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 表札と言うにはあまりに大きく、看板と呼ぶには客を歓迎する気など毛頭無さそうな荒々しい字体で、入口の上部に打ち付けられた鉄板に『百々目鬼どどめき商会』とあった。


 来るものを一切合財いっさいがっさい拒むその威圧的な看板を、道路を挟んだ向かいの路地裏から大きな瞳が睨んでいる。


「わざわざフォックスに調べさせる必要、無かったんじゃないのアレ? よくもまぁ、あんな堂々とビル構えてくれちゃって……」


 日陰者の自覚などあったものではない自己主張の塊のような看板から、上に向かって数えてみれば、どうやら十三階建てらしい。

 銃火器売買の仲介や横流しをしている業者だと澪斗は言っていたが、随分と儲かっているようだ。


 それにひきかえ自分たちはと言えば、看板どころか賃貸ビルの一階ポストに貼り付けた社名すら、黄ばんで読めなくなっていたことを思い出して切なくなった。


「にしても、どうして武器屋のくせに下北沢の人たちを脅し始めたのかしら。言っちゃ悪いけどかなり荒れてたし、土地としての価値は低そうなものだけど……。ねぇ、澪斗はどう思う?」


 希紗は路地裏の奥へ振り返り、先程から何の返事もくれない同僚に意見を求める。

 だがそこにいたのは、たった数十秒目を離した隙に、完全武装を終えた男の姿だった。

 地面に下ろした、鋼のアタッシュケースから出したのだろう。ワイシャツの上から機動性に優れたタクティカルベストを身に着け、左太腿には固定したレッグポーチとサバイバルナイフ、最後に手に馴染んだコルト・パイソンの弾倉に装填を済ませると。


「三下の考えることなど知るか。一々尋ねてやるつもりも無い、これから奴等を行くのだからな」


 腰のホルスターに相棒を収め、澪斗は険しい双眸を正面に向ける。

 確かな殺意を纏いながらビルに向かって歩いていく澪斗に対し、希紗が「いやいやいや!」と激しく首を振りながら彼の防弾ベストにしがみ付いた。


「何ちょっとそこまでコンビニ感覚で戦争おっ始めようとしてんの!?」


「俺とて、好きで正面突破などという非効率的な手段を選んだわけではない。だがあのビル窓は全て厚い防弾ガラスで、ライフルでの狙撃ができんのだ」


「論点は使う銃器の種類じゃないから!」


 「ではどうする。数日張り込んで、奴等のボスが出てきたところを襲撃するか」「なんで人の眉間を撃ち抜く選択肢しか出てこないわけ!?」怒鳴りながら、男を再び路地裏に引きずり込む。


「ちゃんと私とフォックスの話聞いてた!? 今回は怒号も銃弾も飛び交わない、もっとスマートな方法でいくの!」


 そう言って希紗が得意気に取り出したのは、一枚のメモリーチップだった。爪ほどのサイズしかない記録媒体を指で挟み、彼の鼻先へと突きつける。


「フォックスにはついでに、百々目鬼商会の顧客名簿も調べクラックさせたの。そしたら案の定、ここから武器を買うような組織には本社の得意先も多くてね。ま、わざわざ大金はたいて銃器を手にするより、プロの警備員に任せた方がいいくらいのお客様だけど?」


