お兄ちゃんの妹は、私しかいないんだから
「止めろー!!」
/
俺は叫ぶ。
しかしその声は、妹には届かなかった。
なぜなら――
「――え?」
なぜなら俺は、病室ではなく、家のリビングにいたからだ。
さっきまで俺は、“本物の妹”が眠る病室でパイプ椅子に拘束されていたはずだった。
そして妹は、俺の目の前で“本物の妹”を殺そうとしていた。
なのに今の俺は、家のリビングのソファーから起き上がったところで、パイプ椅子に拘束もされていなければ、“本物の妹”の姿もない。
ということは、つまり――
「――夢?」
これまでの全てが、夢だったってことなのか?
だとすれば……
「よかった……」
俺は胸を撫で下ろす。
そして額に浮かんでいた汗を拭う。
一体、どこから夢だったのだろうか?
もしかして、妹が当選したあたりからか?
まあ、そうだろうな。
だって、おかしいもんな。
いきなり妹が当選するとか、あり得るわけがない。
ファンタジーにも、ほどがあるよ。
だから今までのことは全部悪い夢で、俺はこれから夏休みを謳歌するんだ。
そうだろ?
だったら仕切り直しだ!
どうせなら、偏差値が40を切った模試の結果も夢であってほしいがな!
「あ! やっと起きたの? お兄ちゃん」
夏だというのに、俺の体が震えた。
それはリビングのエアコンが効きすぎている、というのが原因じゃない。
俺は恐る恐る、声のした方を振り返る。
「う……嘘……だろ?」
変に裏返った声が、俺の口から漏れる。
なぜって?
だってほら、そこいるからだよ。
何がって? だ、か、ら、
――俺の妹が! だよ。
「ねえ、お兄ちゃん。そのリアクション、二回目じゃない?」
妹は言った。
しかし、そんなことはどうでもいい。
そんなことよりも、妹がここにいるということの方が、重大なんだ。
「ハヅキ……どうしてお前が、ここにいるんだ?」
「どうしてって、決まってるじゃない。お兄ちゃん」
そして妹は薄ら笑いを浮かべながら、こう言った。
「私はお兄ちゃんの妹だよ。傍にいるのが当たり前じゃない」
「お前は、本物じゃない。偽物だ」
「本物だよ。お兄ちゃん」
そう言って、ハヅキはスタスタと俺に歩み寄ってくる。
「来るな」
反射的に、俺はそう言った。
でも、
「ヤダよ、お兄ちゃん」
妹は言うことを聞かない。
だから俺は、
「来るな!」
と叫んだ。
と同時に、身構える。
両腕を顔の前でクロスさせる。
全身が緊張で硬直する。
――殺される。
本気でそう思った。
本気でそう思うほど、この妹はヤバい。
それをこの数日間で、十分すぎるほど理解した。
だけど、
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
優しい抱擁が、俺を包み込んだ。
意外だった。
「きっと怖い夢を見ていたんだよ。でも、そんな怖い夢は、もう終わったよ」
妹は俺を優しく抱きしめたまま、柔らかい声で耳元に囁く。
「だから安心して、お兄ちゃん。“今の”お兄ちゃんを傷つけるものは、ここにはないよ」
「信じて……いいのか?」
「もちろんだよ、お兄ちゃん。だって私は、お兄ちゃんの唯一の妹なんだよ。お兄ちゃんの妹は、私しかいないんだから」
「そ……そう……だな」
俺は妹を抱き返す。
しかし、そのとき妹がどんな顔をしていたかはわからない。
妹の顔は俺の肩の上に乗っているから、振り向いて確かめることができない。
でも、そんなことなんて、もうどうでもいいように思えた。
だって、少なくとも病室のことは夢で、そこでの妹の言動も夢であるのなら、もういいじゃないか。
忘れよう。
そんな気持ちが俺の中で湧いた。
ただな。
一つだけ確かめさせてくれないか?
それは、俺の胸の傷だ。
もし病室での出来事が夢であるのなら、俺の胸には妹に斬られた傷はないはずだ。
だから俺は、自分の胸を確かめようと、着ているTシャツの下に手を忍ばせようとした。
そのときだった。
「ねえ、お兄ちゃん」
妹はそう言って、Tシャツの下に忍ばせようとしていた俺の手を掴んだ。
そして俺の顔を覗き込む。
妹の顔には、依然として薄ら笑いが宿っている。
「何だよ? ハヅキ……」
「ゲームしようよ。気分転換に」
「……ゲーム?」
「そう、ゲーム!」
それから妹は一旦、俺から離れ、テレビラックに向かう。
テレビラックの中に置いてあるゲームのパッケージを手に取り、それを持って俺の横に座った。
俺は妹が持ってきたゲームを手に取る。
それは『THE WAR LEFT -残された戦争-』だった。
まあ、ゲームをやる分にはいいさ。
でも、何でそのゲームなんだ?
