第7話「守るべきもの、叩くべきもの」

 夢の中にまどろみ、摺木統矢スルギトウヤは束の間の再会を果たしていた。

 短い眠りの時間に見る面影は、いつもの怜悧れいりな無表情で自分を見詰めてくる。とがめるでもなく、すがるでもなく、ただ黙って透き通る瞳を向けてくるだけ。

 だが、その夜は違った。


(あれ……なんだよ、今日は……笑ってるな。お前、笑えるのな)


 そっと手を伸べ、柔らかなほおに触れる。

 だが、そのぬくもりと柔らかさはもう、現実の世界から失われて久しい。

 そして、微笑びしょうを湛える穏やかな表情は、徐々にその輪郭を変えていった。


千雪チユキ? じゃ、ない? お前は……ああ、そうか。お前なんだな――)


 五百雀千雪イオジャクチユキの幻想が解けて滲み、波紋を広げる中で再構成されてゆく。

 それは、髪型も体つきも待ったう違う別人に入れ替わった。

 優しげな笑みを向けてくるのは、懐かしい顔立ち。

 そして、やはり永遠に失われた大切な人の生き写しだった。

 その名を呼ぼうとしする統矢の意識が、現実へとゆっくり引き戻される。

 気付けば統矢は、布団の上でぼんやりと天井へ手を伸ばしていた。


「夢、か……久々に布団ふとんで寝たな。よく寝た、気がする」


 ひとりごちて、パタンと手を下ろす。

 隣にすでに一緒だった少女の姿はない。

 だが、まだシーツの上に体温がほのかに残っていた。それを拾うように視線を向ければ、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。そして、浴室の方からはシャワーの水音が静かに響いていた。

 更紗サラサれんふぁはどうやら先に起きて汗を流しているようだ。

 彼女が熱い湯で脱ぎ捨てる、匂いと体温と、感触と。

 それがまだ、統矢の中ではくすぶっている。

 そっと白いシーツをでれば、小さな紅い染みがあった。


「そっか、俺はれんふぁと……千雪、怒るか? でも、嫌じゃない、よな……お前を好きな、お前の好きなれんふぁとなら。俺も、お前を一人じゃ連れて進めないから」


 ぼんやりと昨夜の情事が思い出される。

 涙で濡れた互いをなぐさめるように、夢中で相手へ甘えておぼれた。誰もが傷付く中で、そのんだきずを優しく舐め合い、流れる鮮血でさえかぐわしく思えた。

 不器用過ぎた少年少女は、恋する余裕すらない戦火の時代に結ばれたのだ。

 そのことをぼんやり思い返して、己の中に反芻はんすうする。

 だが、統矢を取り巻く環境は彼にセンチメンタルを許さない。

 外からはひっきりなしに、ヘリコプターや軍用機の音が飛び交っている。この薄暗い部屋に滞留した、蜜月みつげつの空気を撹拌かくはんさせるような響きが肌を震えさせた。

 そして、不意にバン! と部屋のドアが開かれる!


「ここにいたんか、統矢っ! なんや自分、ちょっと最近ボケてるんとちゃう? あったま来るわあ。ウチが徹夜で整備してる中……れんふぁと二人でイチャイチャかいな」


 そこには、容赦なくずかずかと上がり込んでくる佐伯瑠璃サエキラピスの姿があった。

 慌てて布団から起き上がった統矢を見て、彼女は片眉かたまゆを跳ね上げる。

 女子の部屋に外泊、その現場を押さえられて言い訳のしようもない。

 だが、統矢は慌ててそれどころではなかった。


「こ、これは、瑠璃先輩! えっとですね、その」

「アホちゃうか、自分……見ればわかるわ、はぁ……」

「そ、そうですか。わかり、ますか」

「……まあ、ええんちゃう?」


 意外な言葉だった。

 もっと、責められるかと思ったのだ。

 この忙しい時期に、パイロットにとっては休息も大事な仕事だ。だが、昨夜の統矢はスタミナとカロリーを無駄遣いしてしまった。無駄だと言えぬ程に気持ちがたかぶってしまって、その全てをれんふぁにぶつけてしまったのだ。