 顧客といえど立場はこちらが上、と言いたいのであろう希紗の口ぶりに、澪斗もその先を察し始めた。

 眼鏡のブリッジを指で押し上げ、「回りくどい真似を」と零す。


「こっちが『百々目鬼商会との取引をやめるように』周囲へ圧力をかければ、あんな中小企業、一発で潰せるんだから。警備業界トップをなめんじゃないわよ!」


「そもそも裏社会で、警備事業などと正気の沙汰とは思えん企業はこの一社のみだがな。……しかしその方法には根回しがいるだろう、最終的には風薙かぜなぎの承諾も必要だ」


「えぇ。でも社長には許可どころか話すらしてないわ」


 しれっと答えた希紗に、さすがの澪斗も上ずった声をあげた。

 対する希紗は、肩をすくめて「やれやれ」といった古い欧米風のボディランゲージをとる。例の神父に影響されたのだろうか、そのオーバーな仕草が妙に澪斗の鼻に付く。


「そんな時間ないし、その必要もないわよ。すぐそうやって何でもかんでも真に受けるんだから。これはあくまでそーゆー、脅し文句」


「……つまりはただのハッタリ、と?」


「そ。けど私たちがロスキーパーから来てるのは事実だし、話に真実味を持たせるための顧客名簿や本社からの『警告書』もこのチップの中にあるわ」


 「まぁ警告書はフォックスお手製の偽造ものだけど」とやはり何でもないように吐くこの未成年は、時折澪斗よりも、よほど大それたことを平気でやってのける。


 本当に自身がやっていることの重みが解っているのだろうかと、男は頭を抱え、しかしすぐに首を振る。

 そうだ、この女はそんな重みなど端から考慮してはいないし、最後まで振り返るつもりも無いのだと。


「まったく、貴様は呑気で良いな。話の大筋は理解した、メモリーチップを寄越せ」

「え、なんで?」

「何故って……その交渉をするには、結局奴等のトップに会う必要があるだろう。俺が持たずしてどうする」

「いや、これくらい私が持って行くからいいって」

「は?」

「え?」


 互いに頓狂な声を上げたまま顔を突き合わせていたが、ようやく相手の考えに気付いて眼を見開く。「貴様も来るのか!?」「一人で行かせるわけないでしょ!?」


「どうやら貴様は本当に、蒼波と同じ頭の病気にかかったらしいな。良いか、あそこは銃火器商人の巣窟なのだぞ? 貴様の嫌いな拳銃が、腐るほどあるだろう」


「わかってるわよ、それくらい! でももう決めたの、覚悟はできてるわ。地獄の果てまでだって、澪斗に付いてってやるんだから!」


 口を固く結び、キッと見上げてくる瞳には確かに揺るぎない決意が見て取れた。こうなった希紗にはどんな説得も脅迫すらも無意味だと、思い出したくない数々の前例が、澪斗に諦めを促してくる。


 ――あるいは、相手が銃火器商人だからこそ、なのだろうか。

 彼女が恐れ、それ以上に憎んでいる拳銃を世にばらまく彼等は、希紗にとってかたきも同然なのか。


 そこまで考えて、澪斗は自身の左手が無意識のまま、ホルスターの中の硬い感触を確かめていることに気付いた。

 それをぐっと奥に押し込んで、防弾ベストも脱ぎ捨てる。


「フン……交渉をメインとするなら、大仰な武装は逆効果だな。だが三流と言えど敵の本拠地に乗り込むのだ、俺の三歩先を歩いて、いざという時は弾除けになるくらいの役目は果たせ」


「さすがに三流もドン引くわよその作戦。あ、そうだ今回のカートリッジはこれね! なーんか嫌な予感がビシバシするから、先に渡しとくわ」


 並び歩きながら渡されたのは、男の片手に収まる長方形の金属箱だ。

 彼女が造り上げた世界に一挺だけの銃、『ノア』以外にはセットできない弾倉で、発射するまで何が飛び出すかわからない。

 澪斗が昔から愛用していたコルト・パイソンとサイズや重量こそ似せているが、回転式ではなく、カートリッジによって装填する自動式拳銃である。


 「今回の弾は?」「乞うご期待!」そう言って親指を突き上げられる、いつも通りのやりとりをしている内に、目の前には訪れる者を威圧する押し扉があった。

 仕事の顔になった二人が示し合わせたように視線を合わせ、揃ってこくりと頷く。


 だが澪斗が伸ばした手が扉に触れるより先に、希紗が両手ごと突進。「たのもー!」と道場破りじみた掛け声を上げたことで、男は片腕を掲げた奇妙なポーズでの登場を余儀なくされた。一体あのアイコンタクトは何だったのか。


