焼け野原

9話:再興

 本田の読み通り、ネットショックは、発生から1週間弱経っても、止まったサーバーは元には戻っていなかった。報道も落ち着き、流通も安定してきたのは確かだがが、不便を強いられていることに変わりはない。


 しかし、世界の一流企業たちがやられ続けているわけもない。焼け野原となった電子世界に、新たに建物がぽつぽつと立ち始めている。つまり、アクセスできなくなった元のウェブサイトを捨て、同じ内容のウェブサイトを新しく作る、ということである。検索エンジンが機能し始めた時には世界中のニュースになり、全世界の人間が両手を上げて喜んだ。


 そして、それはインターネットに星の数ほどあったアプリも同様で、大手通信サービスアプリは、大きすぎる被害を受けたとはいえ、なんとか立ち直り始めている。eメールサービスも、メールアドレスを再度登録し直す必要があるとはいえ、復旧したといえばした。

 インターネットが停止した直後には全く機能をなしていなかった電話回線は大幅に障害が減り、被害直後の予想よりは、被害の拡大は収まっていると言えよう。


 しかし、世界全体でみるとやはり被害は拡大している。特に被害を受けているのが、ベンチャー企業、あるいは株や為替のトレーダー、ネット銀行の類だった。中小企業をはじめとして多くの企業が倒産してゆき、それは日本も例外ではない。

 元のサーバーからデータを抽出し、新しいサーバーに移動させることで復旧させようという動きもあったものの、データを抽出するために前のサーバーにアクセスをしようとしても何故かブロックされ、ほとんどその活動は進んでいなかった。


 それに伴い、株価は全く安定せず、ストップ安が止まらなくなって上場廃止を行う企業も次々に出ている。死者が出るのは時間の問題、いや、明らかになっていないだけで死者はすでに数多いはずだ。


ADLERアドラーがそろそろやばいらしいよ」

 新聞を読みながら、興味深そうに本田が話しかけてきた。

「ADLERってあのADLER?」

 溝口が全身全霊で就職活動をしても、絶対にお目にかかれないような、世界最大と言っても過言ではないソフトウェア企業だ。

「相当株価が落ち込んで、ストップ安が3回。前の株価の半分以下だって」

 本田の興奮を見る限り、相当凄い話なのだろう。


「あの大企業が虫の息なんだから、単なる学生の俺らは楽でいいね」

「そんなことないよ」

 千弘がため息をつきながら話に割り込んできた。

「世の中の人全員が、アカウントを最初から作り直して、友達登録もゼロからやり直しでしょ? 高校と大学の友達が増えなくて困るんだよ」

 1000人規模の友達数を誇っていた千弘がぼやく。ちなみに、千弘が嫌々行っているバイトについては、ネットショック前と同様に行かねばならないので、バイト先のグループだけは、ほぼ元どおりらしい。皮肉なことである。


「友達登録しに大学に行きたいけど、誰も来てないから登録できないんだよね」

 大学には、ネットショックが起こってから全く行っていなかった。

 溝口たちが通う大学の方も休講が伸び続け、1週間になろうとしている。気の毒なことに、ネットショック以前の成績や出席状況、あるいは受け取ったレポートが全部吹っ飛んだらしい。その失われたデータの確認が終わり、新しくシステムが構成されるまでは休講する気なのだろう。


「補講、増えるんだろうな……」

「僕なんか、補講の補講が出るよ。いっそなくなってくれたらいいのに」

 確かに千弘は、ネットが止まった当日に補講が入っていると言っていた。その振替の授業が入ることが確定したらしい。

「何の授業?」

「刑法。もともと、出席にうるさい名物教員なんだよね。死ぬほど嫌い」

 だからあの朝、あんなに授業に行きたがらなかったのか。


「今は准教授だけど、教授になれずに生涯を終えるように皆で呪いをかけてる。本当は毒を盛りたいくらいだけど、刑法の教授を殺して刑法で裁かれるのは嫌だから」

 知らない教員相手だが、さすがにそれはかわいそうな気もする。

「こっちはサボってるどころかむしろ忙しいのに、好き放題やるんだもん」


 確かに唐突に1週間もの休みが入り、嫌な試験が延期されて羽を伸ばしているのは確かだが、実際には空いた時間は、食料を確保するために様々なスーパーへ買い物に行くなど、生活のために割かれている。どうせ授業の総コマ数は変わらないから、この先に補講が入るとしたら夏休みだ。実質、夏休みを削ってスーパーめぐりをしている状況だと考えると、憂鬱にもなる。


