factor.2 - 3

 意外なことに、待ち合わせ場所にいた同僚はカーゴパンツを泥で汚してもいなければ、ポロシャツをどこかに脱ぎ捨ててくることもなく、路地裏の壁に寄りかかっていた。


 腕を組んだ遼平の足元には、屈強な秋田犬。鋭い眼光の三毛猫。段ボールに乗ったよぼよぼのハツカネズミが何故か等間隔で並び、それぞれ牽制の空気をかもしながらも大人しく座している。


 加えて彼の肩に乗っているのは、幼児ほどのサイズの大蝙蝠こうもり。遼平と契約を交わした宵闇色の王・宋兵衛そうべえである。


「おっせーよ、こっちはもう話ついちまったぜ」


「ごめんね遼、お待たせ。えっと……こちらの皆さんは?」


 遼平の血を報酬として、何かと仕事を手伝ってもらっている宋兵衛とはすっかり顔見知りだが、他の動物たちは初対面だ。

 やはり先程の優しい泥棒から、平和のシンボル白鳩を借りてくるべきだったろうか。ただでさえ陽射しの届かない暗がりで、この尋常ではないやさぐれ感と、毛並みの悪さ率を緩和するために。


「ここら一帯をシメてる、それぞれのボスだ。普段は縄張りを巡って争ってるが、今日は宋兵衛の口利きで話し合いに参加してもらった。こいつらも最近数が増えたせいで、餌の取り合いに苦しんでたみたいでな……。だからよ、少しずつ縄張りを調整して、なるべく西新宿の人間の目に触れねぇ方向で頼んどいたぜ」


 言って、さも自然に「ここはもう心配いらねぇよ」と男は続ける。ぽかんと口を開けていた少年だったが、やがて空色の瞳を二度またたいて。


「もしかして遼って、蝙蝠以外の動物とも……犬や猫ともお喋りできるのっ?」


「あ? いや完璧にわかるわけじゃねぇよ、宋兵衛が間に入って訳したりもするし……おいゾウさんキリンさんとか期待すんなっ、俺はパンダなんか見たこともねーぞ!」


 遼平の服にしがみつき動物園のアイドルたちを列挙していた純也だったが、彼の返答に「えー……」とがっかりした様子で手を離す。寝癖のついた髪を掻きながら、呆れた表情で「大体なぁ、」と切り出した男いわく。


「俺だって、生まれつき蝙蝠と話せたんじゃねえんだぞ? たまたま蝙蝠の鳴き声が聴き取れたから、ガキの頃に一つずつ意味を覚えただけだ。犬や猫だってそれぞれ言葉が違うだろ、音が聞こえんのと、それを言葉として話すのは別問題なんだよ」


 だからお前が考えてるようなメルヘンなもんじゃねぇぞ、と最後まで口にすることは叶わなかった。より瞳を輝かせた純也から、「すごい!」と真っ直ぐな称賛が飛んできたのだから。


「すごいね遼、それって動物界のバイリンガル、ううんトライリンガル以上じゃない!? 外国語を覚える感じで習得したの?」


「トラ……? いや虎の言葉はわかんねーぞ俺」


 母国語すらままならない彼には、酷な質問である。


 種族の垣根を越えた言語を操る同居人を見ていたら、自身の『覚えた記憶の無い異国語』なんてまるで些細な、大したことのないものに思えてくるから不思議だ。

 自然と心が軽くなり、純也の中の空白から漏れ出していた、暗く冷たいもやを吹き飛ばしてくれる。


「……んで、できる限り触れたくなかったんだが純也――そのガキは何だ」


「あっ、紹介が遅れちゃったね。アイーシャちゃんだよ!」


「個体名を聞いてんじゃねーよ! 俺は野生動物を探せっつったんだぞ、今回の依頼対象に人間は入ってねーだろが!」


 「違うよアイちゃんはお母さんとはぐれてまい、」「あぁクソそれ以上続けんなッ、あからさまな面倒事連れてきやがって!」と揉める二人の横で、集まった動物たちにじーっと無垢な視線を向ける少女がいる。


 何故か右手にペットボトルを、左手には造花を握り締めているが、その経緯を聞くことすら億劫おっくうな遼平は、舌打ちを隠しもせずに。


「俺は昔っから、ガキのおりすんのが大っ嫌いだったんだよ」


「遼、以前も小さい子のお世話してたことあるんだね」

「う、うっせぇお前がそいつ何とかしろよ! 俺は知らねーかんなっ」


 男は少年少女に背を向け、わかりやすい拒絶を示す。



 純也も感付いてはいたことだが、遼平の人間への態度は、他の動物に対するそれよりも格段に厳しい。


 生理的に『爬虫類はちゅうるいが苦手』や『虫嫌い』といった感情を持つ人がいるように、彼はどうしようもなく、ヒトを受け付けられない。嫌いな動物を追い払うように他人へ声を荒らげ、害虫を始末する程度の感覚で人に手を上げる。