 しかも口を半開きにした澪斗が、さらに間の抜けた息を漏らすことにはなるのは、この後である。


 眼前に広がるは、暴力団の事務所でも、武器商人の倉庫でもなく――至って清潔かつ健全に見える、受付カウンターだった。

 大手銀行の窓口にも似た、傷一つ無い白い壁と趣味の良い観葉植物。受付係であろう女性と、ビジネスマン風の男性がきょとん顔でこちらを見ていた。


 もしここで澪斗が腰から銃を引き抜こうものなら、弁解のしようもない、ただの陽気なカップル強盗である。


「お、お客様? どうぞこちらに……本日はどのようなご用件でしょう?」


 黒髪を下ろした受付嬢が手で促してくるが、明らかに笑みが引きつっている。

 しかしそんな可哀想な人間を見る目を向けられても、今更引き下がるわけにはいかないのだ。希紗は先程の気勢が削がれぬよう、半ば自棄やけになってまくしたてた。


「ちょっとねぇ! こっちはあんたらのせいで、やっすい報酬で働かされてる上に、面倒な不法滞在者と国際結婚する羽目になりそうなのよどうしてくれんの!? 責任者出しなさいっ、責任者を!!」


 身を乗り出し、カウンターを激しく叩くことで受付嬢を半泣きにさせる同僚の後ろ姿に、澪斗はなんとかこのクレーマーとは無関係の他人に装うため半歩横移動してみる。


「ひぃっ、えっと、我が社の商品を購入されて……?」

「あぁもうそうよ、そう! だからボスに会わせなさいっ、私たちはねぇ――」


「お客様、お待たせ致しました」


 ぬっ、と女性の後ろから現れた巨大な影に、澪斗は反射的にホルスターへ手を掛けた。

 どう見てもカタギではない刈り上げ頭の大男が、涙目だった受付嬢の肩に手を置き、しわがれた声で「君は下がっていなさい」と場所を入れ替わる。


 カウンター越しでも指の先まで伝わる圧迫感に負けるものかと、希紗は胸を張り返す。全くの丸腰だというのに、その無謀な積極性はどこから来るのか。澪斗は音になるかどうかの吐息を零した。


「あんたが、百々目鬼商会の親分さん?」

「いえ。私は、この階の責任者です。まず私に話をお聞かせ願えますか?」


「なら、あんたのボスに伝えなさい。私は裏警備会社ロスキーパーから、百々目鬼商会の親玉に直接、会いに来たのよ。証拠ならここに、」


 メモリーチップを取り出そうとすると、責任者を名乗る男は手のひらを突き出した。それに肩をびくつかせた希紗の前で「いえ、その必要は御座いません」と静かに。


「お客様のお話はわかりました。そういったご用件でしたら――私を倒してから、上の者にお話を」


「……はい?」


 目を丸くした希紗の前で、男はおもむろに両拳にメリケンサックをめる。後ろにいた七三分けのサラリーマンも次々に、釘バットやバールといった、銃火器とは程遠い鈍器を取り出し始めたではないか。


「我が百々目鬼商会では、ご予約の無いお客様は社長のいる十三階まで、しなければ、階段を上がることができません。ご心配なく、幸い本日は社長も在社しておりますよ。――怪異の名を授かった我ら十二人に勝利できれば、の話ですが」


「何そのしんどい設定!? せめてもうちょっと人数絞りなさいよっ、四天王とか七福神とか!」

「福の神を名乗られてもな……」


 初めて営業スマイル以外の笑みを見せた責任者が、両手の鋼を打ち鳴らす。どうやらそのルールに従う以外、社長と面会する方法は無いらしい。

 肺いっぱいに息を吸い込んだ巨漢が、ワイシャツの胸ボタンを飛ばしながら高らかに開戦を告げた。


「ここが地獄の一層目ェ! 上に進みたくば、まずはこの《海入道のマサ》を倒してけぇい!!」


 彼がスーツの左胸につけていた『係長』という名札もどこかに弾け飛び、部下たちの野太い雄叫びが受付フロアに響き渡る。


 思わず「うわぁ……」と小さく呻いた希紗の横で、澪斗は交渉の『こ』の字も無かった一連の流れに嘆息しつつ、ノアを引き抜いて最初の作戦に立ち戻ることにした。



「……ねぇ、私やっぱり外で待っててもいい?」


「地獄の果てまで一蓮托生だぞ、希紗」

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