「俺は急に休みが入って嬉しいけどな」

 のんきなことを言うのは本田だ。

「体育会系の人間はだいたいそうなんじゃない? どうせネットが止まってたら互いに連絡がロクに取れないんだから練習のやりようがないし、夏休みが短くなったとしても練習が減るのは確定だもん」


 好きでサークルに入っているはずなのに、練習がなくなるのを喜んでしまうあたりは、なにか毒されているように見える。ただ、学内の類似サークルの中では最も厳しい練習で有名なテニスサークルに所属する溝口も、練習がなくなれば諸手を挙げて喜んでしまうタイプなので偉そうなことは言えないが。


「長い目で見れば損だってことがわかってても、目の前に休みをぶら下げられたら食いつくのが大学生ってもんだろ」

 偉そうに本田は言う。自分だって同類のくせに、と溝口はぼやいた。

「せっかく予定のない休みが入ったんだから、普段できないようなことをしたら?」


「なら、僕はスマホ解約しに行こうかな」

 千弘がのそりと立ち上がった。このような提案に真っ先に乗るタイプには見えないが、最近、スマホを解約する人間がちらほら出てきたのが報道され、それに影響を受けたのだという。


「俊一郎、車を出してくれない?」

 千弘は鍵を投げる。

「いいけど、スマホ解約するの? 連絡とかどうするわけ? 最近はサイトだって結構増えてきたし、損だと思うけど」

「ネットの方だけ解約する。電話とネットは別契約だからね。パソコンがあればネットはできるし、過去のニュースや投稿物を永遠に見られないのは確かでしょ。スマホでわざわざネットを見る必要はないんだよ」


 千弘のいうとおりで、ユーザーの投稿によって成り立っているサイトは、現時点でほとんど機能しておらず、運営会社も倒産が影で噂されている場合も多い。運営会社の社員が慌てて就職活動をしているという話は有名だった。


「やめといたほうがいいと思うよ」

 この食料に困るような有事に、菓子をはじめとする優先度の低い食品ばかり買い込んだ本田が、アイスを優雅に食しながら言う。

「多分そんなに得にはならないだろうし、すぐに復旧したら、むしろ損するよ」

「そんなすぐに復旧しないでしょ」

「いや、多分だけど、2ヶ月もせずに復旧するよ」

 断言する本田にたじろぐのは、むしろ千弘の方である。


「……なんでわかるの」

「ニュースとかを見てたら予想がつく」

 確かにテレビは定期的にネットショック関連のニュースを流しているが、インターネット復旧のめどが立たないと報道しているのは、どこの局も同じだ。予想がつくと言われても、根拠が見当たらない。


「俺には全然わからないんだけど」

「じゃあ、長くなるけど説明しようか?」

 本田は、ご自慢の高級パソコンにスイッチを入れる。低い起動音がして、ふっとディスプレイの明かりが灯る。


「オーストラリアに、Hudsonハドソンという民間団体があるんだよ。さすがにその名前は俺も全然知らなかったし、みんなも知らなかった団体だろうけど。そこが世界中のサーバーにIPアドレスの割振と管理をしてるらしい」

 溝口も今回の件までは全く知らなかったが、つい最近、ニュースでその名前を聞くようになった。何をしているのかは知らないし、なぜ話題になっているのかもよくわからない。そもそも、企業ではなく、いち団体ということすら知らなかった。


「Hudsonは、外部から何者かにハッキングされたという声明を出してるけど、おそらくそれは違うと思う」

「そうかな。筋は通ってると思うけど……」

「非営利の民間団体とはいえ、Hudsonはかなりの金を動かす団体だよ。職員だってプロぞろいだし。相当強固なセキュリティを敷いているのは間違いない。そのHudsonが、ハッキングされた上にすべてのIPアドレスをめちゃくちゃにされて、全くの対処も出来ずやられるというのは不自然だ」

 Hudsonのシステムにハッキングしたところで、全世界のIPアドレスを完全に暗号化するのにかかる時間は膨大なもので、その点を考えれば不自然だ、ということらしい。

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