二 「画家のアンダンテ」

 屋敷の玄関ホールは天井が天蓋型になっており、風景画を模したステンドグラスが装飾されていた。

 それは、この屋敷の画家・ケンタウロスのアンダンテがデザインし、作成したものらしい。

 他にも屋敷には至る処に美術品が飾られている。その絵画作品のほとんどが、アンダンテが描いたものであった。

 元々、屋敷の現主人の亡き父が、画家を公募し、特に気に入った彼、アンダンテを屋敷に招き入れたのだった。

 彼の描くものは、風景画と、静物だけだった。生物は決して描こうとしなかった。

 その一貫した精神が元主人の気に入るところでもあったのだが、自らの主人の肖像画すら描かないのには、さすがの元主人も困り果てた。これでは屋敷に招き入れた意味がない、と再び画家を公募したが、彼より気に入る画家は現れなかったのだった。

 生物を描かない偏屈な画家は、今日も屋敷の玄関ホールが定位置だった。

 広いホールには様々な美術品、家具、ホールの窓から覗く植物をキャンバスに捉えた。

 しかし本日そこへ、野性味溢れる少女が走り込んできた。

 泥だらけの姿で、葉っぱや花びら塗れの少女は、息を切らしながらホールに突っ込んできた。


「あ、絵描きさん?」


 キャンバスに向かい、筆を握る彼に向かい、少女は言った。

 高貴なこのお屋敷ではまず、見ることのない装いの彼女に、アンダンテは半獣である下半身の尻尾をピン、と強張らせた。

 彼は長い年月、汚い社会を見てきた。そしてすっかり社会と言うものに愛想を尽かし、真っ直ぐに他人嫌いに育っていった。

 それが生物を描かない大きな理由だった。

 この屋敷に来てからも極力、他人とは関わらず、ひたすらキャンバスに向かい続けていた。


「ご主人様を見かけませんでしたか?」

「……知らないけど」


 素っ気なく答えるアンダンテを気にする風もなく、カナリアはぺこりと頭を下げた。


「初めまして、カナリアと申します。このお屋敷には来たばかりです。よろしくお願いします」

「そう」

「あの、絵描きさんなんですね」

「見ればわかるでしょ」

「絵、わたしも好きです! 見学してもいいですか?」

「……勝手にして」


 彼女の勢いに、断るのも面倒くさく、アンダンテは何を言われても無視をすればいいだろうと思った。蹄を鳴らして、キャンバスに向き直る。カナリアは嬉しそうに礼をいい、描きかけのキャンバスを覗いた。


「わあ、素敵…。あの綺麗なやつを描いてるんですね」


 少し離れたところにあるオブジェを指差し、はしゃぐカナリアに反応することなく、アンダンテは筆を走らせた。細かい筆使いに、カナリアは嬉々として言った。


「あ! 私も少し描いたりするんですよ! 見ていただけませんか?」

「は?」

「あ、このスケッチブック、お借りしてもいいですか?」

「はあ……」


 これは天然の馬鹿らしい。こんなような人間は初めてだ、とアンダンテは何度も内心でため息をついた。

 しかし、足元で身を丸めて、鉛筆でスケッチブックにひたすら何かを描いている彼女を見ていても、何故だか嫌悪感は抱かない。

 不思議に思いながらも、アンダンテが再度、筆を構えようとしたとき、カナリアがすっくと立ち上がった。


「できました!」


 アンダンテに向かい、自らが描いたものを見せるカナリア。

 そのスケッチブックには、なんとも言い難い、落書きのようなものが描かれていた。


「何これ?」


 アンダンテは思わずマジマジと見てしまう。カナリアは得意げに言った。


「ご主人様です! 似てませんか?」

「いや、全然似てないけど」

「えー? かっこよく描けたと思いますけど…」


 それを聞いたアンダンテは、耳をピクリと反応させた。そして、カナリアに噛み付くように、その言葉を吐き捨てた。


「かっこいい? あいつが?」

「え? はい…」

「どこが!? あいつはワガママですぐふて腐れるくせに、チェスや乗馬だけは上手いだけの、憎たらしいやつさ! 今の屋敷の主人だかなんだか知らないけど、ボクはあいつ、嫌いだね」


 吐き捨てるような言い方に、カナリアはスケッチブックを握り締めた。


「嫌い、なんですか?」

「うん、嫌い」


 キャンバスに筆を置き、無表情になるアンダンテに、カナリアは、きゅ、と唇を結んだ。


「ご主人様は、すぐふて腐れるんですか?」


 意外なカナリアの言葉に、アンダンテは、つい答える。


「そう。あいつは何かあると、すぐにバルコニーに行って、空を眺めてる」


 その言葉に、カナリアの表情は明るくなる。


「バルコニーに、ですか!」

「そうだよ?」

「そうですか…!」


 何故か嬉々としているカナリアに、アンダンテは首を傾げる。


「よく見ているんですね! ご主人様のこと!」

「はあ? 何言ってんの?」


 眉間にシワを寄せ、顔を歪めるアンダンテ。


「だって、見てないと何もわからないままじゃないですか。ご主人様のこと」

「それは……」


 カナリアの、のほほんとした表情に思わず目をそらしたくなった。これは、自分の自覚している癖だ。

 自分は、生物嫌いと言いながら、何から逃げている。

 捻れた社会ゆえ、この捻くれた性格になったのだ、と周りを呪っていた。

 それゆえ、自分の言葉で他人を傷付けたくない、面倒はごめんだ、だから関わらなければいいと、思っていたのかもしれない。

 言葉を詰まらせるアンダンテに、カナリアはまたぺこりと頭を下げた。


「じゃあ私、ご主人様を探して来ます!」


 風のように走り去った彼女の背中は、既に小さくなっていた。


「何なんだよ、アレ。イライラするなあ…」


 急に目の前に現れたさっきの姿が忘れられない。

 気付くと、アンダンテは足元に転がっていたスケッチブックを前足で蹴り上げて手に取ると、サラサラと彼女の姿を鉛筆で走り描いていた。


 春の風のように柔らかく、踊るように走る。ふわりと舞い上がる、彼女の紅梅の髪。

 アンダンテは夢中で描き続けた。

 彼女は、先ほど聞こえてきた歌声、そのものだ、と思うと、尻尾が自然と揺れていた。

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