRに閉じ込められていた1万3720人全プレイヤーのログアウトを確認しました。プレイヤー救出作戦、無事成功です。三倉さん、此度のご協力、感謝いたします。ありがとうございました」


 頭を下げ、田口は心からの感謝を東也に述べた。

 この感謝の言葉は、田口個人のものであり、また内閣府のものでもある。

 つまり東也は、政府から感謝をされているということだ。


 しかし、再び頭を上げた田口の表情は柔らかい。


「堅い話はこの程度でよろしいでしょう。三倉さん、あちらを」


 田口はそう言って、仕切りのカーテンを開ける。

 カーテンの向こう側、対面のベッドには、見たことのある人影が。


「レオパルト——啓祐! お前、無事にログアウトできたのか!?」


「東也! おかげさまで、この通りだ。東也たちがガロウズを倒してくれたおかげだ」

 

「良かった……。にしても、元気そうだな」


「ガロウズは健康体だったんだ。正直、ガロウズの体の感覚が抜けてないんだ」


「その口ぶりだと、ガロウズの頃のこと、覚えてるな?」


「覚えてる。はっきりと覚えてる」


「NPCになってた気分はどうだ?」


「わりと楽しかった。チート持ちを裁く裏の番人、最高だった」


「おかげで俺たちはえらい目にあったんだが」


「チート持ちの宿命だ」


「おいおい謝罪の言葉はなしかよ。ま、お前がログアウトできただけで十分だがな」


 何事もなかったかのように元気そうな啓祐レオパルトを見て、ファルは一安心。

 現実に戻れたことに啓祐も安堵しているのだろう。

 2人のかすれ気味の声による会話には、時折笑い声が混じっていた。


 病室にはふさわしくない声量で会話を楽しむ東也と啓祐。

 すると、東也の左隣のカーテンが勢いよく開かれる。


 開かれたカーテンの向こう側にいたのは、病衣に身を包んだ巨乳の少女。

 沙織以上のテンションで、服がはだけそうなのも気にせず、彼女は満面の笑みを浮かべ叫んだ。


「わお! ファル東也さんです! リアルファルさんです! 7ヶ月前よりも痩せましたね! きちんとご飯食べてないんですか!?」


「食べてないに決まってるだろ。というか、痩せたのはお前も同じだろ」


 胸以外は、という言葉はさすがに口に出せない。

 ここはゲーム世界ではなく現実だ。

 言葉には気をつけなければ。


ラムダ、胸は痩せてない」


 遠慮なく澪にそう言い放ったのは、澪が横たわっていたベッドのさらに向こうのベッド、そこでくつろぐ若葉ティニーであった。

 SMARLスマールを手放し、陰陽師姿でもない彼女を目にするのは、一体いつぶりだろうか。


 隣に若葉がいたことに気づいていなかった澪は、若葉の声を聞いて振り返る。


「おお! こっちにはティニー若葉さんがいます! リアルティニーさんです! リアルでも無表情です! でもその無表情、嬉しい時の無表情ですね!」


ラムダ、私の背後霊、見えるようになった」


「当然ですよ! あれだけ長く一緒にいれば、嫌でも見えちゃいます! 背後霊と一緒のお布団に入るなんて、仲良しですね!」


「背後霊は、私の一部だから」


 もうゲーム世界ではないというのに、おかしな会話を繰り広げる若葉と澪。

 これは2人のテキトーな会話か、本当に背後霊が見えているのか。

 2人をよく知るからこそ、東也は判断がつかない。


 和やかなような恐ろしいような会話は無視だ。

 東也はやせ細った足でなんとか立ち上がり、窓から外を眺める。


 窓の向こう側、視界いっぱいに広がったのは、多葉の廃墟でも江京でもない。

 無数の高層ビルが暗闇を切り裂く、東京の夜景であった。

 プログラムではなく、実体を持つ街の景色だ。


「現実世界でも、一緒に綺麗な景色が見られたね、東也くん」


 外を眺めていた東也の背後から聞こえた、鈴を鳴らしたような優しい声。

 東也の心を落ち着かせるほどに聞き慣れた声。


「ヤサカ……いや、八千代か」


「私たち、現実世界でもずっと、隣に居たんだね」


 そう言って、ベッドの上で半身を起こしながら、八千代はにっこりと笑っていた。

 プレイヤー救出作戦を開始した際、東也の隣に八千代はいなかったはず。

 きっと田口らが気を回してくれたのだろう。


 現実世界ではじめて顔を合わせたファルとヤサカは、それでもいつもと変わらぬ表情。

 イミリアにいる時と同じ表情だ。


「東也くん、約束を守ってくれてありがとう」


「八千代がいてくれなきゃ、約束は守れなかった。感謝するのは俺の方だ」


「フフ、変なの。私のための約束なのに、私に感謝するなんて」


「言われてみればそうだな」


「……ねえ東也くん、私のわがまま、もう少しだけ聞いてくれる?」


「もちろん。どんなわがままだ?」


「またひとつ、約束してほしいことがあるんだ。私ね、もっと、もっともっと、東也くんのことを知りたい。だから東也くんと、ずっと一緒にいたいんだよ。約束、してくれるかな?」


 小さく首を傾け、顔を赤らめる八千代。

 東也はそっと、八千代がいるベッドの上に座った。

 彼は八千代の手を握り、口を開く。


「約束する。現実世界だろうとゲーム世界だろうと、俺は八千代といつも一緒だ」


「ありがとう。東也くんなら、今度の約束も果たしてくれるって信じてるよ。これからもよろしくね」


「よろしく」


 互いに手を強く握る東也と八千代。

 明るく笑う八千代を見つめ、東也は思い出す。

 そして彼は、小さく笑った。


「ところで、予約があったよな」


 それだけ言って、東也はそっと八千代にキスをする。

 病室とは思えぬほど賑やかな病室で、2人は静かに愛を交わす。


 現実世界とゲーム世界の価値観は大きく違う。

 しかし、どちらの世界にも変わらぬものはある。

 今この瞬間の病室こそが、その変わらぬものを物語っていた。

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