雪の精霊と少女

 が、ちらちらと降っていた。

 齢十七ほどの万華鏡売りの少女がひとり、夕刻の雪の中を歩いている。夕刻と言えど、辺りはすでに薄暗い。これから、闇の色は濃くなっていくのだろう。


———ほぎゃあ、ほぎゃあ


「………もしや」


 万華鏡売りの少女は足を止め、そちらの方へと歩いていく。

 籐の籠なかで、まだ産まれたばかりのような、真っ赤な赤ん坊に雪がひらひらと降り注いでいた。

 ざ、ざ、と雪を踏みしめ、万華鏡売りの少女は、赤ん坊を抱き上げた。


「暖かい、生きてる…」


 奇跡的になのか、凍傷にはなっていない。


 ———置き去りにされ、まだそう時間が経っていないのかな?………それとも。


 赤ん坊が泣く度に、雪はいたずらに降っていく。


 その時だった。

 ニョキニョキ、と赤ん坊の腕が伸びている。足も、背も、首もだ。

 万華鏡売りの少女は、驚きで赤ん坊をとり落とさぬように、極めて冷静を装った。

 内心は、かなり驚いていた。


 みるみるうちに、赤ん坊は七歳ほどの子供になってしまった。


「これはいったい、どうしたことなの。 こんなものを見るのは、初めて」


 何より、赤ん坊がまとっていた白い着物は、今の姿に合わせて、その丈を変えた。

 まるで、白昼夢でもみているようだ。

 万華鏡売りの少女は、目を白黒させる。

 目の前の子供は、閉じていた目を開き、万華鏡売りの少女を見た。


「ねーちゃん。 名前は?」

「え………。 は、ハッカです」

「そっか。オレ、名前ないんだ。なんかつけてよ」

「え、そんな急に」

「なあなあ。なんでもいーんだよ」

「なんでもよくはないでしょう。 名前は大切なものなのですから。 時間をかけて考えさせて下さい」

「ふーん。 そっか。 わかったよ」


 ハッカは仕方なく、子供の手を強く握りしめ、近くの村を探した。

 あたりは既に陽は落ち、ますます雪の模様が強まっていた。

 ハッカらは、ようやく村を見つけ、手近な民家の戸をトントン、と叩いた。


「今晩は、夜分に申し訳ありません。 旅のものです。 今晩の宿を探しております。 どこでも構いませんので、寝床を貸していただけないでしょうか」


 戸を開けて、中から女が出てきた。

 眉尻が下がった、気弱そうな女だった。

 無言でハッカを見、そして、その手を握っている子供を見、ギョッと目を見開いた。


「その背負い箪笥には、何が…?」

「万華鏡が入っております。 これで商売をしております」

「まっ、万華鏡、売り……さん。 そ、それで、その御子は……?」

「捨て子なのでしょう。 裏の雪山で拾ったのです」

「そ、そうでしたか。 大変でございましたね」


 その間、女はハッカと目を合わせることはなかった。


———万華鏡は偽りの奇妙な世界を写す。ゆえに万華鏡売りは、災いをつれてくる。


 この小さな村では、万華鏡売りはそう噂され、敬遠されていた。

 女の対応に、ハッカは追い出されるのだろうかと思ったが、女はビクビクしながらも、中にいれてくれた。

 そして、震える手で茶まで出してくれた。

 しかし、やはり一回もハッカと目を合わすことはなかった。


 歩き疲れて眠くなった子供に、女は寝床まで作ってくれた。

 子供をそこに寝かせると、ようやく落ち着いたのか、すぐに眠ってしまった。

 女は相変わらず、ハッカと目を合わせなかったが、とくに子供とは、決して目を合わせぬようにしているようだった。


「しかし、この子供、あんな雪山に捨てられていたのに、随分と元気なのですよ。 凍傷もないし、とても不思議です」

「そう……ですか」

「そう言えば、あのときが降っていたのです。 不思議な山なのですね。 霊山なのですか?」

「さあ…。……ですか………」


 女は歯切れ悪く、答えた。


 女のそばに、鏡台があった。

 聞くと、実家から持って来たものらしい。唯一の花嫁道具なのだという。

 その鏡台の箪笥部分には一段一段に、美しい雪の結晶が描かれていた。


「素晴らしい鏡台ですね」

「はあ…。 しかし、鏡台は美しくても、映す人間がこんなに醜いのでは、鏡台も仕事しがいがないものでしょう」

「そんなこと」

「いえ。 わたくしは醜いのです。 見た目も、心も、汚れています」

「…じゃあ、見せてください。 私に」


 ハッカは、商売道具である背負い箪笥から一本の筒を取り出す。

 それには赤い和紙を巻かれ、そこにきらきらとした銀紙や金粉を散りばめた装飾が施された万華鏡だった。


「万華鏡は、小さな空間に二つとない美しい世界を生み出すのです。 鏡と光が作り出す嘘と誠が曖昧な世界。 あやふやな貴女の心をみせてくれるだろうと思います。 さあ、覗いてみて」


 ハッカにまっすぐに見つめられ、女は言われるがままに、ゆらりと万華鏡を覗きこんだ。


 しかし、そこには何も映っていない。


———図られた?