 そして、今になって千雪への後ろめたさが胸の奥に芽生える。

 だが、瑠璃は突然プッと笑い出した。


「ええて言うてるやろ? 統矢。それともなにか? 千雪ちゃんが化けてでるて?」

「化けてでも、出てきてくれたら……いいんですけどね」

「せやな。けど、死んだ人間とは二度と会えへん。手もつなげんし抱き締められん。せやから、死んだ人間がもぉできへんことを、生き残った人間はやってくんや」

「やってく……」

「あ! 自分今、スケベなこと考えたやろ! しょーないイキモノやわあ、男って」

「ス、スミマセン」


 だが、瑠璃は疲労の色濃い表情に笑みを浮かべる。

 それは、普段から容赦ない鬼の整備班長の顔ではなかった。


「はぁ、ウチも辰馬タツマにワンチャンあるかなあ……いつもすきを見て、じゃない、ちゃうわ! おりを見て……考えてるんやけどなあ」

「そ、そうですか。えっと……その、応援してます! 瑠璃先輩!」

「アホちゃうか。ウチは賢いからなあ……負けるいくさはせえへんのや」

「え、ああ……ですね」

「ああ? 統矢、自分どっちの味方やねん! ウチが桔梗キキョウに負けてるて言うねんな?」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ、瑠璃先輩!」


 滅茶苦茶めちゃくちゃだ。

 だが、やっと統矢は自分が遊ばれていることに気付いた。

 そして、バスルームが湯気と一緒に湿った熱気を解放させる。

 浴室からとてとてと、全裸のれんふぁが戻ってきた。

 バスタオル一枚で裸体を覆ったれんふぁは、瑠璃を見て仰天ぎょうてんで顔を真っ赤にする。かわいそうに、耳まで赤くなってよろけつつ……あわあわと要領を得ぬ言葉を並べ始めた。


「ら、ららっ、瑠璃先輩! これは、ええと、おはようございました! つまり、統矢さんがあれなんです! このたびはいいお日柄で! その、お赤飯なんです!」

「れんふぁ……自分、そんなにうろたえんでもええやないの。……よかったやん」

「そ、そうですかぁ?」

「せや、めでたいで? けど、他の連中には黙っとき。色々気をむし、辰馬も……あのバカも、喜んでしかみせへんからなあ」


 ふと、瑠璃が優しい顔で視線を外した。

 五百雀辰馬イオジャクタツマは、あの千雪の兄だ。

 そして、千雪が死んだあの日からもずっと、統矢にとっても兄のように優しい先輩でいてくれた。誰も、彼の涙を見ていない。誰にも、どこでも、いつでも変わらなかった。

 あの人も御巫桔梗ミカナギキキョウと二人の時は、泣いたりするんだろうか?

 統矢はその姿が想像できなかったし、彼を気遣きづかう瑠璃の苦笑が切なかった。

 れんふぁはしんみりとしてしまって、それでも空気を変えようと声を張り上げる。


「瑠璃先輩、あの!」

「ええんて、ええんやよ? れんふぁ、自分も千雪ちゃんの分まで幸せにならなあかんで? しっかり尻に敷いて、思う存分甘えて、引っ張り回して、アレコレみつがせたり働かせたりせな。ほいで」