確かに『THE WAR LEFT -残された戦争-』は、かつて妹がQ-TeKと共同開発した大ヒットVRMMOFPSで、思い入れがあるのはわかる。
でも発売から随分と日が経っているせいで、今はかなり過疎化していると聞く。
発売当初は地球全土をまるごと再現した、広大でリアルなオープンワールドと、数十万にも及ぶクエストが用意されていたことから、世界中で1,000万人以上のファンを獲得した。
だが、そのほとんどのクエストは既にクリアされ、しかも一度クリアしたクエストは二度とできないという仕様。
あと残っているのは、絶対に攻略不可能と言われている〈フームα〉の討伐クエストだけ。
一時期、この〈フームα〉討伐を目指して、上位ランカー同士がチームを組んで挑み、その様子が動画投稿サイトで実況中継され、相当盛り上がったものの、結局は討伐できず、今じゃムリゲーのレッテルを貼られ、学校でもSNSでも、このゲームの話はまるっきり聞かなくなった。
そんなゲームを、妹が敢えてチョイスしたのには、理由があった。
それは、こんな理由だった。
「だって、ゲームの中でも二人っきりになれるでしょ?」
ああ、そういうことか。
まあ、いいぜ。
やろうじゃないか。そのゲーム。
そして俺と妹はゲーム機のスイッチを入れて、それぞれVRゴーグルをかぶった――
/
――それからどうなったかは、もう話しただろ?
ゲームが終わった途端、俺は妹が人類を滅ぼす世界に放り込まれ、今は〈ガルディア〉によって俺とチエちゃんの命が狙われている。
結局、妹が当選したあの日から振り返っても、妹が人類を滅ぼしかけている理由までは、わからない。
きっと妹は《ユニバース・リンク》に穴をあけ、そこから〈ガルディア〉をはじめ、世界中の軍事システムをハッキングしているのだろうが、なぜそんなことをする必要があるのか、その理由まではわからないのだ。
〈ガルディア〉の銃口が、俺とチエちゃんに向く。
俺は舌打ちをする。
暢気に回想している場合じゃなさそうだな。
とにかく、早くここから逃げないと。
しかし、どうやって?
俺は走る。
チエちゃんを抱えて、とにかく走る。
走って、この場から離れるしかない。
だってそうだろ?
それ以外に、いい方法があるんだったら教えてくれ!
でも俺の背中はがら空きだ。
そこに向かって〈ガルディア〉が発砲したら、もうそれで終わりだ。
「畜生! ふざけんなよ!」
俺は空に向かって叫んだ。
どうしようもない、やり場のない怒りを、空に吐き捨てる。
意味のないことだとわかっていても。
しかし――
突然、空が光に包まれた。
まるで空が、俺の怒りに応えたように。
それは一瞬だった。
雷とも違う。
雷とは比較にならない、圧倒的な量の光が、空を埋め尽くす。
その直後――
地上から突然、雲が産まれた。
その雲は、遥か遠くに産まれた。
雲は天にも届きそうな高さにまで登りながら、大きく膨らんでいく。
その雲が何であるのか、俺の知識が間違っていなければ、こうだ。
――キノコ雲。
つまり核爆弾が投下されたときにできる、あの雲だ。
ということは、日本に核爆弾を落としたバカが、どこかにいるってことかよ!
だとしたら、俺だけじゃなく、チエちゃんも、市民公園にいる人たちも、みんな死ぬ――
俺は方向を変え、キノコ雲とは逆方向に逃げようとする。
だがその先には、〈ガルディア〉がいた。
〈ガルディア〉は俺を遮るように立ち、おまけに銃口を俺に向けている。
万事休すだ。
もう、どうすることもできない。
もう、諦めるしかない。
核爆弾で死ぬか、〈ガルディア〉によって撃ち殺されるか、どちらかしかない。
俺は胸の中のチエちゃんをギュッと抱きしめる。
死の覚悟を決めるには、時間が足りない。
ここで死んだら、後悔しか残らない。
戦争で死ぬということは、こういうことなのか。
しかしだ。
エンジンの咆哮が聞こえた。
と同時に、俺の行く手を遮っていた〈ガルディア〉が吹っ飛んだ。
吹っ飛ばしたのは、大型のトラックだった。
突然、大型トラックが市民公園に乗り込んできて、そのまま〈ガルディア〉を
そして大型トラックは〈ガルディア〉を撥ね飛ばした後、俺の所に向かってくる。
俺は後ずさるが、足がつまづき、そのまま尻餅をついてしまった。
そんな俺の傍に、大きなブレーキ音を立てながら大型トラックは停車した。
直後、ドアが開く。
そこから男の顔が飛び出し、
「早く乗れ!」
男はそう叫んだ。
その顔を見て、俺は唖然とするしかない。
なあ、もういい加減にしてくれないか? 俺をビックリさせるのは。
ドッキリ企画だとしても、これはやり過ぎだ。
妹の当選といい、その妹が人類を滅ぼし始めるといい。
あり得ないことが多すぎだろ。
そして今度は何だ?
何が始まるって言うんだよ?
だってほら、見てみろよ。
トラックのドアから顔を出した、あの男を。
その顔は、どこを、どう見ても、俺じゃねーか!
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