第18話「牙を研ぐ始原竜と魔氷狼」

 五百雀千雪イオジャクチユキの手を握って、歩く。

 高高度巡航輸送艦こうこうどじゅんこうゆそうかん羅臼らうすは今、アメリカ大陸を目指してせる。臨戦態勢であわただしい中を、摺木統矢スルギトウヤは恋人を連れて歩いた。

 硬い機械の手が、しっかりと握り返してくる。

 もうすぐあてがわれた士官用の個室だ。

 【樹雷皇じゅらいおう】の作業が終わっていれば、更紗さらされんふぁとも会えるだろう。

 話したいことが沢山有るのに、言葉にするのがもどかしい。

 だが、統矢は廊下の先で見知った人達を見つけて立ち止まった。


「あ……悪い、千雪。先に行っててくれ」

「あれは、兄様。はい、では……お部屋で待ってますね」

「それと、な」


 統矢は千雪に小声で「そっと振り返ってみろ」とささやく。

 二人で肩越しに横目をスライドさせると……背後で小さな影がササッと隠れた。

 全然気付かれていないと思いこんでいる追跡者は、渡良瀬沙菊ワタラセサギクだ。


「千雪殿ぉ、ファイトであります! 統矢殿とれんふぁ殿と、三人で仲睦なかむつまじく貴重な時間を過ごすであります! フスー!」


 彼女は千雪の熱烈なファンで、時々パンツァー・モータロイドの専門誌などに載ってる彼女の写真を集めている。記事も全部スクラップにしてるし、埼玉校区さいたまこうくから転校してきてからずっと、千雪になついている後輩だ。

 そういえばまだ、彼女は帰還した千雪とゆっくり話していなかった。

 沢山話したいだろうに、統矢やれんふぁ、そして兄の五百雀辰馬イオジャクタツマに気をつかったのだ。


「おい千雪、ちょっと行って構ってやれ」

「そうですね。沙菊さんにも心配をかけてしまいました」

「あいつさ……信じてる、って言ったんだぜ? お前が消えた、あの日……絶対に生きてるって。俺は……お前が死んだと思って、ずっと」

「大丈夫です、統矢君。私、生きてますから。また、一緒に生きますから」

「ああ」


 それだけ言うと、千雪は振り返る。

 咄嗟とっさのことで、慌てて沙菊は通路のかどに隠れた。


「まあ、偶然ですね沙菊さん。よければ少し、お話しましょう。お礼も言いたいですし」

「あ、いや、しかしであります! 千雪殿、今は統矢殿と一緒に」

「統矢君とはこれからずっと一緒です。勿論もちろん、沙菊さんとも。だから、そうですね。少しあたたかい物でも飲みましょう」

「おおーっ! 了解、大了解であります! 自分、実は千雪殿が居ない間もPMRパメラ雑誌を余さず買い、必要な記事はスクラップしてるであります! あと、先程整備の方からあの97式【轟山ごうざん】の整備マニュアルをお借りしたであります!」

「! 沙菊さん、すぐ行きましょう。いますぐお茶しましょう。では統矢君私はこれで、さあ行きましょう、駆け足で行きましょう!」


 いそいそと落ち着かない様子で、千雪は行ってしまった。

 相変わらずのPMRオタクで、逆に見ていて安心する。

 そして、統矢も通路の向こう側、自動販売機前の小さな休憩スペースへと顔を出した。

 三人のパイロットの中で、愛機と同じ緑色のスーツを着た少女に話しかける。


「あのっ、桔梗キキョウ先輩……俺の【氷蓮ひょうれん】のパーツ、ありがとうございました! 俺、また壊しちゃって、でも予備パーツを桔梗先輩が都合してくれたって、瑠璃ラピス先輩が」


