12話:姉上
「テレビで特番組んでるだろうし、そっち見た方がわかりやすいと思うよ」
本田は、学生にしては大きなテレビの電源を入れた。ネットショックのある日突然の復旧は、当然大きなニュースになっており、どのテレビ局でもこの話題で持ちきりだった。
「なるべく詳しい解説をしてるところがいいな」
本田はリモコンを手に持ち、番組を次々と切り替えていく。本田がいい番組を見つけたのか、番組を決めてリモコンを畳に置こうとした時、突然、千弘が本田のリモコンを持つ手を掴んだ。
「ちょっと前の番組に戻して」
「え?」
「今、本ちゃんのお姉ちゃん写ってなかった?」
溝口は、一瞬しか画面に映っていない人間の顔など全く気にしていなかったから、よくわからない。番組の内容ばかり気にしていた本田も同様のようだった。鹿島は、そもそも本田の姉の顔を知らないはずだ。
「とりあえず戻してみてよ。損はないって」
自信満々の千弘の言葉を否定する理由もなく、本田は番組を戻した。
「ほら、この人!」
千弘が指差した先の女に溝口は目を凝らす。
「……そうかな?」
本田の姉の顔を見たと言っても、溝口はドアの隙間から見ただけだから、顔の詳細はわからない。それに、以前見た時とは髪型も服装も違う。よく一瞬で気がついたものだと溝口は感嘆した。
「本ちゃん、どう?」
千弘は振り返って本田をつつく。
「めちゃくちゃ似てる……」
本田は重々しく呟いた。驚いた。まさか、目の前の人間の実の姉がテレビに出ているだなんて。いや、最も驚いているのは本田本人だろう。元から大きめの目をさらに大きくして、画面を食い入るように見つめている。
「名前が出てくるまで待とうよ。本ちゃんのお姉ちゃんって、名前なに?」
予想が当たり、興奮している千弘はノリノリで本田に詰め寄る。
「か、薫子……。
「その名前を探そうよ」
インターネット復旧について知る、という目的は完全に忘れ去られ、今の興味の先は、目の前の可愛い女は本田の姉かどうか、が全てである。
「ほら、リモコンのどこかに、番組表を表示させるボタンがあるでしょ。それでちょっと出演者のところ見てよ」
のろい本田をじれったく思ったのか、千弘はひったくるように本田からリモコンを奪う。慌てて番組の詳細を調べるが、出演者のところに本田の姉の名前はない。
「別人かな。さすがに、テレビに出るってなったら、連絡くるだろうし」
本田は残念そうにチャンネルを変えようとした。
「でもこれ、緊急特別番組でしょ。名前が出てなくてもおかしくない」
溝口が助け舟を出した。本田の手が止まる。しかし本田は、画面の中の女が姉であると、完全に信じきるのには迷いがあるらしい。
「だって、こんな真面目な話をしているところなんか見たことがないし、うちの姉ちゃんはインターネットの専門家とは程遠いから」
「本田の姉ちゃんはどういう人なの?」
「金融系の仕事をしてる」
確かに、ネットショックと本田の姉の間に縁があるとは言えない。
言い合っているうちに、姉らしき女と話している相手が、女に本田さんと呼びかけた。テレビの画面前で、溝口と千弘が色めきだつ。
「でも、本田って名字はよくあるし……」
「そこまでして、お姉ちゃんが出てるのを否定したいわけ?」
千弘は、自説にケチをつけられて不満そうだ。
「こんなに似てる上に同じ名字、なのに別人だなんて奇跡だよ。それこそ、テレビに出られるレベル」
「あ、肩書きが出てきた。暗号ソフト開発者代理人だって」
千弘は本田の様子を伺うが、本田は特に反応を見せない。
「暗号って、IPアドレスの暗号かな」
普段なら、ここで本田から解説が入るのだろうが、本田は貝になっている。
「じゃあ、ネットショックと関係ないとは言えないね」
「ここからたどるのはきつそう」
となると、残りは本田からたどるしかない。本田は、確実に何かを隠している。
「ねえ本ちゃん、本当に心当たりはないの?」
「うーん」
うつむく本田の目を見ようと覗き込む千弘を見ていると、まるで悪いことをした子供をしかる親を見ているようだ。
「ないの? あるの?」
「ある……といえばあるし、ないといえばない」
「なんでそんなに曖昧なの」
千弘は本田に見せつけるように大きなため息をついた。
「そんなに言いたくないの?」
「いや、言いたいわけじゃないんだけど……」
とはいえ、姉をテレビの画面に見つけた時の本田の驚きようを見ると、本田は姉がテレビに出ているとは、まさか思っていなかったのだろう。
「わかった、全部話すってば」
千弘と溝口から問いただされ続けた本田が、ついに耐えかねたように声を上げた。悲痛そうなその声に、やりすぎてしまったかと緊張と反省が走る。
「ごめん……」
さすがの千弘もばつが悪そうだ。溝口も、千弘と同様に頭を下げた。
「いや、いいんだよ。多分、ずっと隠し通すなんて不可能なのはわかってる」
「どれから聞きたい? 気になるところはたくさんあるんだろ」
「もちろん。まず、本ちゃんのお姉ちゃんの話から……」
「まあまあ、話はどこか、外食でも楽しみながらやらない? 本田の分は出すから」
溝口はベッド脇の目覚まし時計に目をやった。正午を回り、昼食にはいい頃合いである。本田の分を出すというのは、溝口にとって罪滅ぼしのつもりである。
「そうか、もうそういう時間か」
本田はけろっとして、何を食べようか考え始めた。溝口と千弘は肩を撫で下ろす。
「焼肉にしようよ」
千弘は、可愛らしい顔をしておきながら、食欲だけは人並み以上だ。
「この暑いのに焼肉? しかも昼から? 正気かよ」
本田が眉をひそめると、千弘は口を尖らせた。
「僕さ、この夏、友達とバーベキューするはずだったんだよね。でも、このネットショックのせいで、お肉はスーパーから消えたし、そもそも誰とも連絡を取れないし。肉欲を満たしたいわけだよ。肉欲を」
お前の肉欲は別の意味だろ、と溝口は苦言を呈したくなったが、下ネタが好きなわけでもなし、鹿島から下品な人間扱いされるのは嫌なので黙っている。
「じゃあ焼肉行こう。安い食べ放題でいいよね?」
これに反対する男子大学生など、いるわけがない。
「あ、俺、今月金欠だわ。焼肉はきつい」
財布を覗いた本田が、申し訳なさそうに謝る。
「今回は出しとくよ。また今度、焼肉おごってね」
溝口は快く立て替えを申し出た。ここで慈悲深くなったのが誤りである。
「あっ溝口さん、ごちそうさまでーす」
千弘が左手を拝むように立て、軽くウィンクをよこす。
「あざっす」
「お前らは払え!」
さりげなく奢らせようとする千弘と鹿島を横目で睨んで牽制しておくが、おそらくなんだかんだ自分が払うことになりそうだと思うと、自分の好物を食べに行くはずなのに急に食欲が失せるのを感じた。
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