 一方で、幼少期から共に暮らしてきた蝙蝠たちへの顔は、まったくの別人だ。彼らだけに向けるあの穏やかな表情を見る限り、おそらく『蒼波遼平』の本来の性格は強情でも、攻撃的でもないのだ。


 純也は、自身がヒトの形をしている以上、そこに越えられない壁があることを知っている。彼が、本当の自分を見せてくれることはないと。


 そして何よりも。最も嫌悪している動物に囲まれて暮らさねばならず、自らもその種であるという事実に、遼平が苦しんでいることを知っている。



「……うん。アイちゃんは依頼の後に、僕がお母さんのもとへ送り届けるよ。約束したんだ。仕事中もちゃんと見てるから気にしないで――って言っても、遼のおかげで依頼はもう成功しちゃったみたいだけどね」


 役に立てなくてごめんね、と申し訳なさそうに微笑む純也に、男は低く「いや、まだだ」と零すとその長身で空を仰いだ。

 屹立きつりつしたビル群の狭間でしか主張の許されない晴天を、黒い影が滑空していく。


「あれって、カラス?」


「あぁ。奴らは元々、宋兵衛こうもりたちと折り合いが悪くてな。今回も話すら聞こうとしやがらねぇ」


 地上で奥歯を噛み締める遼平を嘲笑うかのように、上空を旋回しながら数羽のカラスが鳴いている。どうやら他の種族からもことさら嫌われているようで、西新宿アニマルサミットに参加した面々も、一様に恨みがましく睨み上げていた。


「この前も宋兵衛の群れのチビが、ちょっかい出されてケガしてな。てめぇより弱い子供を、意味も無くいたぶりやがって……!」


「で、でも遼なら話せばわかり合えるんじゃないっ? 時間をかけて接すれば、言葉を覚えることも――」


「蝙蝠に手を出した時点で絶滅あるのみだ! 調子乗ってんじゃねーぞ鳥類の分際でッ、哺乳類ほにゅうるいナメんなコラァ!!」


「そんな脊椎せきつい動物界を揺るがすような戦いなの!?」


 空へ中指を立てて吠える遼平と、大体同じことを主張しているのだろう。彼の肩にいた宋兵衛も、両翼を広げ甲高い威嚇を放つ。


 浦島太郎も真っ青な彼の動物愛護精神は、どうやら対人間に限った話でもないらしい。

 『蝙蝠に危害を加えた動物は、何であろうと種族根絶ねだやし』という偏愛に満ちた平等な方針を目の当たりにして、純也は人類存続のためにも、蝙蝠だけは絶対に傷つけてはいけないと肝に銘じた。


 そして、やはり彼の攻撃性は素かもしれない、と胸の内で前言を撤回する。


「おい、ジジイどもが押し付けてきた道具の中に、カラス用のがあったろ。あれ出せ」


「えっと……カラス除けのステッカーにシート、あとスプレーもあるよ」


 少年がリュックサックから出した駆除グッズの中から、遼平はスプレー缶を手に取ると、数回軽く振ってから「よし!」と頷き逆さまに握り締める。


「奴らを追い立てて、新宿セントラル公園に集めろ。そこで一気に仕留めてやる、今夜は焼き鳥だぞ純也!」


「ちょっと待ってそれ鈍器じゃないよ振り回しちゃダメだって! 僕カラスのさばき方なんて知らないよ遼ー……!」


 ビル壁を交互に蹴り、あっという間に空へ跳び上がっていった同僚に、純也の制止など届くはずもなく。

 天へ伸ばした腕を虚しく下ろしたところで、Tシャツの裾をくいくいと引っ張ってくる少女に気付いた。


『ジューヤ、お腹すいたー!』

『あ、そうだねもうお昼近いもんね。じゃあご飯にしよっかー』


 害獣駆除から早々に、カラス殲滅作戦へ移行した同僚はひとまず置いておいて、少年はその場でレジャーシートを広げる。


 町内会の面々から大量に持たされた茶菓子は、アイーシャへ。元から自分の昼食として用意しておいたパンの耳は、話し合いに参加してくれた動物たちに差し出した。


 まさにピクニック日和な空模様と穏やかな南風、皆が頬を膨らませ食事する光景に、この街は今日も平和だと純也は顔を綻ばせる。



 ――同時刻。東京の領空権を賭けたカラスと蝙蝠(内、人間一匹含む)の壮絶な戦いの火蓋ひぶたが切られていたが、やっぱり世界はどうしようもないほど平和だった。

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