 その場にいたのは、美作総司ミマサカソウジと五百雀辰馬、そして御巫桔梗ミカナギキキョウだ。

 眼鏡の奥で瞳を丸くさせながら、桔梗は柔らかな笑みを浮かべる。


「摺木君、そういう顔は千雪ちゃんや、れんふぁちゃんにだけ見せてあげてくださいね」

「そういう顔、というと」

「ふふ、ようやく摺木君、優しい顔になれてますから。ね、辰馬さん」


 辰馬は総司と一緒に、書類を何枚も広げていた。どうやら部隊運用の打ち合わせをしているようで、珍しく真剣な顔をしている。

 だが、その辰馬は顔をあげるや……統矢を見て涙ぐんだ。


「ちょ、ちょっと! 辰馬先輩!」

「へっ、統矢……千雪のこと、頼むな……あいつ、生きてたって、もう俺ぁ、それだけで」

「わ、わかりましたから。ったく、涙もろいなんてキャラじゃないですよ。けど……ありがとうございます」

「ああ、よろしくやってくれ。それで俺も、少しは肩の荷が降りる」


 不意に辰馬が、遠くを見るように窓の外へ視線を滑らせた。

 その横顔が、統矢にはどこか覚悟を感じさせる。彼は恋人の兄で青森校区あおもりこうくの先輩……そして、皇国海軍PMR戦術実験小隊こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたいことフェンリル小隊の隊長なのだ。


「それにしても、桔梗先輩……なんか、もう御巫家と縁が切れちゃったって」

「ええ。所有していた持ち株の全てを向こう側へ譲渡じょうとしましたので。わたくしが頼るのはもう、家の名前ではありませんから。ね、辰馬さん」

「そ、そうだな! うんうん。んじゃ、ま……続きをさっさと片付けるか。総司さんも、いいよな?」


 総司も穏やかな笑みで了承に頷く。

 統矢も興味があって、並ぶ書類に目を落とす。


「何です? これ」

「こないだの馬鹿デカいセラフ級のサハクィエル、そして無数のエンジェル級についてだ。コードネームがあると呼びやすいからって、御堂ミドウ先生が」

「先生って呼ぶと怒られますよ、辰馬先輩」


 統矢も並ぶ名称を一瞥して頭に叩き込む。

 人型のエンジェル級は、基本設計は同じに見えた。両腕が武装ごと全部違うくらいである。


「両腕が大砲の奴がトマス、対空砲の奴がディンプナ、タル持ちは……フィリップだったかな?」

「だな、総司さん。で、格闘型がイオアン……あのにわとりみてーなデカブツがアナスタシアか」

「それより辰馬さん。総司さんも。一番厄介なのはやはり……このエンジェル級ですね」


 両腕にバリエーションが多彩な陸戦型は、重火力重装甲のアナスタシア以外を覚える必要はあまりない……そう前置きして、桔梗が写真をテーブルの中央に寄せる。

 それは、完全な飛行形態である戦闘機の姿から、人型に変形するエンジェル級だ。


「エンジェル級バルトロマイ……高い空戦能力と、変形しての白兵戦能力。この、飛行型と人型の中間形態を使ったマニューバも見られました。要注意、ですね」

「同感だ。とりあえず、こいつは先任の対バルトロマイ近接防御支援小隊を組織して……雅姫ちゃんにでも指揮してもらっかな? な、【吸血姫カーミラ】」

「【雷冥ミカズチ】の手腕、お手並み拝見ですね。どうでしょう、総司さん……総司、さん?」


 総司は何やら考え込んでたようで、桔梗が声をもう一度かけてようやく顔をあげた。


「あ、ああ。すまない、ちょっと考え事をしていた」

「おいおい、ティアマット聯隊れんたいの隊長さんがそれじゃいけねえよ。どしたんすか」

「いや……作戦とは全然関係ないんだが。……雅姫二尉マサキにいは、恋をしてるんだろうか?」


 統矢を含め、三人は揃って「はぁ?」と声をあげてしまった。

 だが、総司は大真面目だ。


「雅姫二尉は、凄くよく働いてくれる。腕もいいが頭もいい」

「ついでに顔も、でしょう? へへ」

「辰馬さん? やらしい顔になっています。えっちなのは、まだいけません!」


 総司が言うには、どうやら雅姫が誰かに恋をしている乙女だと、ついさっき気付いたらしい。れられてる本人の言葉に、統矢は半分あきれてしまった。自分も鈍い方だったが、この朴念仁ぼくねんじんは本物だ。