 女は万華鏡から、目を離そうとした。

 その時、とたんに女は体を凍りつかせる。

 万華鏡のなかの鏡の世界に、雪が降っている。

 真っ白に、ゆらゆらと降る雪。


 これは万華鏡ではなく、望遠鏡だったのか?

 女は、万華鏡をくるりと一回転させた。

 鏡が回り、雪はカシャンと景色を変えた。


 ぐるり、と現れる——黒い瞳。


 鏡が反射し、映し出す無数の目玉はまっすぐに女を捉えていた。


「ひっ…」


 女は小さく悲鳴を上げた。


———なんなのだ、これは。


 しかしこの瞳は無垢に女を見つめ続けた。

 じーっ、と見ては、目を細める。


———笑っている?


 女は、ハッと気づいた。


———この、目は……!


 その場で、すーすーと寝ている、万華鏡売りが連れてきた子供。

 それを見て、ハッカは静かに言った。


「……貴女の子供なのでしょう?」


 女は虚ろな瞳になり、万華鏡を力なく落とした。


「育てる自信がなくなったのです。 だってこの子は、………」

「どういうことですか?」

「あなたも感じたのでしょう? 。 あれは山が、自分の精霊に祝福するときの儀礼的な雪なのです」

「でも、なぜ貴女が雪の精を?」

「この山の主に選ばれたのです。 山の主の決まり事には逆らえない。 でも、わたくしは怖くなってしまって……。 精霊を産み、育てるだなんて。 だから……だから……山に……山に返した! どうしても、自分の子供とは思えなかっ……」

「それでも子供は、貴女から産まれたことを忘れないでしょう。 そして、貴女もそれを忘れることはない。 子供は人ではなかったかも知れない。 では、それ以外は? 貴女から産まれた事実すら、否定してしまうのですか?」

「ううっ………」

「それでも、愛せないのですか? ならば、貴女はこの先も、真の愛を知ることは出来ないでしょう。 この先、決して子は産まないで下さいね」

「うううっ………!」


———ピシィ………


 水分が、氷結した音が、小さな小屋に鳴り響いた。

 女は、ハッカの前で見事な氷像となった。

 子供が、寝床で目をぱっちりと開け、こちらを見ていた。

 この子が、やったのだろう。


———美しく氷像だと、ハッカは思った。


 子供はツーッと、頬に涙を伝わせた。


「氷の中にいれば、お母さんはずっと何も思い悩むことなく、生き続けられるでしょ?」

「それが、貴方の優しさなのですか? 子供とは、残酷なものなのですね」


 子供の暖かい涙は、その寒さにふわふわとすぐに結晶化した。

 細かい粒の、塩辛い雪は、人肌ほどに暖かい。

 

 雪の降る日は、音がなくなる。

 雪は全てを静寂で満たす。


「子供の泣く日は、雪が降るようですね」


 すると、子供はゴシゴシと溢れる涙を着物の袖でふいた。

 ハッカも氷漬けの母親を一瞥し、そこからは、二度と視界に入れることはなかった。

 ハッカは、優しく子供の肩を抱いた。


「ねー。ハッカねーちゃん。 オレの名前、決まった? 早くつけてくれよ」

「待ちきれないのですか? 子供ですねえ」

「いいんだよ。 すぐに大人になって、ハッカねーちゃんの背を追い越しちゃうよ」

「そんなに早くですか? 精霊とは不思議なものですね」

「ねーねー。 それより名前」

「ああ。 そう。 じゃあ、ツララでいいでしょうか?」

「オレが雪の精霊だからって、なんか安易じゃない?」

「貴方の作った氷像がとても美しかったので、氷を連想させる名前にしてみました。 お気に召さないなら、別の……」

「い、いい! それがいい!」

「そうですか」


 その夜、二人は寄り添って寝た。

 そして、永遠に溶けることのない氷像に、一瞥もくれることなく、夜明けとともに家を出た。

 誰の目に触れることもなく、二人は遠くのどこかへと、旅立った。



           おわり。

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