「あ、そ、それは! ええと! なんていうか!」

「ええやないの……こういう時代や、少ない時間を二人で――」

「う、あ、そ、そうなんです! でもわたし、昨夜はずるくて、統矢さんも迷惑かなって……で、でもぉ、わたし、ずっと辛くて……きっと、統矢さんも。それで」


 れんふぁはテンパりながらも言葉を続ける。

 統矢も恥ずかしくて、思わず顔を手で覆ってしまった。

 そして、れんふぁが更なる墓穴ぼけつを掘り進めて、その中に統矢までも突き落とす。


「そ、そうでした! あの、瑠璃先輩!」

「なんや、とりあえず何か羽織りや? 風邪引くで」

「その、ええと、! 千雪さんに、あの、わたしの時代の千雪さんに聞いた話よりも、びっくりするぐらい血が出て! あと、すっごい痛くて!」

「ああ、やめ! やめーや! はっ、はは、はしたないやろ!」

「あと、なんかまだ何かがはさまってるような……初めてってこうなんですか? 瑠璃先輩はどうでしたか? 普通ですか? この時代でもこういう感じですか!?」

「だっ、だだ、誰が処女バージンやねん! ちゃうわボケ!」


 口に出してから瑠璃は「あっ」という顔をした。

 聞かなかったことにして、統矢は目をらす。

 クスクスと笑う声が部屋に響いたのは、そんなドツボにハマった空気に三人が沈黙した時だった。見れば、ドアに寄りかかって軍服姿の少女が笑いをこらえている。


「あら、ごめんなさい? ただ、おかしくて……ふふふ」

「あ、えと……雨瀬雅姫二尉ウノセマサキにい、ですよね? どうしてここに?」


 そこには、ベレー帽を被り直す皇国陸軍こうこくりくぐんの士官が立っていた。

 名は、雨瀬雅姫……伝説となったあのフェンリルの拳姫けんき、【閃風メイヴ】こと五百雀千雪をようする青森校区を、唯一敗北に追い込んだパイロットである。

 ペイルライダーズと恐れられた山形校区を率いるその姿は、皆が【雷冥ミカヅチ】とたたえて恐れた。

 卒業して陸軍に任官し、今は正規の軍人だ。

 彼女は朝からりんとした覇気をみなぎらせて統矢を見詰めてくる。


皇国海軍PMR戦術実験小隊こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい……通称、フェンリル小隊。本日10:00ヒトマルマルマルより陸海軍混成部隊りくかいぐんこんせいぶたいへの参加を要請します。一応、三佐さんさよりは要請……お願いという話でしたわ」

「三佐……御堂ミドウ先生、御堂刹那特務三佐ミドウセツナとくむさんさが!?」

「さて、どうでしょう……ふふふ」


 雅姫は意味深な笑みで、その美貌をことさら妖しげに凍らせる。

 絶世の美少女であると同時に、どこかミステリアスな雰囲気が統矢を震わせた。心なしか寒気が背筋を這い上がる。

 だが、雅姫はふくみのある笑みを向けるだけだった。

 そして、衝撃の発言で統矢に本来の表情を思い出させる。

 そう、戦士としての顔を再び少年の仮面として突きつけてくる。


「……つい先程、富士の樹海上空に次元転移ディストーション・リープ反応を検知したわ。肉眼で観測できる発光量と重力波及び電磁波の乱れから、大質量の何かが次元転移してくる可能性が高いの」

「つまり……パラレイド、それもセラフ級かそれに類する敵の反応ってことか」

「ご名答、もうしっかり頭はえてるようね? 三尉さんい

「ああ。俺は奴らを叩き潰す。残らず駆逐すると誓ったからな。れんふぁ! 瑠璃先輩も! ……行こう。俺達の本当の戦いへ」


 再び戦いが始まる。

 全国総合競戦演習ぜんこくそうごうきょうせんえんしゅうは、恐らく中止になるだろう。

 そして、富士の裾野すそのが戦場になる。

 三度、日本皇国の本土、本州が戦災にかれる時が来てしまったのだ。だが、統矢は決して動じず冷静だ。そして、相変わらず発現しっぱなしのDUSTERダスター能力が感じる。異様に研ぎ澄まされた集中力が、瞬時に脳裏へ戦いの二手三手先を浮かべてくる。

 だが、そんな彼に水を差すように、雅姫は小さく笑って統矢を指差した。


「でも、三尉……摺木統矢三尉。まず、そのかわいいモノをしまって頂戴」

「へ? ……ッッッッッ!? こ、これは!」

「戦果を期待してるわ。今は陸軍と海軍でいがみ合ってる余裕はないの。そして……それは三佐の理想とする国防体制でもない。協力し、力をたばねてぶつける。それをお願いしたいわ」


 それだけ言って、雅姫は出ていってしまった。

 統矢は改めてだった自分に気付き、頬が熱くなるのを感じて股間を手で覆った。

 再び始まる戦いの前の、少年少女がただの子供でいられた束の間の休息が終わった瞬間だった。

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