「軍務の合間に見せる、あの柔らかな表情。守りたいものだな。彼女が恋する乙女でいられる世界、そういう平和を僕は勝ち取りたい」

「はぁ……まあ、いいすけど。総司さん、ほんっ、とぉ、にっ! 心当たりがないんですか?」

「うん? ああ、雅姫二尉は素晴らしい女性だ。意中の人は果報者かほうものだな。さ、作戦会議に戻ろう。僕が全体の指揮をる。なお御堂刹那特務三佐ミドウセツナとくむさんさは機体の整備不良で出撃を見合わせる予定だ。それで」


 おいおいとみんなが真顔になる中で、総司は的確に話をまとめて書類を回収する。

 超弩級ちょうどきゅうの要塞クラス、セラフ級サハクィエルを撃破せねば……ニューヨークはおろか、地球の裏側も一緒に消滅する。そして、そのタイムリミットは今も迫っているのだ。

 作戦は、ティアマット聯隊の全てを総動員して行われる。

 対艦重装備たいかんじゅうそうびのデストロイ・プリセットで全体の半分の【轟山】をぶつける。もう半分を雨瀬雅姫ウノセマサキの率いる護衛部隊インターセプターとし、エンジェル級に対処。そして、辰馬が率いるフェンリル小隊は遊撃戦力ランナバウトとして、独自に動くのだ。そして、統矢の【樹雷皇】には大きな任務が与えられた。


「統矢、悪いがあのメタトロンをお前に抑えてもらう。できるな?」

「やりますよ、辰馬先輩」

「知ってるが乗ってるんだろ? やれんのか?」

「もう、手加減してる段階じゃない……俺は俺を、未来から来た俺を殺そうってんですよ? レイル・スルールが立ちはだかるのなら、穿うがつらぬく! それだけです」


 それからニ、三の確認をして、最後にもう一度総司を問い詰める。

 総司は雅姫の好意に、全く気付いていない。むしろ、自分は彼女の良き理解者、保護者だと言わんばかりの言葉を述べてくれた。

 どうにもならないと呆れる反面、実直で真面目な総司らしいとも言える。

 そして、二人の関係がこれからどうなるかも、戦いの先にしかないのだ。


「よし、んじゃま……この辺で解散すっか。桔梗、行こうぜ」

「はい、辰馬さん」

「僕も少し、部屋で休ませてもらうよ。統矢一尉、突き合わせて悪かったね」


 皆が各々の部屋へ戻る中、自然と統矢も自分の部屋へ向かう。

 夜の空を全力疾走する羅臼の、その振動だけが響く静かな時間が訪れていた。

 だが……部屋の前までやってきて、統矢は首を傾げた。


「ありゃ、千雪と沙菊だ……何やってんだ?」


 二人は何故か、統矢の部屋を覗き込んでいる。その横顔は、とても優しい表情だ。犬みたいにじゃれてくる沙菊も、そばかす顔を柔らかく崩している。

 何より、やっぱり無表情なまし顔だが……千雪の目元にはいつくしみの光があった。


「あ、統矢君」

「おお、統矢殿! では、自分はこれで失礼するであります! ラスカ殿にごはんをすすめないと、そろそろ空腹でイライラする時間でありまして」


 それだけ言うと、沙菊はニハハと笑って去っていった。

 そして、統矢も自分の部屋をのぞき見る。

 狭い士官室のベッドに、まるで天使のようなパイロットスーツ姿が横たわっていた。


「あれ、れんふぁ……どしたんだ?」

「静かに、統矢君。先に来て、待っててくれたみたいです。でも、寝ちゃってますね」

「ああ、そっか。れんふぁしか【樹雷皇】は起動できないからな……ティアマット聯隊の全機を重力コントロールするための設定作業、大変だったんだろ」

「私の【ディープスノー】にも設定済みです」


 れんふぁは今、どんな夢を見ているのだろうか? いい夢にまどろんでれば、それだけで嬉しいと統矢は思った。そして、頷き合う千雪とその想いを共有し……部屋へ静かに入って後ろ手に扉を閉めた。

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